よみがえれ毛魂 -3ページ目

よみがえれ毛魂

薄れゆく毛根とともに失っていった何かを探す日々。

さてさて、

2022年も無事GWに突入しました。

 

毎年毎年、

連休に入ると聞こえてくるお誕生日の足音。

薫風と共に50歳の吐息が耳元をくすぐる今日この頃、

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

孔子様は言いました。

吾、50歳にして天命を知る。

 

この故事をして、50歳のことを知命というそうですが、

不惑をはるかに過ぎてなお、

天命どころか自分の価値も図れないまま、

だらだらと余生を過ごすような生活を送っております。

 

 

さてこの数か月の間に、

行ってみたいと思っていた場所3か所に行くことができまして。

・尾道

・鞆の浦

・倉敷

どこも鄙びた街の雰囲気に魅力を感じていたところ。

 

写真は尾道。

 

原田知世ちゃんが駆け抜けた尾道はすでになく、

ただの廃墟群でした。

 

でもね、

それが意外とわるくなくて。

 

人の去ってしまった後の、

人の営みが滅んでいく様をありのままに見せつけられて。

 

無理やりに観光資源として使っては見たものの、

寂れていくスピードに抗い切れていない、

諦観すら感じさせる廃墟が立ち並ぶ姿に、

ただただ無常を感じさせられました。

 

 

最近ますます物事に対して執着が無くなってしまってね。

以前にも書いたけども、

 

 

金に飽かして、

滅ぶべきものを無理やり生き永らえさせることに、

あまり意味を感じない。

 

そこに住まう人たちの事情を考えれば、

全く余計なお世話なんだけど。

役目を終えたものなのであれば、

あとは時の流れに抗わずただ滅んでいく様を眺めていたい。

 

50年を生き抜いてきて、

この先に天命を知る機会があるのかわからないけど。

存在理由を見出す瞬間が来なければ、

余計なエネルギーを消費することなく、

この廃墟と同じように、

存在した意味もその価値も、

誰の記憶からも煙のように消えてしまって、

いつしか雑木の奥深くで静かに滅んでしまいたい。

 

自分の行きたかった場所は、

そんな気持ちにさせられる、寂びの効いた町でした。

 

 

ちなみに60歳の事を耳順というそうで、

これは、

孔子様は60歳で悟りの境地に至り、

人の言うことの全てに素直に耳を傾け、

真実を理解できる様になった故事にちなむとか。

 

自分が60歳になったときは・・・、

人から言われたことを何でも受け止めて、

思い悩んで苦労して足掻いて、

それでも結果が出ずに凹んでる今を脱却して、

きっと、

右耳で聞いたことの全てを左耳から放出できる、

そんな悟りを開いていることでしょう。

 

 

君からの久しぶりのメールは、

脳梗塞を患ったことを淡々と伝えるものだった。

 

「友達もいないしLINE使う理由もないよ」


22年前に初めて会ったときと同じメールアドレスには、

君の大好きな上高地にちなむ名前が使われている。


君が上高地を好きな理由を思い出して、

暗鬱とした気分になる。

 

メールをくれたということは、

きっといまは回復しているんだろう。


ひどく楽観的に考えようとする自分を、

少しだけ情けなく思った。

 

 

君にはいつも不幸せな影がくろぐろと漂っていた。

 

バスも電車も至極不便な川崎の外れに、

君の住むアパートはあった。


築30年は越えているであろう六畳一間に、

万年床と小さなブラウン管と、

タバコのヤニで煤けた壁には不釣り合いに大きなリトグラフ。

 

少し恥ずかしそうにしながらも、

僕を招き入れてくれた君は、

「簡単なものしか作れないけど」

といいながら、

冷凍のチキンを暖める。

 


誰でも良かったし、

事が済めばさっさと帰るだけ。

そう思ってはいたのだけど。


君を取り巻く目に見える形の不幸せが、

僕の周りにゆっくりと重い緞帳を降ろす。


時間が経てば経つほど、

さながら重い鎖でも巻き付けられたかのように、腰が砕けて立ち上がれなくなった。

 

「子供の頃の写真、見せてあげるね」

そう言って君は、

古びたアルバムとビデオテープを大事そうに抱えてきた。

 

亡くなった父親が作ったという、

小学校5年生までの記録しかない写真帳には、

しあわせに溢れた子供の頃の君の笑顔が踊っている。

写真一枚一枚に几帳面な文字で、

思い出と共に、

君への愛が書き添えられている。


そしてビデオテープには、

家族で過ごした上高地でのひとときと、

家族で祝う彼女の10歳の誕生日が、

父親の優しい声と家族の楽しげな笑い声と共に納められていた。

 

この小さな六畳には、

都会でひとり暮らしをする女性の、

考えうる限りの不幸せが詰め込まれていた。

 

工業団地の明かりが、

小さな窓をステンドグラスのように染めている。


この窓に集まる色とりどりの小さな明かりは、

さながら君の大切な思い出と同じように、

より一層にこの部屋の寂しさを際立たせる。


君の父親が強く願ったであろう君のしあわせ、

そして、

自分の力ではたぶんどうにもならずに、

いきずりに等しい男に小さな幸せを求める君。

 

もはや手の届かない追憶のしあわせと、

様々な形でいまの君を形作る色濃い不幸せにあてられて、

僕は堪らずに涙を流してしまった。

 

「泣いてるの? 変なひと。」

 

