「NHK、国会前デモ放送を直前で差し替え」記事に注目

| アリの一言

 

 

 

 「市民集会・デモの軽視甚だしい日本のメディア」と題して先日書きましたが(6日のブログ参照)、そのリアルな実態を伝える注目すべき記事が掲載されました。

 

 25日付朝日新聞(デジタル版も)の記者コラム「多事奏論」で田玉恵美編集委員が書いた「放送されなかったデモ 議論なきNHKの「自主判断」」(デジタル版のタイトルは「NHK、国会前デモの放送を直前に差し替え 自主的判断というけれど」)です。たいへん重要な記事なので、長くなりますが全文(デジタル版、中見出しも)転記します。

 

< NHKが国会前デモを放送しない。改憲や戦争に異議を唱え、何度も多くの人たちが集まっているのになぜ?

 

 そんな声が巷(ちまた)で広がるなか、4月8日夜にまた大きなデモがあった。NHKはどうするのか。総合テレビを注視した。

 

 「ニュースウオッチ9」もどこも取り上げない。ただ、夜遅くにNHKのウェブサイトに記事が出た。「憲法改正に反対の市民団体など国会周辺で集会〝9条の堅持を〟」との見出しで、主催者発表でのべ3万人が参加したと伝えている。

 

 翌朝の「おはよう日本」の5時台に「この時間までに入っているニュース」を10本まとめて紹介するコーナーがあり、そこでデモの記事のタイトルは表示されたが、アナウンサーが原稿を読み上げたり、映像を流したりすることはなかった。

 

 テレビで映像を使って放送しないのはどうしてだろう。翌週の定例会見で質問した。報道担当の原聖樹理事は「どのニュースを映像をつけてやるかどうかについては、その当日の編責(編集責任者)を含めて、報道局内で議論した上でオーダー(放送する内容や順番)等を決めている」「個別のニュースについては、そのつど判断しているということに尽きる」と言う。

 

 取材を進めると、疑問が膨らんだ。

 

 突然のアナウンス

 

 デモがあった8日の夜、NHKの制作現場はこのニュースを放送しようとしていた。報道局の関係者によると、社会部が現地で取材し、午後11時40分からの全国向けの最終ニュースに採用された。

 

 5分の枠で、通常はニュース2本と気象情報で埋まる。この日は、米国市場の株価の速報が冒頭に短く入ったが、その後は東大の不祥事で総長が会見をした話題の次にデモのニュースを放送する手はずだった。国会周辺で取材・撮影した映像を編集し、参加者へのインタビューを含む1分あまりのVTRを完成させ、放送開始に備えていたという。

 

 ところが直前になって、放送内容を変えるというアナウンスがニュースセンター内に流れた。代わりに入ったのは、医療用物資を安定的に確保するため厚生労働省が災害時の情報共有システムを活用する、という話題だった。

 

 現場に変更する理由は知らされなかったという。「憲法改正への反対意見だけを流すのは一方的だ、と上層部が懸念したのでは」。局内からはそんな推測の声が聞こえる。

 

 とはいえ、自民党大会が開かれた12日の「ニュース7」では、4分を割いて憲法改正などをめざす同党の意向を伝えていた。登壇したミュージシャンの世良公則さんが「燃えろいい女 燃えろ早苗」と首相を持ち上げて歌う場面には歌詞のテロップまでついた。「早苗」の文字は一回り大きく、色をつけて目立たせている。デモを報じるのが一方的だというなら、これだって一方的だろう。

 

 ともに政治部出身の井上樹彦会長と原理事に「デモを放送しないという判断に、あなたは関与したか」と会見で聞いたとき、2人はそろって否定していた。井上会長は「個別のニュース、これも含めてですね、一つ一つ関与しているわけではありません」と述べている。誰の意向でなぜ放送内容が変わったのか。

 

 腑に落ちない回答

 

 NHK広報局にあらためて質問を送って返答を待っていた19日の日曜に、国会周辺では再びデモがあった。すると午後10時40分からの最終ニュースで、デモの様子や参加者の声が流れた。今度は放送せよとの指示でもあったのだろうか。

 

 その後にNHKから返ってきた回答には「個別の編集判断を含め取材・制作の詳しい過程については、お答えしていません」「ニュースや番組で何をどのように伝えるかについては、報道機関としての自主的な編集判断に基づき、そのつど、総合的に決めています」とあった。

 

 NHKでは、誰のどんな判断なのかを現場に説明すらしないまま放送内容を直前に差し替えることを「自主的な編集判断」と呼ぶらしい。異様すぎないか。

 

 かつてNHKは「放送現場には編集権はない」と国会で答弁した。最終的な編集権は会長にあるという考え方だ。仮にそうだとしても、何をどのように放送すべきなのか、制作現場が議論に参加するのは当然の前提のはずだろう。

 公共放送の使命は「豊かで、よい放送」を届けることだ、とNHKは自ら番組基準でうたっている。議論のないニュースセンターにそれが可能だとは私は思わない。>

 

 NHK(写真右)の政権忖度=報道機関としての自殺行為に特別な驚きはありません。日常的に行われていることの一コマでしょう。

 

