先日「万能鑑定士Qの事件簿0」を読んだのですが、気になる箇所がありました。
「ちゃんと学校に通えば授業で習います。でもおもに高齢者を中心に、 誤った教育の影響がそのまま残っていましてね。 日本でもあるでしょ う、鎌倉幕府が開かれたのが1192年だとか」
「はい、以前の教科書ではそうでした。いまでは1185年とされてますけど……」
我々が習った歴史と今学校で教えている歴史には違いがあります。
例えば、上の「鎌倉幕府」の成立年、大化の改新の起きた年、聖徳太子と呼ばなくなった事、日本最古の通貨が「和同開珎」では無く「富本銭」になった事etc
上記のうち、研究の成果とか新たに判明した事実に基づくのは、「富本銭」くらいで、後は解釈や定義を変えただけという気がします。
我々が習ったのは源頼朝が征夷大将軍になった年が「鎌倉幕府」の成立年というものでしたが、現在は守護・地頭を設置し、実効支配体制を確立した1185年とする説が有力なようです。
そもそも、「鎌倉幕府」なる概念が後世の歴史家が編み出したものである以上、成立年は、何をもって成立とするか、という定義の問題です。定義次第でコロコロ変わるものに正解など有りません。
よって、上の赤字斜体にある「誤った教育」などでは無い訳です。
学者の気まぐれで、また1192年に戻ったり、違う年になる可能性だってある訳ですから。
ちなみに、室町幕府成立年は教科書によって異なるようで、『建武式目』が制定された1336年説と足利尊氏が征夷大将軍に任じられた1338年説があるようです。
不思議な事に江戸幕府は徳川家康が征夷大将軍に任じられた1603年説に一本化されています。
実効支配という意味では、関ヶ原の戦いで東軍が勝利した1600年とも言えますし、豊臣宗家を滅ぼすまで全国を支配しきれていなかったとも言えるので、揉めても良さそうなものですが。
3つの幕府で成立の定義がばらばらなのは混乱しますから、征夷大将軍になった年に揃えていいんじゃないの?と個人的には思います。
教科書に書くなら、「源頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年を便宜上、成立の年とする。但し、実効支配は1185年には成立していたと考えられる」ですかね。
「大化の改新」にしても同じようなもので、昔は645年の蘇我入鹿暗殺に端を発する一連の改革を「大化の改新」と呼んでいたと思うのですが、現在は蘇我入鹿暗殺事件を「乙巳の変」、翌1月1日に改新の詔が出された事から「大化の改新」は646年と教えているようです。
この「乙巳の変」、少なくとも私は習っていません。私の持っている昭和53年(1978年)9月発行の広辞苑にも記載はありませんでした。
記紀などの昔の文献に記載があれば、昔も教えていたでしょうから、ここ数十年のうちに誰かが命名したものだと思うのですが、調べても分かりませんでした。いつ誰が名付けたんでしょうね?
そして、聖徳太子。現在は聖徳太子(厩戸王)などと表記されているようです。
聖徳太子は厩戸王が没後に送られた名である事は昔から言われていましたから、取り立てて変える必要があったかどうか。。。
聖徳太子の実在も疑われるなんて事を言い出したら、場所すら特定出来ていない邪馬台国はどうなるのでしょうか?
このように教科書で教えている(試験用の)歴史は時の学者の意見で簡単に変わってしまうものです。
それよりも、いつの時代にどのような事が起きたかを正しく教えて欲しいものですね。