久々にnoteの方でもブログ更新しました。
良かったら読んでいただけると嬉しいです。
こちらの記事にもあるように、来月から副主任から主任へと昇進することになりました。
昨年の11月に病棟を異動し、今年4月に役職がつき、11月から異動も。
2つしか病棟がないので、もといた所です。
この1年間はなかなか濃いものでした。
もともと、2年前くらいから業務マニュアル作成を任されたところから
業務内容の見直しに取り組むようになりました。
病棟は2つしかないのに、各病棟で仕事のやり方、物品の場所など、結構違いがありました。
精神科病院でどちらも閉鎖病棟です。
違いというと、それだけで特定できるのでここでは言いませんが、
仕事内容に特に違いはありませんので、一般的な仕事内容はまったく同じで問題ないと思うのです。
ですがそういったわけで、異動後は別病院にきたかのような感覚。
多くのスタッフがそのギャップにストレスを感じていました。
そこで異動後のストレスが減るようにと、
なるべく物の場所や業務内容を統一できるように意識して取り組んできました。
副主任になって直接、業務の見直しに関われるようになりました。
今の病棟では、業務に関するカンファをすることがほぼありませんでしたので、
毎月、決まったスケジュールで病棟会を行うようにしました。
その前にアンケートで意見を収集。
必要性の高いものから議題に取り上げ、なるべくみんなの意見を参考にする形で見直しました。
また、毎月の決まったことができていませんでした。
看護計画の評価が月末までにできていない方がほとんど。
軟膏処置など、ちょっとした処置の指示がいつまでも残っていたり、
その処置もきちんと日々行われていなかったり。
でも、それは毎回チェックして、声をかけてゆくことで9割改善できました。
この1年で急激に忙しくなりました。
僕個人の仕事だけでなく、病棟全体がです。
週休2日制に変わり、年間休日が増えたのもあって日勤の人数が少ない日もあります。
入院患者の高齢化も進み、見守りや介助が必要な認知症の方もかなり増えました。
異動してまず驚いたこと。
もといた病棟で当たり前にみんなやってたのが、ここではできていませんでした。
2つしか病棟がないので、大半の方はもう1つの病棟を経験してきたはずなんですが、
環境が変わるとこうも変わるもんなんだなと驚きました。
前の病棟では手がいることは、互いにサポートし合ってました。
オムツ交換も看護助手さんと一緒に行っていたり、何かと協力的でしたが、
今の病棟ではそれぞれが担当の仕事に取り組むのみ。
仲が良い人の分は手伝うけれど…といった感じでした。
何かミスが起きた場合のことを考えると、責任の所在があいまいになるなど
もやっとする状況になりかねない。
それは良くないので、アリなのかなとも思います。
今の病棟は女性職員がほとんどだからなのか、人間関係も敏感です。
以前の病棟では男性看護師が多かったせいか、何かと手伝ってくれてました。
しばらく時が経って状況を知るにあたり、原因が分かりました。
他と比べて、あまり仕事をしない(と思われている)方が複数名いて、
最初は手伝っていたが手伝うとそれが当たり前になり、
担当がついているのにやらない状況が続いた。
結果、毎回、自分の負担が増えるだけで気分も悪い。
なので、あえて手伝うのはやめよう。という風になったとのことでした。
これはよく分かります。同じ待遇、立場だとなおさらです。
それで、色々見直すことや気付きもあったのですが、
今のところ結論、やらない人はやらないんだなと思います。
やりがちなのが、
仕事をあまり積極的にやらない人が、やらざるを得ないような仕組みにするために
今にいたるまで細かく係がつくようになりました。
でも結局、やる人はやるし、やらない人はいつでもやらない。
係がついていても、忘れがちな人は忘れがちで
やりたい仕事に時間がかかりがちだし、見かねて指摘しても、
一時的なもので、なかなか改善しません。
何なら、「何で私だけ注意されるのか分からない」と憤ります。
ちゃんと評価されていない、虐げられていると腹を立てる方もいます。
その割には、要望や要求も多いし、不満も多い印象があります。
一回り以上かそれくらい年上の、経験のある方ばかりなのでとても骨が折れます。
その方の置かれている状況を色んな側面で考えていくしかないのでしょう。
逆に仕事をちゃんとする人は、すぐに改善するし、文句も少ないです。
指摘されたら素直に応じてくれます。
ルールややり方ばかり、変えてるとかえって現場が混乱してしまいます。
