ふむ。
「あんた健康やで」と言われればそれなりに口元が緩み、
「あんた実年齢より若いやで」と言われれば、
それなりに身だしなみも整えようと思い、
特段長生きをしたいとは思わないけども、
死ぬ瞬間までは元気でいたいと思う今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
3年前は年齢よりも10歳老けていたという驚愕の事実を前に、
さてこの3年の間で自分にどんな変化があったのかしらと、
思いつくままつらつらと書き起こしてみると・・・
・生まれて初めての海外
・福島の原発仕事
・重めの社内プロジェクト
・昇格
・体幹トレーニング
・自炊メイン
・家でコメを食べない
・重篤な知人
・激しい断捨離
・25年ぶりに家にベッドを備える
何か意識の変化でもあったのかな。
変わるほどの価値観は持ち合わせていないけど、
いろんな出来事はあったようです。
と、ここまで書いてみて、
すでにたくさんのウソがあることに気がついた。
誰に見せるものでもあるまいし、
正直に書き連ねることに何の差しさわりがあるのやら。
とは言え、
誰かに見てほしいから、
こういう場でも自らを虚飾で塗り固めておかないと不安なのでしょう。
昨今話題の承認欲求という言葉。
SNSをすること自体が承認欲求の塊のような風潮もあるけれど。
やってる人とやってない人の差を考えると、
確かにそんな気もしないでもない。
承認欲求には自己承認と他者承認というのがあるそうで、
全く別物だけど、
他者承認だけがクローズアップされてる感がありますね。
自分は昔っからを他人から認めたがられる人だったように思います。
人とは深く繋がりたくないけども、
人からは認められたい。
誰かのために精一杯尽くすから、
自分をぞんざいに扱わないで欲しい。
だけど自分の領域に必要以上に入り込まないで欲しい。
まさに寂しがり屋の一人好き。
あるアニメを見ていてね、
他人のために尽くしたい、
人のために生きたいという主人公に対して、
ヒロインは
「そんなの生きてないのと同じじゃない。自分が幸せにならないなんてあり得ない」
と詰る場面があって。
主人公は誰かの役にたとうと一生懸命生きていた。
けどそれが結局報われないまま、
悲惨な末期を迎える未来の自分が現れる。
どちらかと言えば、
主人公の考え方に自分を重ねてしまう自分がいる。
自分の場合、
本心からの奉仕なのか、
認められたいがための偽善なのかと問われれば、
間違いなく後者なんだけど。
その主人公は、
未来から来た自分に、
「自らの正体を持たない紛い物。
偽善の海におぼれて死ね」
と言い放たれる。
自分を主体として生きていない人間は、
何をするにも他人の目を意識してしまう。
そしてその行為も、
どこか上っ面だけのつまらないものに見えてしまう。
なにも取り繕っても、
哀れみこそすれ、
他人から敬意を抱かれることはない。
いいように使われて、
都合よく忘れ去られるだけ。
対して自己承認は、
常に理想の自分の目を気にしながら生きているという。
他者を排除しながら理想の自分に向かって邁進することができる。
どちらの場合でも、
結果として自分を高められるのであれば、
同じ頂きにたどり着くかもしれないけど。
他人の目を気にしながら汲々と生きているのが正しいはずがない。
ましてや、
ブログですら他人の目を気にするなんてどうかしてる。
ただ、
認めてもらいたいたくさんの人がいて、
その人達からその他大勢の扱いをされるのが耐えられないから、
自分磨きの前に自己犠牲を選んで、
都合のいいお人好しを演じて、
なんとなく記憶の片隅に存在を残してもらっているだけなんです。
背中が透けて見えるほどの薄っぺらい人間が、
気の遠くなるような背伸びをした結果、
大切な人たちから本当の自分を知ってもらう前に、
いとも簡単に足元を見られて目の前から消え去られてしまう。
そんな経験をいやというほど繰り返して・・・・、
いま多少は自分の内面に目を向けて、
心の声に耳を傾けるようになったのかな。
ひょっとしたら、
他人の目よりも自分の目を気にするようになったから、
自己管理も順調に進んだのかも知れません。
当たり前のことを何を今さらという感じではあるけれど、
何かしらの成果が得られたのなら、
この後悔も無駄な時間ではなかったのかとも思います。
とかく人の顔色を伺いながら、
意に沿わない事に価値を見出そうとしてきたこの半世紀、
自分にとって本当に価値があることを突き詰めた先に、
たくさんの人が集う大きな道が広がることを切に願う、
春も間近の如月の夜なのでした。

