よみがえれ毛魂 -5ページ目

よみがえれ毛魂

薄れゆく毛根とともに失っていった何かを探す日々。

今宵のお月さまは、
日の出と見まがわんばかり。
 

 
いい意味でも悪い意味でも、
ここ福島は空気が澄んでいるのかな。
 
2020年もあけまして、
あれからもう9年も経とうとしています。
当時の青二才は以下のようにほざいているけども、
まさか自分がこんな形で、
福島の復興に関わることになるとはね。

自分が世の中の裏側を見ているとは思わない。
人間の生活のある一側面に触れているだけだと思う。
 
けど、
復興が進んでいると言われてはいるこの福島で、
人が近づけない程の茫々たる荒野を見ていると、
世の中に溢れかえる情報のあまりの無意味さに呆然としてしまう。
 
あの時の自分は「自分のできることを考えたい」と書いていたけども、
この地に立ってみて、
これが本当に自分と震災との関わり方だったのか、
正直わからなくなる。
ただの仕事。そうただの仕事なんだ。
福島再生の名のもとに集められた、
目的を等しくする500名の人間の頭の中にあるものは、
一片の復興の文字ではなく、
「納期コスト品質」という会社の使命だけなんだ。
 
メディアにとっては、
福島なんて情報の隙間を埋めるコンテンツでしかなく、
もはやその価値も希薄となっている。
復興という耳ざわりのいい言葉と、
復興にまつわる金の臭いに敏感な人間に、
震災の表面だけを嘗め回され、
中身はドロドロに腐って放置されたまま。
 
少しずつ何かが進んでいるのかもしれない。
誰か頭のいい人たちがすごいことを考えていて、
その人の言葉に従ってアリのように働いている自分たちは、
いつしか福島再生に関わった英雄に名前を連ねるのかもしれない。
少ないながらも、
自分の力が復興の一助となれるのかもしれない。
 
だけど。
やっぱり人間は、そんな壮大なことには頭がついていかない。
募金をした。衣類を送った。
それが自分程度の一般人の関の山で、
自らが被災地に立って瓦礫の山と対峙するなんて、
さながら、
銃を持たされて中東に送り込まれるくらいの非現実なんだ。
 
ここで自分と変わらない日常を営んでいた人たちの住処が、
いまは廃屋となって取り壊されようとしている。
毎日目の当たりにする無常のなかで、
使命感なんて沸きようがない。
ましてや福島の再生なんて絵空事にしか思えない。
 
自分にできること。
 
はっきりした意思も行動も起こせなかった自分は、
ただの一匹のアリになって、
なにも考えずに目の前の土を掻き分ける。
今はそれしかできない。
 
 
願わくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
 
 
春にはまた新しい自分に生まれ変わっていることでしょう。
 
 
 
初めて会ったのは・・・、
もう13年も前のこと。

出会いはきれいなものではなかったし、
久しく音沙汰がなくなったこともあったけど。

袖擦りあうも他生の縁ってね。
気まぐれの関係も、
これだけ続けばなにかの意味もあったのでしょう。

「君にとって、俺ってなんなんだろ?」

恥ずかしい質問を投げかけたこともあったっけ。

君の心の中を覗くことはできないから、
君の言葉を通して見える世界が、
君の心の窓になる。

自分の姿を見ることはできないから、
君の言葉を通して見える姿が、
自分を映す鏡になる。

君の心の窓の向こう側の景色は、
いつでも極彩色で僕の中に飛び込んできて、
君の鏡に映る僕の姿は、
いつでもなぜかのっぺらぼうで。

その時の僕は、
君の心の中の景色に溶け込むことに躍起になっていた。

君との時間を楽しむことも忘れ、
君の口から、
君の表情から、
心の中にある僕の姿を探り出すことに一生懸命だった。

君の口からなんとなく流れ出る言葉に、
特別大きな意味も背景もなかったんだろうとは思う。

でも、
君の言葉から自分で勝手に作り出した世界に囚われて、
自分を勝手に見限ってしまった。

自分の正体を明らかにしたい反面、
自分の本当の姿を知るのが怖いから、
言葉を迫ることができなくなってしまった。

そして、
君との時間を手放したくない僕は、
君の心の中でただの優しい人になれるように、
ただの無害な大人でいられるように、
言葉を選び、
態度を慎み、
欲を抑えて、
絵に描いたようなただの「都合のいい男」を作り出した。