その結果、仕事をちゃんとやれてる人にとってもストレスになってしまう。
そんな状況におちいりがちでした。
また、誰かの意見に、「それは良いですね」と取り入れたとしても、
すぐにまた別の方の反発を受ける。
そこで、また元に戻したり変更すると、反発が起きる。
極めつけは、提案した方が、採用されたものに対して、陰で周りに愚痴を言う。
なんてこともありました。
結局のところ、「変えたいのではなくて、話を聞いて欲しかった。」
それがほとんどな感じでした。女性の職場特有のものなのかなと思いました。
「話を聞いて欲しい」妻にもたまに言われる言葉です。
以前ここにいた上司に対する不満も同じでした。
「話を聞いてくれなかった」と。
ところがこれもまた言われんです。
「masasicksくん、あんまり周りの話ばかり聞かなくても、自分で推し進めても大丈夫なのよ」と。
「あなたがみんなの話ばっかり聞いてあげるから、どんどんみんな話してくるのよ」と。
どれが正解なのか分からず、なかなか難しいものです。
とりあえず、自分の限界まで色んな人の話を聞くことにしました。
アンケートで看護師だけの話し合いがしたいという要望が多かったので、
できるだけみんなが出勤日に参加できるように、週一で行いました。
とてもしんどかったし、必要性を感じなかったのでやめました。
馬耳東風じゃないですけど、時として、
自分の精神的負担を減らすために必要なこともあるのだなと。
そんなことが続くと、
役職者側も真面目に頑張っている印象がある人の悩みは気にかけ、
その逆は、その人に原因があるのでは?と疑う気持ちが働いてしまいます。
そんなこんなで月日がたちました。
それでも、人それぞれ、日によっては普段仕事をしない人でも
頑張って取り組まれているなぁって思う日もありました。
僕が困っている時にフォローしてくれる時もありました。
総じて、年齢や体力面や働く環境において、得意不得意もあるのかな?
はたまた仕方がない状況もあるのかな?とも思うようになりました。
看護助手としても少しだけ働いてみました。
全体を見渡すと、一貫して、みんな忙しい。そんな状況です。
ただ、100%頑張っている人が7割いたら、80%の人もいる。
100%の人からしたら、80%の人はもっと頑張って欲しいのに。
そんな状況なんだろうなと。
そして、ほとんどが50代以上の方なので、体力的に
100%いつも頑張れる人と、いつもは無理な人。
はたまた、その人の中では100%頑張ってるつもりでも、
周りから50%しか頑張っているようにしか見えない人もいる。
そんな個々の感覚、みえ方の差なのかもしれません。
個人個人をみていると、みんな親切ですし意地悪な方はいません。
和気あいあいとしてます。
皆さん大人なので、たとえあまり仲良しでなくとも、ギスギスするような雰囲気にはなりません。
距離をとりながらでも割り切ってコミュニケーションをとられています。
そこは、良いところです。
ここ最近、良くなったなと思うことがありました。
特に変化を感じたのは、急に師長が退職されてから。
それもまぁ衝撃でしたが。
僕が未熟なせいなのもありますが、みんなが協力的になりました。
今日も研修が2つあって、介護認定調査が1件あって、
入院が1件あって、委員会の話し合いも2件あって、シーツ交換もあって。
でも、出勤人数はいつもより少ないし。僕以外の役職者は休みだし。
…みたいな状況でしたが、ありがたいことにみんなで何とか乗り切れました。
最近は、こんなことが日常茶飯事です。
結局のところ、人手不足がやらざるを得ない状況にし、
お互いにカバーし合ってその日を乗り越えよう!って感じです。
忙しくなると、文句も言う暇もなくなります。
それでもひどい方もいるのが厄介ですが、
今日はみんなが(普段そんなんじゃない方も含めて)、取り組んでくれました。
副主任になって、頭を下げてお願いすることが増えましたが、
周りのサポートのおかげでやれてるような気がします。
色んな問題にぶち当たっていますが、1つ1つは時間のかかることです。
感謝の気持ちを忘れないようにして頑張るしかないですね。
取り組んできたことが無駄にならないように、
自分が経験したことは、移動しても役立てたらなと思います。
日々の業務の負担を減らして質を良くしてゆくのも大切です。
ですが、
僕はやっぱり、人とのコミュニケーションを大切にしたいなと実感した期間でした。
その人の人間味、人がらが適切に活かせるような環境づくりをしてゆきたいです。
