義を見てせざるは勇無きなり。 | hey!masasicks

hey!masasicks

一人では悩みを解決するのが苦手なあなたへ。このブログは僕のバンド活動、看護師の仕事、子育てなど、テーマを絞らずに日常を綴っています。
僕の人生観、思いや考えをシェアします。
心豊かに生きてゆけるよう、お役に立てたら幸いです。

今日は遅出の日曜日。

出勤すると、呼吸状態の悪化した患者さんが酸素投与されていた。

発熱はなく血圧が200以上と異様に高い。オムツ内に排尿はある。

浮腫もある。

その後、彼は午後から少しずつ容態が悪化。息を引き取った。

 

病院内のことだから、あまり詳細に書けない。

書くべきではないかもしれない。告発するつもりもない。

でも、起きたことをざっくり書く。

考えてもらいたい。

 

その患者さんが良い方向に迎えたかというと僕には判断できない。

難しかったかもしれない。

 

環境が整った一般的な総合医療機関であったならば、

然るべき検査、診察のもと、延命はできたと思う。


でも、生きながらえることが出来たからといって、

この方がその後、幸せになれるのかというと正直分からない。

 

認知症が進行し年も重ね、体力も筋力も落ち、排泄も自力でできず

自分を取り戻せることもない。

 

食事に困ることはなくても、薬づけの同じ毎日。

コロナが流行してからの数年間、ほぼずっと病院の建物の中。

食事、睡眠、作業療法。それ以外、何の刺激もない。

 

記憶も失い、時間感覚も忘れ、できないことが増えてゆく。

閉鎖された空間で生き続ける毎日が、その人にとって幸せなのか。

彼にしか分からないだろう。僕は幸せとは思えない。

 

そんな彼は若い頃、パブで演奏するサックスプレイヤーだったそうだ。

でも入院して、音楽を楽しむ喜びを思い出す機会もなかった。

身寄りもなく面会もなかった。


僕の職場の精神科の病院は病棟が2つ。

休日昼間の当直は非常勤の医師が外部から1名。

 

その患者さんの呼吸状態が芳しくないので、当直の先生に診察を依頼。

報告も兼ねてリーダーが何度か依頼するも、口頭で経過観察のみ。

午後から診るの一点張り。

 

普段なら、

転倒によるケガや、隔離が必要になった患者さん、

急変がなければ、

隔離拘束患者を除いて、診察を要することはない。

 

休日は医師も患者も看護師も1日ゆっくりとした時間が流れている。

 

特別、研究論文や何らかの手持ちの仕事がなければ、

滞在中、時間は有り余ってたはずだ。

 

しかしながら、午前中はとうとう病棟に来ることはなかった。


午後になると、血圧は正常範囲内に下がり始めたが、

患者の呼吸状態は徐々に悪化。頻脈だ。

 

できるだけ呼吸が苦しくならないよう、

定期的に貯留した痰の吸引をしてあげるくらいしかできなかった。


声をかけても開眼しなくなり、意識レベルも低下。

呼吸をするので精一杯な状態だった。


閉じた瞼から流れていた涙が忘れられない。

何を思っていたのだろう。

死を悟っているようにしか見えなかった。


僕の休憩中、ようやく病棟に来られて

絶食の指示と輸液一本を処方されたとのこと。

この患者さんの急変時の対応は、ここでの看取りとなっていた。

 

勝手に僕は、心不全では?と感じたが、

利尿薬もなく、医師が指示した降圧剤も取り扱っていない。

心電図はとれても、心電図モニターもない。

 

できることは確かにないかもしれない。

結局、病室にも向かわず当直室へ戻られた。


素晴らしい医師や医療従事者、ヘルパーさん達ももちろん沢山いる。

 

でも、みんなが皆そうではない。

理不尽なことも沢山あるし、医療に携わる人だけでなく、

社会に出れば、皆そうだ。

 

誰だってやる気をなくす事もあるし、気が乗らないこともある。

 

にしても最低限、職務は果たすべきだ。

そのために、国から免許を与えられたと思う。

 

患者さんが亡くなってしまったのは、その先生のせいだとは全く思わない。

診察したところで、どうすることも出来なかったと思う。

 

日頃のその患者さんに対する適切な治療・看護が十分でなかったかもしれない。

転院して然るべき治療を受けていれば、未然に防げたはずだ。

 

ただ、与えられた役割を果たして対価を得られるべきではないのかと思う。

当直医師のバイト代はたった1日で、僕たちの夜勤数日分だ。

 

せめて患者の病室に入り、声をかけ、聴診くらいして欲しかった。

 

患者と顔も合わさず診察しなかったことを聞いて、

僕も他の職員も愕然としていた。悲しかった。

 

僕の心残りは、ただそれだけだ。

 

先生は患者と向き合わなかった。

「亡くなりそうな患者がいる」という「情報」としか向き合わなかった。

「人」として関わって欲しかった。

それなら、医療用AIや機械で十分だ。


何食わぬ顔で今後も当直で顔を出すのだろうか。

在籍している病院ではどんな働きをしているのか。

人の死に目に合いすぎて、心が麻痺しているのだろうか。


患者さんのご冥福をお祈りすると共に言いたい。

 

命そのものの価値は生まれながらに平等だ。

だけど、平等には扱われていない。


僕たちが誰かのお世話になることがあっても、

すべてを任せっきりにしてはならない。

 

意識がハッキリしている間に、

心と体が動ける間に取捨選択する必要がある。

 

自分の人生を誰も責任はとってくれない。

 

そんな世界に生きているという事を忘れてはならない。

 

最後に。

 

重ねて、僕はこの医師を誹謗中傷したいわけではない。

医療を悲観したいわけでもなく、職場を否定したいわけでもない。

告発したいわけでもない。

 

その先生は、そのような行動に慣れてしまったのだろう。

誰にも指摘されて来なかったのだろうか。

 

たとえ、亡くなってゆく命でも大切に関わって欲しい。

義を尽くして欲しい。

 

僕も反面教師として、気を付けます。

 

僕の長い独り言でした。不快にさせたらごめんなさい。