阿部はるまさFacebook(流山市議)

 

 

昨日の「戦争をさせない1000人委員会・流山」の定例街頭活動は、37度を超える猛暑の中で行われました。しかし、道行く人々は、けっこう関心を向けて下さり、話しかけてくれる人も多く、署名もたくさん集まりました。私たちの訴えは、徐々に、確実に、広がり浸透して行きつつあります。

つい最近、社民党はより高い目標と理想を明示して闘うべき、そのことが弱すぎるという人と若干の議論をしました。その時に感じたことを少し書いてみます。

 

スローガンやアピールは、大方の人々の日常の意識を越えた、より高い目標や理想、目指すべき到達点等を掲げるものであってよい。

 

政策についても、ただ現在の政治状況のもとで実現可能な課題に限定せず、次なる目標に繋げることを意識したものであってもよい。「現実の利益の追求の中で未来の利益も同時に追求する」ものが良い。

 

野党によく見られる、後々の資本や政府との妥協を予定し、それを合理化するための言い訳を紛れ込ませたスローガンや政策はもってのほか。そんな政策などは人々の希望と運動にダメージを与えるだけ。

 

しかし政策にとっての命は、やはり「リアリティ」と「切実さ」。

 

「リアリティ」とは、大衆の生の生活感覚や現実政治から生じ、あるいはそれに一層深く食い込み、突き刺ささっていく感覚。

「切実さ」とは、大衆の生活を広く、深く捕らえており、多くの大衆がその課題の一定の解決や前進を抜きには生活に著しい困難を感じざるを得ないような状態。

 

そういうリアリティや切実さを持った政策は、例えば(正確な定式化は別として内容的に言えば)、学費無償化、すべての学生への返済なしの奨学金付与、時給1500円以上、厳格な同一労働同一賃金、生産と経営管理への労働者の参加の拡大、経済的・社会的など一切の差別の法的禁止、原発はゼロ、住民市民参加による再生可能エネルギーでの地域興し、放射線量は年間05ミリシーベルト以下を厳格にめざす、東北と関東の希望するすべての者への被曝健康調査、核5大国の始めとするすべての核保有国の核兵器の放棄、パワーポリティックスの放棄と善隣友好外交への転換、それら一環としての東北アジア非核地帯化、国内法と国際法における戦争の違法化の徹底、等々。

 

これら「リアリティ」と「切実さ」を持った政策は勿論、可能な限り現代資本主義の正確な分析を踏まえたものでなければならない。

スローガンや政策を、そうではない形で打ち出したとしたら、いくら高邁な理想を背景に持つものだったとしても、それは単なる独りよがりのドグマに過ぎない。ドグマを振りかざすことで生まれる運動は単なるセクトの運動に過ぎない。

さて、これから朝の駅頭活動に出かける準備にとりかかります。