折口晴夫

 

4・25~26.その2!

 午前中は引き続き勉強会、「労働者」という言葉は今日的にはどのようにとらえられているのだろうか。とりわけアンダークラスという言葉を聞くようになった今、「正規労働者」のみがその対象なのか。自らを「労働者」と自覚している労働者はどこにいるのだろうか、それすらあやふやになっているように見える。

 

 昼過ぎ帰阪、午後、中之島で「反ヘイト・入管法改悪反対」の集会があり参加。大阪駅の北側まで、初めてのコースをデモする。そのあと、引き続きヨドバシカメラ前でスタンディング。「高市ヤメロ・戦争反対」のコールが続いた。道路の反対側でもペンライトが光っていたが、どこが主催なのも定かではなかったが、とりあえず参加した。

夜、疲れ果て、雨に打たれて帰宅。

 

折口晴夫

 

4・25~26.その1!

 25日朝早く、新幹線で東へ、〈水木しげるの妖怪「百鬼夜行展」〉に行く。その後、午後から泊りがけで勉強会参加。警察・検察が冤罪を作り出す、その過程や意図など考える。再審法改正を阻むそうした力に対抗しなければ・・・

 

阿部 治正

 

■幕張メッセでの国際武器見本市開催に反対しよう!

●武器見本市とは何か

来年4月28日から30日にかけて、千葉・幕張メッセにおいて国際武器見本市(DSEIJapan)が開催されようとしています。昨年の見本市には、イスラエルの軍需企業20数社も参加し、「実戦で確認された能力」を誇示しました。

武器見本市は、兵器産業と各国政府・軍が結びつき、武器の売買や軍事協力を促進する場です。そこでは「安全保障」や「防衛」という名のもとに、実際には戦争の準備と拡大が進められています。

いま世界では、ウクライナ戦争、ベネズエラ軍事攻撃、イラン戦争、米中対立の激化など、緊張が高まり続けています。こうした状況の中で、武器見本市はその流れをさらに加速させる役割を果たしています。

●日本が加担しようとしている現実

日本政府は近年、「防衛力強化」の名のもとに軍事費の大幅増額を進め、武器輸出の解禁・拡大へと踏み出しています。幕張メッセでの武器見本市開催は、この流れ加速させるものであり、日本が「武器を売る国」へと急速に転換していく象徴的な出来事です。しかしこれは、憲法の平和主義とも、戦後日本社会が築いてきた理念とも明確に矛盾するものです。

●背景にある資本主義の行き詰まり

ここで、私たちはもう一歩踏み込んで、この問題の背景を見る必要があります。

現在の経済は、利潤率の低下と「長期停滞」という構造的な行き詰まりに直面しています。生産や民需の拡大によって利潤を確保することが困難になる中で、企業は新たな利潤源を求めています。その一つが、軍事であり戦争です。

戦車やミサイルはどんな現実的な富も生み出しません。産業機械や輸送機械や医療機器のように、モノの再生産プロセスには入らず、人命と健康の守る再生産にも寄与しません。ただただ、社会が生み出した富=国家財政に寄生し、それを奪う吸血行為を行っているに過ぎません。武器が実際に使用されれば、それは町や工場を破壊し、大量の人命を奪います。使用されなければ、それは社会の重荷として市民生活を押しつぶします。軍需産業は国家の財政支出によってのみ支えられ、安定した需要が保証される特殊な分野です。そのため企業は、国家と結びつきながら、軍拡を通じて利潤を確保しようとしています。

言い換えれば、現在の軍拡は単なる安全保障政策ではなく、資本主義の危機に対する「国家依存的な延命装置」としての性格を強く持っています。

●国家依存の強まりと軍拡の不可分性

かつての資本主義でも国家との結びつきは存在しましたが、現在はそれが質的に強まっています。

金融支援、財政支出、規制緩和だけでなく、軍事・安全保障そのものが大企業の利潤確保の中核に組み込まれているのです。その結果として、軍事費の拡大、武器輸出の解禁、軍需産業の優遇、戦争への関与の拡大が、一体のものとして進行しています。

幕張メッセでの武器見本市は、まさにこの構造の具体的な現れです。

● 認識の非対称性という問題

しかし、ここで重大な問題があります。それは、こうした事態に対する「認識の非対称性」です。

大企業や政府の側は、現在の資本主義の危機の深刻さ、つまり資本を生産的に投資しようとしても、もはや資本として成り立つ十分な利潤が上がらなくなった現実をシビアに認識し、その打開のために強い決意を持って軍拡や国家依存を戦略的に進めています。そして今や生産部面での剰余価値に依存しないで巨大な利益を得る方法を見つけたと勘違いしているGAFAMなどのプラットフォーム企業、レント資本がこの軍需にも群がり始めています。