 感心したのは田玉記者のジャーナリストとしての姿勢です。着眼点、徹底取材・追及、明快な主張。いずれも素晴らしいです(田玉さんは佐渡金山の朝鮮人強制労働問題でもいい仕事をされています)。このような記者、このような記事が増えることを願ってやみません。

『「戦争できる国」から「戦争なしでは生きられない国」へ 高市首相が突き進む戦争への道』Jアラート、台湾有事と中国脅威のナラティブに脅されて・・

古賀TV

 

【古賀TVの章別つき要約】

 

「戦争できる国」から「戦争なしでは生きられない国」へ

― 高市政権が進める日本の構造転換(章立て要約)

 

●1. 序論:日本は“どの方向へ”変質しているのか

古賀茂明氏は、日本の安全保障政策の変化を「軍事力を持つ国」への転換として捉えるのでは不十分だと指摘する。

むしろ日本は、戦争が政治・経済・社会の前提となる“戦争なしでは生きられない国”へと構造的に変質しつつある。

この変質は、単なる軍拡や法制度の変更ではなく、国家の意思決定や産業構造そのものが戦争と武器産業に依存する方向へと向かう危険を孕む。

 

●2. 恐怖の物語がつくる「軍拡容認社会」

2-1 北朝鮮ミサイルとJアラートの心理的効果

安倍政権期、北朝鮮ミサイル発射に伴うJアラートが繰り返し鳴らされ、国民に強烈な恐怖が植え付けられた。後に「通過後に鳴っていた」などの事実が判明しても、国民の記憶に残るのは恐怖だけである。この“恐怖の記憶”が、軍拡を「仕方ない」と受け入れる心理的土壌を形成した。

 

2-2 中国脅威論・台湾有事論の拡散

安倍元首相の「台湾有事は日本有事」という発言を契機に、台湾有事論が急速に広がった。メディアも「戦後最も厳しい安全保障環境」という枕詞を常用し、国民は軍事力強化を当然視するようになった。こうして、恐怖の物語が軍拡容認の社会的空気を作り出した。

 

●3. 「抑止力」の名で進む軍事力強化

自民党政権は軍拡を「戦争を防ぐための抑止力」と説明し、

★敵基地攻撃能力

★長期戦を前提とした継戦能力

★国産武器の必要性

が当然の政策として受け入れられるようになった。この論理は、国民に「軍事力を増やすことが平和につながる」という認識を浸透させ、軍拡が政治の中心に据えられる構造を生み出した。

 

●4. 武器輸出全面解禁という“論理的帰結”

4-1 三原則の転換:輸出禁止から輸出促進へ

旧・武器輸出三原則は「輸出を止めるための原則」だった。しかし2014年の防衛装備移転三原則は「輸出を可能にするための原則」へと転換した。政府は当初「殺傷兵器は輸出しない」「紛争当事国には出さない」と説明したが、古賀氏は「最初から嘘だった」と述べる。

 

4-2 武器産業を成長戦略に

武器産業を維持するには国内需要だけでは不十分であり、輸出拡大が不可欠となる。その結果、殺傷兵器や紛争当事国への輸出も“例外”の名のもとに実質容認されつつある。米国が要請すれば日本は断れない構造があるため、輸出はさらに拡大する可能性が高い。

 

4-3 「武器輸出は平和貢献」という新しい物語

政府は武器輸出を「国際貢献」「平和維持」と説明するが、古賀氏はこれを「言葉のすり替え」と批判する。武器輸出は、戦争の長期化や紛争の激化を招く可能性が高い。

 

●5. 日本版“軍産官複合体”の形成

5-1 四つのアクターの結合

古賀氏が最も危惧するのは、

★自衛隊(軍)

★武器メーカー(産業界)

★防衛省・経産省(官僚)

★与党政治家(政治)

が結びつく 日本版「軍産官複合体」 の形成である。この複合体が形成されると、戦争が続くほど利益が生まれる構造が固定化される。

 

5-2 防衛産業強化法と国有武器工場

防衛産業強化法により、国有武器工場が合法化された。地方には“武器工場タウン”が生まれ、海外の戦争が続くほど地域経済が潤うという依存構造が生まれる。これは、戦争が経済の前提となる危険な仕組みである。

 

5-3 ヨーロッパで現実化する“武器依存経済”

ウクライナ戦争を契機に閉鎖工場が再稼働し、地域が活性化した結果、住民が戦争に反対しにくくなる現象が起きている。古賀氏は「麻薬のように依存が進む」と警告する。

 

●6. 高市政権の特徴:平和主義の“堂々たる放棄”

安倍・岸田政権が「静かに」進めた政策を、高市政権は「堂々と」推し進めている。殺傷兵器輸出を成長戦略と位置づけ、「時代は変わった」という言葉で批判を切り捨てる姿勢が特徴的である。

 

高市政権は、

★武器輸出の全面解禁

★防衛産業の国家戦略化

★国有武器工場の推進

を積極的に進め、平和主義の後退を既成事実化している。

 

