さてさて、
2022年も無事GWに突入しました。
毎年毎年、
連休に入ると聞こえてくるお誕生日の足音。
薫風と共に50歳の吐息が耳元をくすぐる今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
孔子様は言いました。
吾、50歳にして天命を知る。
この故事をして、50歳のことを知命というそうですが、
不惑をはるかに過ぎてなお、
天命どころか自分の価値も図れないまま、
だらだらと余生を過ごすような生活を送っております。
さてこの数か月の間に、
行ってみたいと思っていた場所3か所に行くことができまして。
・尾道
・鞆の浦
・倉敷
どこも鄙びた街の雰囲気に魅力を感じていたところ。
写真は尾道。
原田知世ちゃんが駆け抜けた尾道はすでになく、
ただの廃墟群でした。
でもね、
それが意外とわるくなくて。
人の去ってしまった後の、
人の営みが滅んでいく様をありのままに見せつけられて。
無理やりに観光資源として使っては見たものの、
寂れていくスピードに抗い切れていない、
諦観すら感じさせる廃墟が立ち並ぶ姿に、
ただただ無常を感じさせられました。
最近ますます物事に対して執着が無くなってしまってね。
以前にも書いたけども、
金に飽かして、
滅ぶべきものを無理やり生き永らえさせることに、
あまり意味を感じない。
そこに住まう人たちの事情を考えれば、
全く余計なお世話なんだけど。
役目を終えたものなのであれば、
あとは時の流れに抗わずただ滅んでいく様を眺めていたい。
50年を生き抜いてきて、
この先に天命を知る機会があるのかわからないけど。
存在理由を見出す瞬間が来なければ、
余計なエネルギーを消費することなく、
この廃墟と同じように、
存在した意味もその価値も、
誰の記憶からも煙のように消えてしまって、
いつしか雑木の奥深くで静かに滅んでしまいたい。
自分の行きたかった場所は、
そんな気持ちにさせられる、寂びの効いた町でした。
ちなみに60歳の事を耳順というそうで、
これは、
孔子様は60歳で悟りの境地に至り、
人の言うことの全てに素直に耳を傾け、
真実を理解できる様になった故事にちなむとか。
自分が60歳になったときは・・・、
人から言われたことを何でも受け止めて、
思い悩んで苦労して足掻いて、
それでも結果が出ずに凹んでる今を脱却して、
きっと、
右耳で聞いたことの全てを左耳から放出できる、
そんな悟りを開いていることでしょう。