それに対して、私たちも含めて運動の側には、軍拡の背景にある経済構造の変質への理解が不十分で、問題を個別政策の是非にとどめてしまう、危機の深刻さに対する認識が相対的に弱いといった傾向が見られます。これは、かつて日本の労働運動が、企業の側が利潤率の低下に見舞われて、資本主義システムの存続をかけた死に物狂いの搾取強化の攻撃を仕掛けてきた時に、その背景の深刻さを理解できず、企業の攻撃に屈していったことに似た状況です。

この認識のギャップは、運動の広がりや持続力に直接的な制約を与えています。私たちは、労働運動の敗北の轍を市民運動において繰り返すわけにはいかないのです。

●認識の克服なしに運動の前進はない

もし私たちが、武器見本市を単なる「好ましくないイベント」「過度にならない規模にとどめるべき」とだけ捉えるのであれば、それに対抗する力は限定的なものにとどまるでしょう。

求められているのは、いま資本と政府が自らの体制の危機の未曽有の深刻さを理解し、それを軍拡と企業利潤とのより直接的な結合、国家と大企業の一体化を通して克服しようとしている構造を、全体として捉える視点です。その上で、「なぜいま軍拡なのか」、「なぜ企業や政府は武器見本市開催にこれほどまでにこだわるのか」を人々に向かって明らかにすることです。

この認識の深化なしには、市民運動が大きく前進することは困難です。

●私たちに求められているもの

いま必要なのは、武器見本市に反対する声を上げること、軍拡政策の転換を求めること、そして同時に、その背景にある経済構造の質的変化についての理解を共有することです。

幕張メッセを、戦争への入口にしてはなりません。私たちは、戦争ではなく平和を、軍拡ではなく生活を、

利潤ではなく人間の尊厳を守る社会を求めます。

ともに声を上げましょう。

 

【Bunnmei  ブログ】

 

 

今迫りつつある日本のナフサ危機は、単なる供給隘路ではなく、複数の構造的矛盾が同時に露呈した連鎖的な動揺、と理解できます。

 

■「備蓄はある」が大丈夫ではない

 

「備蓄はある」という政府説明は一面の事実ですが、その備蓄の主体は長期保存に適した重質・高硫黄原油であり、精製してもナフサをほとんど抽出できません(ガソリンなどのエネルギー系中心)。統計上の在庫量がいかに潤沢であっても、プラスチック・農業資材・医薬品包材・繊維など日本の基幹産業が必要とするナフサの実供給量は、物理的な制約によって絞られています。これはすり替えです。

 

このように、日本では限られた原油からガソリンや軽油を優先的に抽出する「ガソリンシフト」が存在します。社会インフラとしての輸送燃料を優先するのは政治的にも合理的ですが、その結果としてナフサの生産量はさらに圧縮されます。「ガソリンは大丈夫」と「ナフサも大丈夫」は同時に成立しないのです。

 

加えて、そもそも中東情勢に関する将来の不確実性を直視した素材メーカーは受注制限という「防衛的供給制限」に踏み切らざるを得ません。また精製プラントの完全停止(再開に困難がある)を避けるための最低限在庫確保も優先されます。これらは経営者の非合理な不安から生じたものではなく、政府が明確な見通しを示せない現状において、むしろ極めて合理的な経済的防衛行動です。政府がこれを「目詰まり」と呼んで解消を求めるのは、民間の合理性を否定して自らの楽観論を正当化する言論操作に他なりません。

 

そもそもこの問題の根底にあるのは、中東危機の解決展望が見えないという現実です。「備蓄が半年ある」のが事実として、仮に軍事的緊張が六か月後に緩和されたとしても、ホルムズ海峡をめぐる地政学的構造、イランの国際的地位、サウジアラビアの増産政策、米国の中東関与の形態、これらすべてが「元通りになる」可能性はほとんどないというのが、現実を見据えた経営者の共通認識です。つまり今回の危機は一時的なショックではなく、戦後日本が中東依存という構造的脆弱性の上に築いてきた産業体制そのものへの問いかけとなっています(また最後に述べます)。

 

■米国が引き起こした中東危機は日本直撃

 

そしてこの連鎖はナフサにとどまりません。原油価格の上昇は肥料価格を押し上げ農業コストを増大させ、食料価格へと波及します。医療品も同様です。エネルギー・食料・医療は相互に結びついた一つのシステムであり、そのどこか一点の不安定化が全体へ連鎖する構造にあります。

 

外交面においても深刻な問題があります。欧州・英仏はトランプ政権とは距離を置きつつ、イランとの対話・合意形成に向けた独自の外交的動きを見せています。これはホルムズ海峡の安定に直結する現実的アプローチであり、エネルギー安全保障の観点からも注目すべき動向です。しかし高市政権はこうした脱トランプ的な多極的外交の潮流に対して冷淡であり、依然として米国一辺倒の姿勢を崩していません。