●7. 民主主義の危機:閣議決定だけで進む重大政策

武器輸出解禁など国家の根幹を変える政策が、国会審議なしで閣議決定だけで進んでいる。野党も本質論を避け、手続き論に終始しているため、国民のチェック機能が弱まっている。

 

古賀氏は、

「民主主義の形骸化」こそ最大の問題だ 

と指摘する。

 

●8. 結論:市民が声を上げなければ止まらない、古賀氏は、こうした構造が完成すれば日本は「戦争が続かなければ経済も政治も回らない国」へと変質すると警告する。

 

野党が機能しない以上、唯一の歯止めは市民の声である。恐怖の物語と武器産業の利益構造が結びつくと、民主主義国家でも戦争路線が止まらなくなる。

だからこそ、国民がこの構造を理解し、声を上げることが不可欠だと強調している。以上

 

色鉛筆・・・「高浜原発から関電本店までリレーデモ」


▲脱原発デモ


 11月20日の金曜日、昼間は上着も不要の好天のなか、久しぶりに歩いて足の裏に水ぶくれができました。私が歩いたのはリレーデモの最終日で、大阪のJR吹田駅から関電本店の約15kmの距離ですが、運動不足の私にはやっとの思いのゴールでした。

 このリレーデモは11月8日(日)雨の中、高浜原発先展望所で100名による出発集会を行い、高浜町役場まで8キロ3時間のデモ。その後雨の日が続く13日間デモを通じて現地の人々と交流し、高浜原発再稼働反対の声を伝え運動の輪を広げていきました。総行程約200キロのデモは、琵琶湖の西海岸を経て京都、大阪と続き、近畿1450万人の水源となっている琵琶湖では、放射能汚染を回避したい様々なグループが加わりました。

 老朽でしかもMOX燃料で動く危険な高浜原発は、今年度中にも再稼働されようとしています。もし福島原発と同じくらいの事故が起これば、海岸沿いの先の岬に住む人たちが避難するのは極めて困難と言われています。放射性物質被害は、水源の琵琶湖から大阪・京都・兵庫へと広がるのは既に明らかになっており、日本海への海洋汚染も深刻な事態が予想されます。

 各地を回って来られた方の話では、デモの行き先で沿道から手を振る人、「頑張って!」と声をかける人、お寿司を差し入れしてくれる人など、うれしい反響があったことが報告されました。私も、デモの傍でビラ配布をしていたのですが、わざわざ店先まで出てくれる人、自転車を止めてビラを受け取ってくれる人、関心をもってデモのアピールを聞いてくれる人、出会ったことを大切に自分の気持ちを伝えようと原点に返った気分でした。

 福井地裁が今年4月に出した、高浜原発再稼働差止め仮処分の決定があるのにも係わらず、政府や関電、規制委員会はなぜ再稼働を企てているのか? 人が人間らしく生きる権利が経済的利益に優先することを明言し、原発の危険性を明瞭に指摘した福井地裁の決定は、未来を変えていくための足掛かりとして、尊重されるべきです。

 西宮市の市長が災害復興住宅に住む高齢の女性たちを、20年の契約を根拠に追い出しを強制し、裁判に持ち込もうとしています。憲法13条、平和的生存権は一人ひとりが大事にされ安心して暮らせる、命を大切にされることを権利として保障されていることを根拠に、市長に反撃を準備しています。私たちには、安全で安心した社会で生きる権利があるのです。(恵)

【Bunnmei  ブログ】

 

インドネシアのスラウェシ島の洞窟で壁画を調べるシナトリア・アディティヤタマ氏。このほど考古学者たちは、スラウェシ州のムナ島のリアン・メタンドゥノ洞窟で世界最古の岩絵を発見した。(MAXIME AUBERT)

 

2026年1月、学術誌「ネイチャー」に掲載された一本の論文が、人類史の理解に根本的な問い直しを迫っています。オーストラリア・グリフィス大学とインドネシア国立研究革新庁(BRIN)の共同研究チームが、インドネシア・スラウェシ島南東のムナ島にある洞窟「リアン・メタンドゥノ」で、少なくとも6万7800年前に描かれた手形ステンシルを発見したのです。これは現生人類(ホモ・サピエンス)による洞窟壁画としては現時点で世界最古の記録であり、スペインのマルトラビエソ洞窟に残るネアンデルタール人の手形(約6万6700年前)をも上回ります。

 

 発見された手形は縦14センチ、横10センチほどで、保存状態は決して良好ではありません。しかし、指の先端が細く表現されるスラウェシ島周辺に固有の様式が確認されたことから、研究チームはこれをホモ・サピエンスの作と判断しました。また同じインドネシアでは2024年にも、マロス・パンケップ洞窟で約5万1200年前の物語壁画が発見されていますが、今回の手形はそれよりさらに1万6600年さかのぼります。スラウェシ島周辺は今や、世界で最も重要な「人類史の宝庫」と呼ぶべき地域となりました。

 