本当は、
君を自分のものにしたかった。

でも、
自分にひとつの魅力も見いだせない僕は、
君の心からはみ出さない自分を作り出すことでしか、
君の前に立つ勇気を得られなかったんだと思う。

君の周りに取り巻く男の一人でしかいられない焦燥感で
ふつふつと煮詰まった頭の中も、
会ったときに見せてくれる君の朗らかな笑顔で救われる。

それだけでいいと思うようにした。
その時の僕にはそれしかできなかった。

そして、
いびつな形でまとまった君との関係は、
紆余曲折を経て13年の月日が経ち、
今日、君からの幸せな招待状を受け取った。


「結婚することになりました。
たっきーにあたしのきれいなかっこ、
見てもらいたいなぁ」


いま君の心の中に住んでいる僕はどんな姿をしているのだろう。

あの時君が、
僕の本当の気持ちに気が付いていてくれてたのかどうか、
いまとなってはもうどうでもいいことなんだけれども。

ただの友人の一人として君の新しい門出を迎えられたことに、
少しの安堵と少しの後悔の気持ちを添えて、
心からの祝辞を送りたいと思います。

結婚おめでとう。末永くお幸せに。
ちょうど3年ほど前にこんなことを書いていたのだが・・
あまり状況が変わっていないのがどうもね・・。


iPhone6とiPhone6プラスを覗いてきたけども、
思わず自分のものにしたくなるオサレ具合。

だからと言って・・、
自在に使いこなしている自分を想像できない。

広告戦略の妙か、
それが潜在的な力なのか、
使い道がないものに、
さも使い道があるように見せかける。

いや、使い道がないとは言わないけど。
それを持つことに意味があると思わせる売り方ね。
どう使うかはあなた次第・・的なね。
すばらしいよね。

「こんなこといいな、できたらいいな♪」

と、かつて国民的アニメで歌われていたけども・・・
なんだろう、
いまあんまりそんなこと考えなくなった。

うすぼんやりした方向性だけ示されているから、
手さぐりでその方向に進んではみるものの、
結局何も見いだせないまま、
また次のぼんやりした道標が唐突に目の前に現れる。

自分の行先がわからないから、
またなんとなくそちらに向かって歩き始める・・。


スマホやタブレットの可能性ってなんなんだろう?
最終到達点はどこなんだろう?

スマホやタブレットで、
一体なにができるようになればいいのかな。

別に難しく考える必要もなく、
あるものをあるように使えばいいだけなんだけど。

それでも。

道具はそもそも必要に駆られて生まれてきて、
創意工夫のもとに進化して、
試行錯誤の末に万人の手になじむもんだと思う訳ですよ。

ガラケーはまだしも道具の延長だった気がするけど、
スマホやタブレットはもはやブラックボックス、
ただのアプリ開発者の賽銭箱になりつつあるような。

パソコンもね、
MS-DOSの時代はまだ使う側に考える余地が残されてて、
用途に応じて、
自分でパソコンを作り上げていかなきゃいけなかったんだけど。

今はなんというか、
使い方もなにもわからないままに、
作った側の思惑通りに動かされているというか・・。

毎日毎日、
手のひらからモリモリあふれ出てくる情報に振り回されて、
なにかモノを考えることを放棄しはじめているような気がします。

まだまだ発展途上ということなのかな。
それとも俺が歳をとっただけなのかな。

使い道がないとは言わないけども・・。

スティーブジョブズの頭の中にあった未来は、
こんなものだったのかな・・なんてね。
うん。