今宵のお月さまは、
日の出と見まがわんばかり。
いい意味でも悪い意味でも、
ここ福島は空気が澄んでいるのかな。
2020年もあけまして、
あれからもう9年も経とうとしています。
当時の青二才は以下のようにほざいているけども、
まさか自分がこんな形で、
福島の復興に関わることになるとはね。
自分が世の中の裏側を見ているとは思わない。
人間の生活のある一側面に触れているだけだと思う。
けど、
復興が進んでいると言われてはいるこの福島で、
人が近づけない程の茫々たる荒野を見ていると、
世の中に溢れかえる情報のあまりの無意味さに呆然としてしまう。
あの時の自分は「自分のできることを考えたい」と書いていたけども、
この地に立ってみて、
これが本当に自分と震災との関わり方だったのか、
正直わからなくなる。
ただの仕事。そうただの仕事なんだ。
福島再生の名のもとに集められた、
目的を等しくする500名の人間の頭の中にあるものは、
一片の復興の文字ではなく、
「納期コスト品質」という会社の使命だけなんだ。
メディアにとっては、
福島なんて情報の隙間を埋めるコンテンツでしかなく、
もはやその価値も希薄となっている。
復興という耳ざわりのいい言葉と、
復興にまつわる金の臭いに敏感な人間に、
震災の表面だけを嘗め回され、
中身はドロドロに腐って放置されたまま。
少しずつ何かが進んでいるのかもしれない。
誰か頭のいい人たちがすごいことを考えていて、
その人の言葉に従ってアリのように働いている自分たちは、
いつしか福島再生に関わった英雄に名前を連ねるのかもしれない。
少ないながらも、
自分の力が復興の一助となれるのかもしれない。
だけど。
やっぱり人間は、そんな壮大なことには頭がついていかない。
募金をした。衣類を送った。
それが自分程度の一般人の関の山で、
自らが被災地に立って瓦礫の山と対峙するなんて、
さながら、
銃を持たされて中東に送り込まれるくらいの非現実なんだ。
ここで自分と変わらない日常を営んでいた人たちの住処が、
いまは廃屋となって取り壊されようとしている。
毎日目の当たりにする無常のなかで、
使命感なんて沸きようがない。
ましてや福島の再生なんて絵空事にしか思えない。
自分にできること。
はっきりした意思も行動も起こせなかった自分は、
ただの一匹のアリになって、
なにも考えずに目の前の土を掻き分ける。
今はそれしかできない。
願わくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
春にはまた新しい自分に生まれ変わっていることでしょう。