 この発見が持つ意義は、単なる年代更新にとどまりません。従来の定説では、ホモ・サピエンスの「出アフリカ」は約7万年前前後とされており、文化的な飛躍はその後に起きたと考えられてきました。しかし今回の発見は、その時期にはすでに人類が東南アジアに到達し、しかも象徴的表現=芸術をすでに実践していたことを示しています。これは拡散の時期を前倒しするだけでなく、人類が移動の段階からすでに高度な文化能力を備えていたことを意味します。

 

 この知見は「認知革命」モデルにも再考を迫ります。ユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』などで広く知られるように、約7万年前に突然の認知的飛躍が起きたとする見方がありますが、今回の発見はその不連続性に強い疑問を呈します。アフリカでは南アフリカのブロンボス洞窟において、すでに7万5000〜10万年前から貝殻の装飾品・顔料の使用・幾何学的な刻み目が確認されています。象徴行為の痕跡は、一点から爆発したのではなく、長い助走期間を持つ連続的な蓄積として現れているのです。

 

 この文脈で特に重要なのが、言語能力の発達をめぐる問題です。ノーム・チョムスキーらが唱えてきた「ある時点での突然変異が言語を生んだ」という急激進化説によれば、象徴行為はそのスイッチが入った後に初めて現れるはずです。しかし洞窟に手形を残す行為は、自分の手を記号として用いる自己象徴化、見えない他者に向けて意図的にメッセージを残すコミュニケーション、そして顔料を調合し場所を選び複数人で作業する社会的協働を前提とします。これらはいずれも言語と深く結びついた能力であり、それが7万年前以前からすでに存在していたという事実は、言語能力もまた突然ではなく長期的・漸進的に発達してきた可能性を強く示唆しています。

 

 では、出アフリカしたホモ・サピエンスは何を「武器」として携えて旅に出たのでしょうか。現在の理解では、二つの層を区別することが重要です。一つは、前頭前野の発達・作業記憶・心の理論(他者の意図を読む能力)・因果的推論といった、アフリカでの長い進化によって培われた生物学的な認知の土台です。もう一つは、精巧な石器技術・顔料・装身具・初期的な語りや言語といった、文化的な蓄積です。人類はこの両者を携えて旅に出ました。

 

 しかし重要なのは、旅が単なる「能力の運搬」ではなかった点です。見知らぬ環境への適応、海を渡るための集団的な計画立案、異なる集団との情報交換——これらが新たな認知能力・文化蓄積の発展をさらに促しました。スラウェシへの到達自体、高度な航海技術と集団的意思決定を必要とするものであり、壁画を残す行為も含めて、旅と文化能力は相互に鍛え合っていたと言えます。

 

 総じて現在の理解は、前世紀のような「ある時点で人間が突然完成した」という不連続なモデルから、「生物学的基盤と協同的行動が生み出す文化的蓄積が相互作用しながら連続的に形成された」という漸進的なモデルへと移行しつつあります。7万年前の祖先が残した赤い手形は、完成した存在の記念碑ではなく、長い旅の途上にあった「形成途上の人類」が洞窟の壁に刻んだ、時空を超えたメッセージなのかもしれません。(了)

【Bunnmei  ブログ】

 

 

2026年2月28日、米国・イスラエルによるイラン攻撃を契機にホルムズ海峡が封鎖されたことで、日本の製造業は「素材供給の断絶」という深刻な危機に直面しています。石油精製の副産物であるナフサは、エチレンを生成し、プラスチックや合成ゴム、医薬品など、あらゆる工業製品の原料となることから「産業のコメ」と称されてきました。中東情勢の混乱を背景にナフサ価格が高騰し、国内製造業への影響が広がっています。 PR TIMES

 

帝国データバンクが2026年4月17日に発表した調査によれば、ナフサ由来の基礎化学品を扱う52社を起点として、一次・二次の取引先までたどると、国内製造業約15万社のうち4万6,741社、実に「約3割」がその影響下にあることが判明しました。 該当企業の約9割を占めているのは売上高1億円未満の中小企業であり、コストを販売価格に転嫁することが難しい下流の現場ほど、負担を抱え込まざるを得ない構造を物語っています。 Yahoo!ニュース

 

問題の根本には、日本のナフサ調達構造のもろさがあります。2020年時点では中東からのナフサ輸入依存度は53.1%でしたが、2024年には73.6%に急上昇していました。日本の石油化学の基礎原料エチレンを生成する原料の95%以上をナフサが占めており、米国(シェール由来エタンが主体)や欧州(LPGを一定活用)と比べ、突出したナフサ一本足構造となっていました。 この脆弱な構造がホルムズ海峡封鎖によって一気にナフサ不足を露呈した形です。

 

ナフサ危機はエチレンプラントへの打撃と同義です。国内に12基存在するエチレンプラントのうち、4月初旬時点で半数が減産体制にあり、フル稼働を維持できているのはわずか3基という異常事態となっています。操業停止中のエチレンプラントを再稼働させるには、最低でも30日以上かかります。 Sdki

 