きょとんとした顔で君は僕の涙をぬぐった。


少しでも幸せを感じる手助けをしたい。

傲慢ですらある僕の一方的な憐れみで始まった付き合いは、

今年で22年目を迎えた。

 

好意だとか愛情とか、

そんな感覚もわからないまま、

君との付き合いは、

君の不幸せを、

気持ちのこもらぬ押し付けの幸せで埋めることだけが目的となり、

そうしてこの22年を寄り添ってきた。


初めてあったときと同じように、

君は今も暗闇から、

その小さな窓に瞬く色とりどりの光を見上げているのかな。

その光に手を伸ばすことにすら、

きっと君は諦めてしまったね。


結局僕は、

君から不幸の影を取り除くことはできなかったけど。


いままで君と過ごしてきた時間のどれかひとつでも、

小さな窓を彩る光になっていることを祈るよ。


「早く元気になって、

大好きな上高地に行こう」


メールの返事を途中まで書いて、

送らずに消した。


たぶん君の不幸せを埋めることは、

僕にはもうできないよ。

ごめんね。

最近、お酒の量が増えまして。

 

父の日セールとやらで、

ウイスキーと日本酒のまとめ買い。

 

家飲みなんてほとんどしたことなかったのにね。

 

理由は・・・なんだろう。

単純にお家時間が増えたからかな。

 

平日も休日も関係なく、

東奔西走、バタバタと走り回っていた時期が過ぎて、

お家でぼんやりする時間ができたからかも。

 

「翌日のことを気にせずに、

いままでできなかったことをしよう。」

 

そう思って始めたのが家飲みなのであれば、

典型的なダメ人間かも知れません。

 

 

日経のコラムでたまたま紹介されていた本を、

なんとなく読んでみた。

 

 

稀代のバカ舌のタッキー氏は、

ごはんの味もお酒の良し悪しもわからない。

ひょっとしたら鶏肉と牛肉の違いも、

イカと鯛の違いも、

ビールと日本酒の違いもわからないかもしれない。

 

家ではお手製の犬の餌のようなものを貪り食い、

マルエツ印の犬のションベンのようなビールを牛飲する。

そして外に出たときは訳知り顔で背伸びをして、

海原雄山の如き美食家を気取る。

 

この本を読んだら、

楽しくお酒を飲む秘訣みたいなのがわかるのかな・・、

なんて淡い期待を抱いてね。

 

「今夜、すべてのバーで」

 

タイトルがもう素敵。

「夜」と「バー」という艶めかしい言葉の組み合わせに、

今まさに始まろうとする、

めくるめく人間模様を思い浮かべずにいられない。

 

と思ってページを読み進めてみれば・・・

 

自分の腐った胸の内を書き綴ったような、

自分の排泄物をぶっ掛けられたような、

それでいて、それを客観的に見続けていたくなるような、

そんな本でした。

 

余暇をうまく使えない人間は教養が足りないらしい。

 

よく言っても悪く言っても、

人間はなにかに依存して生きている。

 

それが仕事であったり趣味であったり、

異性であったり、その行為であったり、

そしてアルコールであったり。

 

依存する先が、

より人間のプリミティブなところへ突き進んでしまうとき、

その人の教養の低さが露呈する。

 

教養とは頭の良しあしではなく、

いかに知的な、

いかに創造的な活動ができるかであり、

それから逃げることをして、

教養が低いというらしい。

 

煩わしい世の中から逃避する手段として、

あれこれと懊悩する時間を少しでも減らすために酒を飲む。

 

金曜日の夜、

「一週間がんばったんだから、今日くらいはね!」

土曜日の日中、

「こんな時間からお酒飲めちゃう俺、超幸せな人じゃね?」

 

別にお酒を飲むことそれ自体が悪いのではなくて、

他にやれることがないだけなのに、

どうしょうもない理由をつけて、

一人寂しく家飲みをする。

そのことに無理やり意味を持たせて、

自分に言い訳しながら酒を飲む。

 

残念なことに、お酒への耐性は強いみたいでね。

飲めなければ他の暇つぶしを考えたのかもしれないけど、

一番手に入れやすい暇つぶしが家飲みだったもんで。

楽しくもないのにいくらでも飲んでしまう。

おいしく感じることもないのに、

飲む量だけが増えていく。

坂道を転げ落ちるように、

きっと自分は簡単に壊れていく。

 

どうしたもんかね。

 

まずは、目の前の事物に興味をもつ。

人にも食べ物にもお酒にも。

 

牛も鶏もイカも鯛もビールも日本酒も、

気のいいあいつやあの子の事も、

秒で便所にぶち込むような雑な扱いはやめて、

五感を総動員して味わおう。

その匂い、その味。

目で見て音を聞いて、丁寧に触る。

ひとつひとつを大事にすれば、

きっと物のありがたみも時間の大切さも、

いまよりももっと感じられることでしょう。

 

ガクト氏のような違いがわかる男には憧れないけども、

せめてゴロー氏のように、

「いいぞ~コレ!」と肩ひじ張らずに楽しみながら、

仕事終わりの時間を楽しめるようになりたいもんです。

 

この本の主人公の言葉は、

まるで自分を鏡で映したように、

自分の行動をよく説明してくれました。

 

さて・・・、

今日は有給消化で暇を持て余し中。

携帯の電源切って、

ビールでも飲みながら、

高校野球の予選でも観戦しようかな。