 

中東の安定なくしてナフサ・ガソリン問題の構造的解決はあり得ず、その安定を外交によって追求しない選択は、エネルギー安全保障を事実上放棄することを意味します。経済安全保障が売りの高市政権ですが米国にすがるだけの外交が、今まさにその限界を鋭く露呈しているのです。

「今は大丈夫」という政策判断は短期的な合理性を持ちながらも、構造問題を先送りし、それによつて無秩序な経済収縮を加速させるリスクをはらんでいます。

 

■中東問題の棚上げの半世紀

 

日本の中東原油依存という構造的脆弱性は、1970年代のオイルショック以来、半世紀にわたって「知りながら放置」されてきた問題です。その背景には、石油・石化業界と自民党族議員・経済産業省が形成してきた共依存の政治構造があります。構造転換は既存産業の利益を直撃するため、政治的に「触れない問題」であり続けました。

 

同時に日本は長期にわたり米国から貿易黒字を上げてきました。この「外貨」(ドル)で原油を毎年買い込むことが、「ペトロダラー循環」を支えることであり、日本の米国に対する忠誠心の証として認められてきたこともあります。日本は仮に可能であってもロシアやインドネシアや他の国から原油を買うことは、ドル体制の維持のために選択肢から外されてきたのでした。

 

加えて、中東原油が長期にわたって安価であったことが、企業にとっての現状維持を経済的に合理化し、政府がコスト負担を求める政治的意志を持てない状況を固定化しました。さらに日米安保体制のもとで、ホルムズ海峡の安全は事実上アメリカに外注され、日本はエネルギー安全保障を自国問題として内部化する必要を免れてきました。

 

この「安い原油・米国の傘・ドル防衛・族議員政治・官僚の省益」が互いを支え合う構造が、問題認識を行動に転化させない政治的慣性を生み出してきたのです。高市政権の現在の対応はその延長線上にあります。しかし今やトランプ政権の中東政策の変容による大混乱がはじまり、全ては台無しになりつつあります。歴史を直視し、転換を主導する政治的意志が、今まさに問われています。(了)

 

ナフサ危機の現実 「在庫はある」と言う政府見解が通用しない理由 | ワーカーズ ブログ   

 

「産業のコメ」ナフサ不足が 日本の製造業を直撃しつつある | ワーカーズ ブログ   

「NHK、国会前デモ放送を直前で差し替え」記事に注目

| アリの一言

 

 

 

 「市民集会・デモの軽視甚だしい日本のメディア」と題して先日書きましたが(6日のブログ参照)、そのリアルな実態を伝える注目すべき記事が掲載されました。

 

 25日付朝日新聞(デジタル版も)の記者コラム「多事奏論」で田玉恵美編集委員が書いた「放送されなかったデモ 議論なきNHKの「自主判断」」(デジタル版のタイトルは「NHK、国会前デモの放送を直前に差し替え 自主的判断というけれど」)です。たいへん重要な記事なので、長くなりますが全文(デジタル版、中見出しも)転記します。

 

< NHKが国会前デモを放送しない。改憲や戦争に異議を唱え、何度も多くの人たちが集まっているのになぜ?

 

 そんな声が巷(ちまた)で広がるなか、4月8日夜にまた大きなデモがあった。NHKはどうするのか。総合テレビを注視した。

 

 「ニュースウオッチ9」もどこも取り上げない。ただ、夜遅くにNHKのウェブサイトに記事が出た。「憲法改正に反対の市民団体など国会周辺で集会〝9条の堅持を〟」との見出しで、主催者発表でのべ3万人が参加したと伝えている。

 

 翌朝の「おはよう日本」の5時台に「この時間までに入っているニュース」を10本まとめて紹介するコーナーがあり、そこでデモの記事のタイトルは表示されたが、アナウンサーが原稿を読み上げたり、映像を流したりすることはなかった。

 

 テレビで映像を使って放送しないのはどうしてだろう。翌週の定例会見で質問した。報道担当の原聖樹理事は「どのニュースを映像をつけてやるかどうかについては、その当日の編責(編集責任者)を含めて、報道局内で議論した上でオーダー(放送する内容や順番)等を決めている」「個別のニュースについては、そのつど判断しているということに尽きる」と言う。

 

 取材を進めると、疑問が膨らんだ。

 

 突然のアナウンス

 

 デモがあった8日の夜、NHKの制作現場はこのニュースを放送しようとしていた。報道局の関係者によると、社会部が現地で取材し、午後11時40分からの全国向けの最終ニュースに採用された。

 