供給不足を補うべく、代替調達も急ピッチで進んでいます。政府および石油化学各社は、米国、オーストラリア、インド、アルジェリアといった非中東地域からの代替調達を急いでおり、2026年4月の非中東産ナフサの到着量は、平時の倍増となる約90万キロリットルに達する見通しです。 ただし、アフリカ南端の喜望峰ルートを経由する場合、輸送日数は通常より14日増加し、燃料コストは1.5倍に跳ね上がります。この輸送期間の延長は、在庫回転率を低下させ、キャッシュフローを圧迫するだけでなく、将来の不確実性を見越して素材メーカー側が受注を制限する「防衛的供給制限」を引き起こしています。 Sattu-ai-agent

 

政府の対応も批判を受けています。政府は「国内需要の4ヶ月分を確保している」と強調していますが、一部の石油化学製品については依然として不足が解消されておらず、供給への不安は拭えていません。 Zoukaichiku この「在庫はある」という発信が産業界の危機感を緩め、代替調達への動きを遅らせたとの見方もあります。

 

高市早苗首相は4月16日、首相官邸で開いた中東情勢に関する関係閣僚会議で、国が備蓄している医療用手袋5,000万枚を5月から放出すると表明しました。また、経済安全保障推進法に基づく「特定重要物資」への指定について「効果的な方策だ」と主張し、経済産業省は石油や天然ガス由来の化学製品の指定を目指しています。 Nikkei しかし医療物資の優先確保は、自動車部品や建材といった基幹産業への供給順位を実質的に下げることにもつながります。

 

2026年4月に施行された改正物流効率化法により、荷主には物流統括管理者の選任と効率化が義務付けられましたが、原料不足による工場稼働の不規則化により、計画的な配送が困難となり、逆に物流効率が低下するという矛盾も生じています。 Sattu-ai-agent

 

ナフサ危機の本質は、エネルギー問題にとどまらない「素材の連鎖崩壊」にあります。一つの素材の危機が、川下のすべての産業を順番に締め上げていくのです。実になんと96.6%の企業が原油高の影響を訴えており、今後、事業縮小の可能性について「6か月以内で縮小」と答えた企業は4割を超え、製造業に絞れば「3か月以内に縮小」との回答も22.8%に上ります。 Yahoo!ニュース国民の目がガソリン価格の変動に向いている間に、日本の製造業の根幹を支える素材供給の網が静かに解けつつあります。早急かつ実効性ある対策が求められています。

 

4月17日の「ホルムズ海峡航行の自由」首脳会合に、欧州・韓国が首脳級で参加した一方、高市首相は書面メッセージのみで欠席しました。ナフサ危機の最大被害国でありながらの欠席は、米国・イランの狭間での立場の曖昧さを示すものであり、経済安全保障を看板とする政権の矛盾として、外交姿勢の消極性と日本政府の無力さを露呈したと言わざるを得ません。(了)

日曜日記399・ヨルダンの街頭に見る「はだしのゲン」の力

 | アリの一言

 

 

 16日付京都新聞夕刊の写真(共同配信)が目を引いた。キャプションはこう説明している。

<ヨルダンの首都アンマンの土産物店が並ぶマーケットの一角で、見覚えのある漫画が目に留まりました。表紙にはアラビア語で「はだしのゲン」と書かれているようです。広島原爆被害を描いた不朽の名作です。ヨルダンの人たちに漫画表現は伝わるのかと思って眺めていましたが、訪れた男性は「漫画だと手に取りやすくていいね」と見入っていました。>

 

 トランプとエタニヤフが仕掛けた「戦争」の渦中にある中東。そのヨルダンの街頭に「ゲン」がいる。

 

 「はだしのゲン」(中沢啓治<1939-2012>作)は24の言語に翻訳され、世界中で読まれている。翻訳者にも特別の思いがある。

 

 7年かけて全10巻を中国語に訳した坂東弘美さんは、特高の拷問を受けながら反戦を貫いたゲンの父親(中沢さんの父親)と、帝国日本の兵士として中国で現地の人びとを殺害した自分の父親の落差を思ったとき、「父親が戦争を生き延びたから私がいる。そんな自分が、受けたものを社会に返すことができるとすれば、それは「ゲン」を翻訳すること」と思った(2023年8月20日のNHK「こころの時代」、同8月21日のブログ参照)。

 

 中沢さんは2024年に、「漫画のアカデミー賞」といわれるアメリカのアイズナー賞(「コミックの殿堂」部門)を受賞した。ただ世界中で読まれているだけでなく、その優秀さが評価されているのだ。まさに日本の宝だ。

 

 ところが当の日本で、「ゲン」は世界で評価されているほどには評価されていないと思う。それどころか攻撃さえ受けている。

 

 松江市が閲覧を制限しようとしたり(2013年)、各地の図書館で破られたりした。

 中でも許せないのは、「ゲン」の舞台であり中沢さんの出身地である広島市で、教育勅語を賛美する松井一実市長の下で「ゲン」が平和教育の教材から削除(差し替え)されたことだ(23年2月18日のブログ参照)。

 

 なぜ「ゲン」は攻撃を受けるのか。それは「ゲン」がたんに「広島原爆被害を描いた」文学ではないからだ。「ゲン」には少なくともあと2つ、重要なテーマがある。在日朝鮮人差別に対する怒りと、天皇の戦争責任追及・天皇制批判だ。それが「ゲン」に他の「原爆文学」にない不朽の輝きを与えている。だから右翼や権力側から攻撃される。

 「天皇(制)タブー」が日本の宝を腐らせようとしているのだ。

 

 ヨルダンはじめ「ゲン」を読んでいる世界中の人々は、日本では天皇裕仁の戦争責任が追及され天皇制が批判されていると思うかもしれない。だとすればそれは残念ながら幻想だ。

 

 「はだしのゲン」を読み直し、その価値を再認識する必要があるのは、日本人自身だ。

 

階級政治は再び勝利できるのか?