認知症患者の増加と高齢化、スタッフの高齢化、人手不足による負担の増加。
なのに、給料はなかなか上がらない。物価もまだまだ上がりがち。
でも、病院を回すのに患者さんは受け入れていかないといけないし、
患者さんの受け入れ先も限られていることもある。
自分ではどうすることもできないことがたくさんあります。
みんな自分のことで精一杯だと思います。
近い未来、少し先の将来。なかなか希望をもちにくい世の中です。
そんな時代を生き抜くためにも、
身体の健康、心の健康を大事にしていかないといけませんね。
幸いにも、経済的余裕や時間がなくても、
こうして一人一人インターネットが触れられる環境があります。
身近な人に頼れなくても、SNSを通じて交流できますし(詐欺のリスクもありますが)、
色んなことを情報収集できます(デマもありますが)。
何ならAIを活用できれば、大幅に時間を短縮できます。
定年まで働き子育てが終わったら、余生をのんびり年金暮らしで過ごす。
そんな世代は結局、戦後の復興を頑張った僕の祖父母、曾祖父母世代だけでした。
僕たちの祖父母や親世代はそれを信じて生きてきたと思います。
ですが、現実は違います。
人生の最期は、80代以上まで生きてゆけたとしてもほとんどが介護施設か病院です。
高齢になり、足腰が衰えると転倒のリスクが上がります。
骨折、脳血管疾患などの入院を機に、認知症になる方も多いです。
みんながみんな、十分なリハビリを継続できるかというと、そうでもなく、
そのうち寝たきりになって、飲み込みが悪くなると誤嚥性肺炎になったり。
食事がいよいよとれなくなると胃ろうになったり。床ずれも起きやすくなります。
医療費だってかかります。
最期は肺炎になって酸素マスクをつけて、点滴を入れられて。
身寄りがない方は直葬センターへ送られます。
遠い親戚しかいない方は、面会もなかったりなかなか寂しいものです。
そんな人をたくさん見てきました。
一方、遺族はというと、相続した物件や土地の管理、税金などで四苦八苦したり、
年金が少なくて労働を余儀なくされていたりする人も結構多いと思います。
親族が亡くなるまでは、病院や介護施設にちょこちょこ呼び出されて、
日用品や着替えを持って行ったり、他の病院に受診に連れて行ったり。
自宅で介護せずとも、何かと大変です。
僕の親世代はそんな負担がある一方で、
僕たち現役世代はというと、
なかなか結婚できなかったり、子どもをつくれる状況でなかったり、
なかなか妊娠できなかったり、
子育てと仕事で時間的にも経済的にも精神的にも余裕がなかったり。
日本は確かに今でも他の国と比べて、まだマシな状況かもしれません。
何かあったら、救急車呼べば病院で診てもらえますし、消防や警察も機能しています。
最悪、生活保護だって申請が通れば、生活は維持できます。
でも、そんな生活は幸せなのでしょうか。
僕たちは日々の小さな幸せを「意識して」見つけて、
楽しく暮らしてゆきたいものです。
日々の生活に忙殺されていると、息抜きとして、
いっときの快楽にばかり集中してしまいます。
何のために生かされているのか。
何のために生きているのか。
何のために自分は生まれてきたのか。
一度でも、めちゃくちゃ自分のことを真剣に考えたことがある人は
日本に何人いるのでしょうか?
そんなことを考えていると、
親や周りから、「考えすぎだ。それよりも頑張りすぎない程度に仕事を頑張りなさい」と言われます。
その先に何があるの?と思ってしまいます。
このままここで働いていたって、良いか悪いかは別として、
最期は自分も病院で息を引き取るような形になるでしょう。
それまでに、自分が納得した人生を送れていたら良いのですが。
確かに、今の仕事で得られる学びはあります。
あるけれども、「これじゃない」感がぬぐえません。
これが世にいう、ミッドライフクライシスでしょうか。
話はだいぶそれてしまいましたが、とにもかくにも「健康」が最も大切です。
いくつになっても、自分の思うように体が動かせること。
40代のうちに、何か自分が腑に落ちる目的が見つかるといいなと思います。
ひとまず、今の職場で師長になってから、今の病院で何かしらの結果を出してから、
次のステージに上がれたらなと思います。
それまでは、この、自分の中での「健康」に関するテーマをかためて、
誰かに直接役立てられる働きをしたいなと考えています。
そんな今日この頃。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。