 5分の枠で、通常はニュース2本と気象情報で埋まる。この日は、米国市場の株価の速報が冒頭に短く入ったが、その後は東大の不祥事で総長が会見をした話題の次にデモのニュースを放送する手はずだった。国会周辺で取材・撮影した映像を編集し、参加者へのインタビューを含む1分あまりのVTRを完成させ、放送開始に備えていたという。

 

 ところが直前になって、放送内容を変えるというアナウンスがニュースセンター内に流れた。代わりに入ったのは、医療用物資を安定的に確保するため厚生労働省が災害時の情報共有システムを活用する、という話題だった。

 

 現場に変更する理由は知らされなかったという。「憲法改正への反対意見だけを流すのは一方的だ、と上層部が懸念したのでは」。局内からはそんな推測の声が聞こえる。

 

 とはいえ、自民党大会が開かれた12日の「ニュース7」では、4分を割いて憲法改正などをめざす同党の意向を伝えていた。登壇したミュージシャンの世良公則さんが「燃えろいい女 燃えろ早苗」と首相を持ち上げて歌う場面には歌詞のテロップまでついた。「早苗」の文字は一回り大きく、色をつけて目立たせている。デモを報じるのが一方的だというなら、これだって一方的だろう。

 

 ともに政治部出身の井上樹彦会長と原理事に「デモを放送しないという判断に、あなたは関与したか」と会見で聞いたとき、2人はそろって否定していた。井上会長は「個別のニュース、これも含めてですね、一つ一つ関与しているわけではありません」と述べている。誰の意向でなぜ放送内容が変わったのか。

 

 腑に落ちない回答

 

 NHK広報局にあらためて質問を送って返答を待っていた19日の日曜に、国会周辺では再びデモがあった。すると午後10時40分からの最終ニュースで、デモの様子や参加者の声が流れた。今度は放送せよとの指示でもあったのだろうか。

 

 その後にNHKから返ってきた回答には「個別の編集判断を含め取材・制作の詳しい過程については、お答えしていません」「ニュースや番組で何をどのように伝えるかについては、報道機関としての自主的な編集判断に基づき、そのつど、総合的に決めています」とあった。

 

 NHKでは、誰のどんな判断なのかを現場に説明すらしないまま放送内容を直前に差し替えることを「自主的な編集判断」と呼ぶらしい。異様すぎないか。

 

 かつてNHKは「放送現場には編集権はない」と国会で答弁した。最終的な編集権は会長にあるという考え方だ。仮にそうだとしても、何をどのように放送すべきなのか、制作現場が議論に参加するのは当然の前提のはずだろう。

 公共放送の使命は「豊かで、よい放送」を届けることだ、とNHKは自ら番組基準でうたっている。議論のないニュースセンターにそれが可能だとは私は思わない。>

 

 NHK(写真右)の政権忖度=報道機関としての自殺行為に特別な驚きはありません。日常的に行われていることの一コマでしょう。

 

 感心したのは田玉記者のジャーナリストとしての姿勢です。着眼点、徹底取材・追及、明快な主張。いずれも素晴らしいです(田玉さんは佐渡金山の朝鮮人強制労働問題でもいい仕事をされています)。このような記者、このような記事が増えることを願ってやみません。

『「戦争できる国」から「戦争なしでは生きられない国」へ 高市首相が突き進む戦争への道』Jアラート、台湾有事と中国脅威のナラティブに脅されて・・

古賀TV

 

【古賀TVの章別つき要約】

 

「戦争できる国」から「戦争なしでは生きられない国」へ

― 高市政権が進める日本の構造転換(章立て要約)

 

●1. 序論:日本は“どの方向へ”変質しているのか

古賀茂明氏は、日本の安全保障政策の変化を「軍事力を持つ国」への転換として捉えるのでは不十分だと指摘する。

むしろ日本は、戦争が政治・経済・社会の前提となる“戦争なしでは生きられない国”へと構造的に変質しつつある。

この変質は、単なる軍拡や法制度の変更ではなく、国家の意思決定や産業構造そのものが戦争と武器産業に依存する方向へと向かう危険を孕む。

 

●2. 恐怖の物語がつくる「軍拡容認社会」

2-1 北朝鮮ミサイルとJアラートの心理的効果

安倍政権期、北朝鮮ミサイル発射に伴うJアラートが繰り返し鳴らされ、国民に強烈な恐怖が植え付けられた。後に「通過後に鳴っていた」などの事実が判明しても、国民の記憶に残るのは恐怖だけである。この“恐怖の記憶”が、軍拡を「仕方ない」と受け入れる心理的土壌を形成した。

 

2-2 中国脅威論・台湾有事論の拡散

安倍元首相の「台湾有事は日本有事」という発言を契機に、台湾有事論が急速に広がった。メディアも「戦後最も厳しい安全保障環境」という枕詞を常用し、国民は軍事力強化を当然視するようになった。こうして、恐怖の物語が軍拡容認の社会的空気を作り出した。