Can Class Politics Win Again?
対談

クリスタル・ボール、ヴィヴェック・チバー、マット・カープが、バーニー・サンダースの選挙運動以降、階級政治がなぜ停滞してしまったのか、そしてなぜ今、新たな政治的機運がついに生まれつつあるのかについて議論する。

 

Bernie Sanders and Zohran Mamdani address striking nurses in New York, New York.

ニューヨーク市長ゾーラン・マムダニとバーモント州上院議員バーニー・サンダースが、2026年1月20日にニューヨーク市で看護師たちと共にピケットラインに立っています。(セルクク・アカー / アナドル、Getty Images経由)

 

【記事の要約】

本記事は、バーニー・サンダース運動以降の左派の選挙戦略がなぜ停滞したのか、そして今後どのような再生の可能性があるのかを検討しています。議論の中心にあるのは、「階級政治(class politics)」をいかにして持続的な政治力へ転換するかという問題です。

 

登場する論者たちは、サンダース運動が一時的に大衆的な支持を集めたものの、それを制度的・組織的な力へと結びつけることに失敗したと指摘します。その主因として、労働組合の弱体化や、労働者階級を基盤とする組織の欠如が挙げられます。つまり、怒りや不満といった「潜在的エネルギー」は存在しても、それを政治的に組織化する回路が不十分だったという認識です。

 

また、民主党との関係も重要な論点です。左派は長らく民主党内での改革(いわゆる「内側からの変革」)を試みてきましたが、党の構造や支持基盤の変化により、その戦略には限界があることが明らかになってきました。とりわけ専門職・中間層への依存が強まる中で、労働者階級との結びつきが弱まり、左派の主張が広範な支持を得にくくなっています。

 

一方で、論者たちは悲観一色ではありません。近年のストライキの増加や労働運動の再活性化は、新たな政治的可能性を示しているとされます。持続的な変革の鍵は、選挙キャンペーンだけでなく、職場や地域に根ざした組織づくりにあると強調されます。つまり、選挙戦略と社会運動を結びつけ、長期的に労働者階級の力を再建する必要があるということです。

 

結論として、本記事は、左派が再び力を持つためには、単なる候補者中心の政治から脱し、労働組合などを軸とした集団的基盤を再構築することが不可欠であると論じています。選挙は重要だが、それを支える社会的インフラこそが決定的だ、というのが核心的な主張です。

 

なんでも紹介

・・・「沖縄『戦後』ゼロ年」 目取真俊著


 辺野古米軍ゲート前「座り込み500日、1000人結集」と、翌日の11月19日の琉球新報が一面に報じた。参加した仲宗根悟県議は、政府の作業強行に「わじわじーして、わったーうちなー、うしぇてぇーならん(怒りが沸いてきた。沖縄の人を見くびってはならない)。(移設反対の)うねりをつくっていこう」と呼びかけた、とある。

昨年7月の座り込み開始から500日!雨風や酷暑、寒さにも耐えての非暴力・不服従を貫く新基地反対の沖縄の民意は揺るぎない。それまでの、沖縄県警機動隊100人に加え、11月4日からは東京警視庁からさらに百数十人を増員、合計200人以上で対応して半月あまり。抗議の声は高まり強まりこそすれ、もはや弱まることはない。

 ゲート前だけではなく、辺野古海岸近くのテントでの座り込みは11年7ヶ月、4232日にも及んでいる。こんなにはっきりと示されている「新基地はいらない」の民意に一切耳を貸さず、むき出しの暴力で抑えつける政権は、かつて無かった。

 単純計算で、沖縄県民140万人の8割、112万人が反対し、翁長知事が、前知事の埋め立て承認に「瑕疵がある」としてその取り消しを表明してもなお、政府は新基地建設を強行。さらには県を提訴した。政府側の勝訴を言う人もいるが、それは分からない。知事と名護市長が、工事阻止のため「あらゆる手段」で対抗。沖縄の訴えに、国内世論も、国際社会からも少しづつ理解や味方が増えてきている。

 何よりも基地NOの民意は強固だ。

今、沖縄を考える時に、本土に住む私たちにとってとても良い本をみつけた。

沖縄に「戦後」=「戦争が終わった後」はあったのか?という問いかけで始まる「沖縄「戦後」ゼロ年」(生活人新書2005年7月・NHK出版)。10年前の発行で、「第1部、 沖縄戦と基地問題を考える」で語られていることは、今もそのまま。むしろ問題がより鮮明になってきている。

1960年に、本島北部の今帰仁村に生まれ育った著者は、今も辺野古で基地反対に取り組み続ける。父母から、祖父母から、沖縄戦や沖縄差別などを聞いて育ち、自身も基地問題と向き合い問いかけを続けている。

沖縄戦当時、わずか14歳(1930年生まれ)で銃を持たされ酷い体験を強いられた父親は、最晩年になって初めて自身の「加害体験」を口にしたという。半世紀以上も胸に押し込まざるを得なかったその想いは、どれほどに深い心の傷だったことか。今なお、沖縄戦の苦しみから解放されない体験者がいることは、そのまま「戦後ゼロ年」であることの証だ。時がたてば薄れる傷ではなく、今なお続く基地による被害によってその苦しみはなお増幅しつづけている。基地反対のうねりをつくっていこう!(澄)

【Bunnmei  ブログ】

 

 

イランをめぐる紛争の激化に伴うホルムズ海峡の封鎖リスクは、日本のエネルギー安全保障にとって数十年来の最大の試練となっています。現在、メディアや消費者の関心はガソリン価格の高騰や供給不足に集中していますが、日本経済が直面している本質的な危機は、燃料としての石油不足よりも、産業の原料としての石油──とりわけ「ナフサ」──から始まる連鎖崩壊にあります。

 

高市政権は「約250日分の国家備蓄がある」と強調し、国民に冷静な対応を求めています。しかし、「在庫はある」という言葉は、製造現場の実態を正確に反映していません。備蓄の大部分は「原油」の形態であり、しかもその多くは長期保存に適した重質原油です。重質原油は精製してもナフサをほとんど抽出できません。つまり、統計上の在庫量がいかに潤沢であっても、産業界が切実に必要とするナフサの実供給量は、物理的に絞られているのが現実なのです。

 

問題をさらに複雑にしているのが、製油所での生産優先順位の変化です。生活インフラと物流を維持するため、限られた原油からガソリンや軽油を優先的に抽出する「ガソリンシフト」が進んでいます。しかし原油から得られる各成分の割合には物理的な上限があります。ガソリンを増産すれば、副産物であるナフサの収率は必然的に低下します。代替供給源として中東以外の産油国(米国、カナダ、オーストラリアなど)からの調達拡大が検討されていますが、既存の精製設備はアラビア軽質原油を前提に設計されたものが多く、原料を切り替えるには設備改修と相当のリードタイムが必要です。短期的な代替は容易ではありません。それが現実です。

 

「石油化学のコメ」とも称されるナフサが枯渇すると、ドミノが倒れ始めます。ナフサを熱分解して得られるエチレンやプロピレンの生産が止まれば、プラスチック、合成ゴム、合成繊維、さらには半導体の封止材や医療用器具といった中間素材が作れなくなります。「ガソリンがあるから車は動かせる」というのは一面的な見方に過ぎません。タイヤ(合成ゴム)も、バンパーや内装(樹脂)も、シート(合成繊維)も、ナフサなしには生産できないのです。自動車だけでなく、電子機器、医療機器、食品包装に至るまで、現代の製造業はナフサを起点とする素材供給網の上に成り立っています。

 

政府や一部の識者は現状を「サプライチェーンの目詰まり」とまるで一時の滞留であるかに表現することがありますが、この言葉は事態を著しく軽視しています。これは一時的な流通の遅延ではなく、中東依存を前提として構築されてきた日本の産業モデルそのものが、供給源の断絶によって根底から揺らぎ始めていることを意味します。備蓄基地に原油があっても、製油所の処理能力はガソリン優先で飽和し、物流インフラも燃料輸送でひっ迫しています。原料があっても加工できず、加工できても届けられなければ、製造ラインは動きません。

 

では何をすべきか。短期的には、ナフサを戦略的な備蓄対象として原油とは独立して管理すること、および製油所の稼働優先順位に関する透明なガイドラインの策定が急務です。中長期的には、中東依存からの脱却に向けた調達先の多角化、バイオマス由来のナフサや廃プラスチックのケミカルリサイクルといった代替原料の開発支援が不可欠です。

 

いま日本が直面しているのは、単なるガソリン危機ではなく、産業の存立基盤を左右するナフサ危機です。目に見えるガソリン価格の変動以上に、静かに進行する素材供給の断絶にこそ、政府・産業界・社会全体が最大限の危機意識を向けるべきときです。「在庫がある」という数字上の安心感に安住している余裕は、もはやありません。

 

歴代政権の罪は、オイルショックから半世紀を経てもなお中東依存を放置し改善せず、ナフサの戦略備蓄や代替原料への転換を先送りし続けたことにあります。一方、高市政権固有の罪は、その構造的欠陥が顕在化した今この瞬間に、「250日分の備蓄がある」という数字だけを強調し、原油とナフサの質的な違いや精製能力の限界を国民に説明しないまま、危機の本質を覆い隠し続けていることです。(了)

「普通の市民」とは一体誰が決めるのか?