 

●3. 「抑止力」の名で進む軍事力強化

自民党政権は軍拡を「戦争を防ぐための抑止力」と説明し、

★敵基地攻撃能力

★長期戦を前提とした継戦能力

★国産武器の必要性

が当然の政策として受け入れられるようになった。この論理は、国民に「軍事力を増やすことが平和につながる」という認識を浸透させ、軍拡が政治の中心に据えられる構造を生み出した。

 

●4. 武器輸出全面解禁という“論理的帰結”

4-1 三原則の転換:輸出禁止から輸出促進へ

旧・武器輸出三原則は「輸出を止めるための原則」だった。しかし2014年の防衛装備移転三原則は「輸出を可能にするための原則」へと転換した。政府は当初「殺傷兵器は輸出しない」「紛争当事国には出さない」と説明したが、古賀氏は「最初から嘘だった」と述べる。

 

4-2 武器産業を成長戦略に

武器産業を維持するには国内需要だけでは不十分であり、輸出拡大が不可欠となる。その結果、殺傷兵器や紛争当事国への輸出も“例外”の名のもとに実質容認されつつある。米国が要請すれば日本は断れない構造があるため、輸出はさらに拡大する可能性が高い。

 

4-3 「武器輸出は平和貢献」という新しい物語

政府は武器輸出を「国際貢献」「平和維持」と説明するが、古賀氏はこれを「言葉のすり替え」と批判する。武器輸出は、戦争の長期化や紛争の激化を招く可能性が高い。

 

●5. 日本版“軍産官複合体”の形成

5-1 四つのアクターの結合

古賀氏が最も危惧するのは、

★自衛隊(軍)

★武器メーカー(産業界)

★防衛省・経産省(官僚)

★与党政治家(政治)

が結びつく 日本版「軍産官複合体」 の形成である。この複合体が形成されると、戦争が続くほど利益が生まれる構造が固定化される。

 

5-2 防衛産業強化法と国有武器工場

防衛産業強化法により、国有武器工場が合法化された。地方には“武器工場タウン”が生まれ、海外の戦争が続くほど地域経済が潤うという依存構造が生まれる。これは、戦争が経済の前提となる危険な仕組みである。

 

5-3 ヨーロッパで現実化する“武器依存経済”

ウクライナ戦争を契機に閉鎖工場が再稼働し、地域が活性化した結果、住民が戦争に反対しにくくなる現象が起きている。古賀氏は「麻薬のように依存が進む」と警告する。

 

●6. 高市政権の特徴:平和主義の“堂々たる放棄”

安倍・岸田政権が「静かに」進めた政策を、高市政権は「堂々と」推し進めている。殺傷兵器輸出を成長戦略と位置づけ、「時代は変わった」という言葉で批判を切り捨てる姿勢が特徴的である。

 

高市政権は、

★武器輸出の全面解禁

★防衛産業の国家戦略化

★国有武器工場の推進

を積極的に進め、平和主義の後退を既成事実化している。

 

●7. 民主主義の危機:閣議決定だけで進む重大政策

武器輸出解禁など国家の根幹を変える政策が、国会審議なしで閣議決定だけで進んでいる。野党も本質論を避け、手続き論に終始しているため、国民のチェック機能が弱まっている。

 

古賀氏は、

「民主主義の形骸化」こそ最大の問題だ 

と指摘する。

 

●8. 結論:市民が声を上げなければ止まらない、古賀氏は、こうした構造が完成すれば日本は「戦争が続かなければ経済も政治も回らない国」へと変質すると警告する。

 

野党が機能しない以上、唯一の歯止めは市民の声である。恐怖の物語と武器産業の利益構造が結びつくと、民主主義国家でも戦争路線が止まらなくなる。

だからこそ、国民がこの構造を理解し、声を上げることが不可欠だと強調している。以上

 

色鉛筆・・・「高浜原発から関電本店までリレーデモ」


▲脱原発デモ


 11月20日の金曜日、昼間は上着も不要の好天のなか、久しぶりに歩いて足の裏に水ぶくれができました。私が歩いたのはリレーデモの最終日で、大阪のJR吹田駅から関電本店の約15kmの距離ですが、運動不足の私にはやっとの思いのゴールでした。

 このリレーデモは11月8日(日)雨の中、高浜原発先展望所で100名による出発集会を行い、高浜町役場まで8キロ3時間のデモ。その後雨の日が続く13日間デモを通じて現地の人々と交流し、高浜原発再稼働反対の声を伝え運動の輪を広げていきました。総行程約200キロのデモは、琵琶湖の西海岸を経て京都、大阪と続き、近畿1450万人の水源となっている琵琶湖では、放射能汚染を回避したい様々なグループが加わりました。

 老朽でしかもMOX燃料で動く危険な高浜原発は、今年度中にも再稼働されようとしています。もし福島原発と同じくらいの事故が起これば、海岸沿いの先の岬に住む人たちが避難するのは極めて困難と言われています。放射性物質被害は、水源の琵琶湖から大阪・京都・兵庫へと広がるのは既に明らかになっており、日本海への海洋汚染も深刻な事態が予想されます。

 各地を回って来られた方の話では、デモの行き先で沿道から手を振る人、「頑張って!」と声をかける人、お寿司を差し入れしてくれる人など、うれしい反響があったことが報告されました。私も、デモの傍でビラ配布をしていたのですが、わざわざ店先まで出てくれる人、自転車を止めてビラを受け取ってくれる人、関心をもってデモのアピールを聞いてくれる人、出会ったことを大切に自分の気持ちを伝えようと原点に返った気分でした。

 福井地裁が今年4月に出した、高浜原発再稼働差止め仮処分の決定があるのにも係わらず、政府や関電、規制委員会はなぜ再稼働を企てているのか? 人が人間らしく生きる権利が経済的利益に優先することを明言し、原発の危険性を明瞭に指摘した福井地裁の決定は、未来を変えていくための足掛かりとして、尊重されるべきです。

 西宮市の市長が災害復興住宅に住む高齢の女性たちを、20年の契約を根拠に追い出しを強制し、裁判に持ち込もうとしています。憲法13条、平和的生存権は一人ひとりが大事にされ安心して暮らせる、命を大切にされることを権利として保障されていることを根拠に、市長に反撃を準備しています。私たちには、安全で安心した社会で生きる権利があるのです。(恵)

【Bunnmei  ブログ】

 

インドネシアのスラウェシ島の洞窟で壁画を調べるシナトリア・アディティヤタマ氏。このほど考古学者たちは、スラウェシ州のムナ島のリアン・メタンドゥノ洞窟で世界最古の岩絵を発見した。(MAXIME AUBERT)

 

2026年1月、学術誌「ネイチャー」に掲載された一本の論文が、人類史の理解に根本的な問い直しを迫っています。オーストラリア・グリフィス大学とインドネシア国立研究革新庁(BRIN)の共同研究チームが、インドネシア・スラウェシ島南東のムナ島にある洞窟「リアン・メタンドゥノ」で、少なくとも6万7800年前に描かれた手形ステンシルを発見したのです。これは現生人類(ホモ・サピエンス)による洞窟壁画としては現時点で世界最古の記録であり、スペインのマルトラビエソ洞窟に残るネアンデルタール人の手形(約6万6700年前)をも上回ります。

 

 発見された手形は縦14センチ、横10センチほどで、保存状態は決して良好ではありません。しかし、指の先端が細く表現されるスラウェシ島周辺に固有の様式が確認されたことから、研究チームはこれをホモ・サピエンスの作と判断しました。また同じインドネシアでは2024年にも、マロス・パンケップ洞窟で約5万1200年前の物語壁画が発見されていますが、今回の手形はそれよりさらに1万6600年さかのぼります。スラウェシ島周辺は今や、世界で最も重要な「人類史の宝庫」と呼ぶべき地域となりました。

 

 この発見が持つ意義は、単なる年代更新にとどまりません。従来の定説では、ホモ・サピエンスの「出アフリカ」は約7万年前前後とされており、文化的な飛躍はその後に起きたと考えられてきました。しかし今回の発見は、その時期にはすでに人類が東南アジアに到達し、しかも象徴的表現=芸術をすでに実践していたことを示しています。これは拡散の時期を前倒しするだけでなく、人類が移動の段階からすでに高度な文化能力を備えていたことを意味します。

 

 この知見は「認知革命」モデルにも再考を迫ります。ユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』などで広く知られるように、約7万年前に突然の認知的飛躍が起きたとする見方がありますが、今回の発見はその不連続性に強い疑問を呈します。アフリカでは南アフリカのブロンボス洞窟において、すでに7万5000〜10万年前から貝殻の装飾品・顔料の使用・幾何学的な刻み目が確認されています。象徴行為の痕跡は、一点から爆発したのではなく、長い助走期間を持つ連続的な蓄積として現れているのです。

 

 この文脈で特に重要なのが、言語能力の発達をめぐる問題です。ノーム・チョムスキーらが唱えてきた「ある時点での突然変異が言語を生んだ」という急激進化説によれば、象徴行為はそのスイッチが入った後に初めて現れるはずです。しかし洞窟に手形を残す行為は、自分の手を記号として用いる自己象徴化、見えない他者に向けて意図的にメッセージを残すコミュニケーション、そして顔料を調合し場所を選び複数人で作業する社会的協働を前提とします。これらはいずれも言語と深く結びついた能力であり、それが7万年前以前からすでに存在していたという事実は、言語能力もまた突然ではなく長期的・漸進的に発達してきた可能性を強く示唆しています。