日刊ゲンダイDIGITAL 公開日:2026/04/24 06:00

ワーカーズの直のブログより転載

 

「普通の市民」は誰が決めるのか?    

 “監視法案”まで可決した高市政権の暴走と腰砕け野党の情けなさ

 

 

閣議と国家安全保障会議(NSC)で強行し、武器容認。やりたい放題だ(C)共同通信社

 

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【写真】高市外交を「日本の恥」だと批判続出! 夕食会で踊り狂う写真をホワイトハウスが“さらし上げ”

 

《一線を越えたと感じる》

 

劇作家で演出家、音楽家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏(63)が22日、X(旧ツイッター)を更新。前日の21日に政府が殺傷能力のある武器輸出を事実上、全面解禁した件に触れ、こう投稿していた。

 

それはそうだろう。政府は同日、防衛装備品の輸出ルールを定めた防衛装備移転三原則と運用方針の改定を閣議と国家安全保障会議(NSC)で強行。これまでの「5類型」(救難、輸送、警戒、監視、掃海)による装備品輸出の制約を撤廃し、戦闘機や護衛艦といった殺傷・破壊力のある武器輸出を原則容認する方向に大きく舵を切った。

 

この結果、戦後の日本が堅持してきた「平和国家」の理念は崩れ去り、今後は「武器商人」に堕することになったわけで、サンドロヴィッチ氏や多くの著名人、文化人らが反対や批判の声を上げるのも当然なのだが、高市政権はてんでお構いなし。

 

「時代が変わった」「紛争の発生を未然防止し、日本の安全保障の確保にもなる」と後付けの屁理屈を並び立てて正当化しているから唖然茫然だ。

 

先の衆院選で圧勝し、自民党だけで定数(465)の3分の2を超える議席(316)を獲得したことから、やりたい放題と考えているのかもしれない。そして武器輸出の全面解禁に続く、恐ろしい法案が22日の衆院内閣委員会で可決した。政府のインテリジェンス(情報収集・分析)能力を強化する「国家情報会議」設置法案のことだ。

 

17日の同委員会では、中道改革連合長妻昭元厚労相(65)が各省庁に情報提供を求める権限が与えられる「国家情報局」について、政権の都合に合わせて 政治利用される危険性を指摘。

 

これに対し、高市早苗首相(65)は「政府の政策に反対するデモや集会に参加していることのみを理由として、『普通の市民』が調査対象になることは想定し難い」「スキャンダルについて、マスコミや野党の追及をかわす目的だけで情報活動を行うことは現在も想定していないし、今後も行わない」と答弁。

 

採決に先立つ質疑で、木原稔官房長官(56)も「情報収集に当たっては、個人情報やプライバシーが無用に侵害されないよう十分な配慮を行う」と言っていたが、冗談ではない。

 

「追及をかわす目的だけで情報活動を行うことは現在も想定していない」「無用に侵害されることのないよう十分な配慮を行う」——といった文言を見る限り、いずれも運用側、つまり政府の良心に委ねられているわけだ。

 

大雑把に言えば「政府のハラ一つ」で自由にできるということ。とんでもない悪法ではないか。

 

誰がどのような基準で、「普通の市民」と決めるのか

「何が普通なのか」、判断の基準や権限を権力者が握るのは独裁国家で民主主義国家ではない(武器輸出原則容認した閣議=写真)/(C)共同通信社

 

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もっとも怪しいのが、高市首相が発した「普通の市民」の意味だ。誰がどのような基準で、「普通の市民」と決めるのか。

 

時の政府が「この市民は普通じゃない」と判断するなど恣意的な解釈が広がれば、監視対象は無限に拡大するだろう。「想定し難い」なんて高市首相の主観であって将来的な権力の濫用に対する歯止めには全くならない。

 

「何が普通なのか」という判断の基準や権限を権力者が握るのは独裁国家であって民主主義国家ではない。まさに今回と同じような議論を経て成立したのが、1925年に公布された悪名高き「治安維持法」ではないか。

 

同年2月20日の帝国議会に法案が上程された際、当時の若槻礼次郎・内務大臣は提案理由の説明で、法案によって「労働者が労働運動を禁止されることはない」「何らかの拘束を受けると信じている者がいるが誤解」といった趣旨の説明を繰り返していた。

 

ところが法案が成立した途端、監視対象は労働運動家だけでなく、宗教家や自由主義者、学生のサークルにまで及び、総じて酷い弾圧を受けた歴史を忘れたわけではないだろう。

 

情けないのは徹底抗戦しなかった一部の野党だ。

 

付帯決議で個人情報やプライバシーの保護、 政治的中立性などに関する配慮を求めて賛成に回っていたのだが、国民をバカにするにも程がある。

 

「反対しても数では勝てない。ならばせめて条件付きという爪あとを残そう」と考えたのだろう。

 

だが、負けると分かっていても、どうしても譲れないという時は体を張ってでも反対姿勢を貫くのが本当の野党の役割ではないのか。

 

染み付いた「負け犬根性」というのか「野党ボケ」というのか。ますますやりたい放題の高市政権の高笑いが聞こえるようだ。