 

 では、出アフリカしたホモ・サピエンスは何を「武器」として携えて旅に出たのでしょうか。現在の理解では、二つの層を区別することが重要です。一つは、前頭前野の発達・作業記憶・心の理論(他者の意図を読む能力)・因果的推論といった、アフリカでの長い進化によって培われた生物学的な認知の土台です。もう一つは、精巧な石器技術・顔料・装身具・初期的な語りや言語といった、文化的な蓄積です。人類はこの両者を携えて旅に出ました。

 

 しかし重要なのは、旅が単なる「能力の運搬」ではなかった点です。見知らぬ環境への適応、海を渡るための集団的な計画立案、異なる集団との情報交換——これらが新たな認知能力・文化蓄積の発展をさらに促しました。スラウェシへの到達自体、高度な航海技術と集団的意思決定を必要とするものであり、壁画を残す行為も含めて、旅と文化能力は相互に鍛え合っていたと言えます。

 

 総じて現在の理解は、前世紀のような「ある時点で人間が突然完成した」という不連続なモデルから、「生物学的基盤と協同的行動が生み出す文化的蓄積が相互作用しながら連続的に形成された」という漸進的なモデルへと移行しつつあります。7万年前の祖先が残した赤い手形は、完成した存在の記念碑ではなく、長い旅の途上にあった「形成途上の人類」が洞窟の壁に刻んだ、時空を超えたメッセージなのかもしれません。(了)

【Bunnmei  ブログ】

 

 

2026年2月28日、米国・イスラエルによるイラン攻撃を契機にホルムズ海峡が封鎖されたことで、日本の製造業は「素材供給の断絶」という深刻な危機に直面しています。石油精製の副産物であるナフサは、エチレンを生成し、プラスチックや合成ゴム、医薬品など、あらゆる工業製品の原料となることから「産業のコメ」と称されてきました。中東情勢の混乱を背景にナフサ価格が高騰し、国内製造業への影響が広がっています。 PR TIMES

 

帝国データバンクが2026年4月17日に発表した調査によれば、ナフサ由来の基礎化学品を扱う52社を起点として、一次・二次の取引先までたどると、国内製造業約15万社のうち4万6,741社、実に「約3割」がその影響下にあることが判明しました。 該当企業の約9割を占めているのは売上高1億円未満の中小企業であり、コストを販売価格に転嫁することが難しい下流の現場ほど、負担を抱え込まざるを得ない構造を物語っています。 Yahoo!ニュース

 

問題の根本には、日本のナフサ調達構造のもろさがあります。2020年時点では中東からのナフサ輸入依存度は53.1%でしたが、2024年には73.6%に急上昇していました。日本の石油化学の基礎原料エチレンを生成する原料の95%以上をナフサが占めており、米国(シェール由来エタンが主体)や欧州(LPGを一定活用)と比べ、突出したナフサ一本足構造となっていました。 この脆弱な構造がホルムズ海峡封鎖によって一気にナフサ不足を露呈した形です。

 

ナフサ危機はエチレンプラントへの打撃と同義です。国内に12基存在するエチレンプラントのうち、4月初旬時点で半数が減産体制にあり、フル稼働を維持できているのはわずか3基という異常事態となっています。操業停止中のエチレンプラントを再稼働させるには、最低でも30日以上かかります。 Sdki

 

供給不足を補うべく、代替調達も急ピッチで進んでいます。政府および石油化学各社は、米国、オーストラリア、インド、アルジェリアといった非中東地域からの代替調達を急いでおり、2026年4月の非中東産ナフサの到着量は、平時の倍増となる約90万キロリットルに達する見通しです。 ただし、アフリカ南端の喜望峰ルートを経由する場合、輸送日数は通常より14日増加し、燃料コストは1.5倍に跳ね上がります。この輸送期間の延長は、在庫回転率を低下させ、キャッシュフローを圧迫するだけでなく、将来の不確実性を見越して素材メーカー側が受注を制限する「防衛的供給制限」を引き起こしています。 Sattu-ai-agent

 

政府の対応も批判を受けています。政府は「国内需要の4ヶ月分を確保している」と強調していますが、一部の石油化学製品については依然として不足が解消されておらず、供給への不安は拭えていません。 Zoukaichiku この「在庫はある」という発信が産業界の危機感を緩め、代替調達への動きを遅らせたとの見方もあります。

 

高市早苗首相は4月16日、首相官邸で開いた中東情勢に関する関係閣僚会議で、国が備蓄している医療用手袋5,000万枚を5月から放出すると表明しました。また、経済安全保障推進法に基づく「特定重要物資」への指定について「効果的な方策だ」と主張し、経済産業省は石油や天然ガス由来の化学製品の指定を目指しています。 Nikkei しかし医療物資の優先確保は、自動車部品や建材といった基幹産業への供給順位を実質的に下げることにもつながります。

 

2026年4月に施行された改正物流効率化法により、荷主には物流統括管理者の選任と効率化が義務付けられましたが、原料不足による工場稼働の不規則化により、計画的な配送が困難となり、逆に物流効率が低下するという矛盾も生じています。 Sattu-ai-agent

 

ナフサ危機の本質は、エネルギー問題にとどまらない「素材の連鎖崩壊」にあります。一つの素材の危機が、川下のすべての産業を順番に締め上げていくのです。実になんと96.6%の企業が原油高の影響を訴えており、今後、事業縮小の可能性について「6か月以内で縮小」と答えた企業は4割を超え、製造業に絞れば「3か月以内に縮小」との回答も22.8%に上ります。 Yahoo!ニュース国民の目がガソリン価格の変動に向いている間に、日本の製造業の根幹を支える素材供給の網が静かに解けつつあります。早急かつ実効性ある対策が求められています。

 

4月17日の「ホルムズ海峡航行の自由」首脳会合に、欧州・韓国が首脳級で参加した一方、高市首相は書面メッセージのみで欠席しました。ナフサ危機の最大被害国でありながらの欠席は、米国・イランの狭間での立場の曖昧さを示すものであり、経済安全保障を看板とする政権の矛盾として、外交姿勢の消極性と日本政府の無力さを露呈したと言わざるを得ません。(了)

日曜日記399・ヨルダンの街頭に見る「はだしのゲン」の力

 | アリの一言

 

 

 16日付京都新聞夕刊の写真(共同配信)が目を引いた。キャプションはこう説明している。

<ヨルダンの首都アンマンの土産物店が並ぶマーケットの一角で、見覚えのある漫画が目に留まりました。表紙にはアラビア語で「はだしのゲン」と書かれているようです。広島原爆被害を描いた不朽の名作です。ヨルダンの人たちに漫画表現は伝わるのかと思って眺めていましたが、訪れた男性は「漫画だと手に取りやすくていいね」と見入っていました。>

 

 トランプとエタニヤフが仕掛けた「戦争」の渦中にある中東。そのヨルダンの街頭に「ゲン」がいる。

 

 「はだしのゲン」(中沢啓治<1939-2012>作)は24の言語に翻訳され、世界中で読まれている。翻訳者にも特別の思いがある。

 

 7年かけて全10巻を中国語に訳した坂東弘美さんは、特高の拷問を受けながら反戦を貫いたゲンの父親(中沢さんの父親)と、帝国日本の兵士として中国で現地の人びとを殺害した自分の父親の落差を思ったとき、「父親が戦争を生き延びたから私がいる。そんな自分が、受けたものを社会に返すことができるとすれば、それは「ゲン」を翻訳すること」と思った(2023年8月20日のNHK「こころの時代」、同8月21日のブログ参照)。

 

 中沢さんは2024年に、「漫画のアカデミー賞」といわれるアメリカのアイズナー賞(「コミックの殿堂」部門)を受賞した。ただ世界中で読まれているだけでなく、その優秀さが評価されているのだ。まさに日本の宝だ。

 

 ところが当の日本で、「ゲン」は世界で評価されているほどには評価されていないと思う。それどころか攻撃さえ受けている。

 

 松江市が閲覧を制限しようとしたり(2013年)、各地の図書館で破られたりした。

 中でも許せないのは、「ゲン」の舞台であり中沢さんの出身地である広島市で、教育勅語を賛美する松井一実市長の下で「ゲン」が平和教育の教材から削除(差し替え)されたことだ(23年2月18日のブログ参照)。

 

 なぜ「ゲン」は攻撃を受けるのか。それは「ゲン」がたんに「広島原爆被害を描いた」文学ではないからだ。「ゲン」には少なくともあと2つ、重要なテーマがある。在日朝鮮人差別に対する怒りと、天皇の戦争責任追及・天皇制批判だ。それが「ゲン」に他の「原爆文学」にない不朽の輝きを与えている。だから右翼や権力側から攻撃される。

 「天皇(制)タブー」が日本の宝を腐らせようとしているのだ。

 

 ヨルダンはじめ「ゲン」を読んでいる世界中の人々は、日本では天皇裕仁の戦争責任が追及され天皇制が批判されていると思うかもしれない。だとすればそれは残念ながら幻想だ。

 

 「はだしのゲン」を読み直し、その価値を再認識する必要があるのは、日本人自身だ。