葬式の扱いをじっくり考えました | 松村マサル子の日常に訊け!

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役者・松村マサル子の日常で起こったことや感じたことを綴ります


昨日の話の続きですよ。昨日書いた葬式について、その取り扱いに困ってさ。
元々工場やってたお父っつぁん、学校給食で納品する立場として月イチで浦和の県庁に行く必要があったのよ。市立学校でも給食ってなぁ県の事業だからさ、そういうメンドくせぇ作業は必須だったのね。でもソレはみンな同じ、当時は市単位で一業者みたいな感じで、結構大勢の業者が終結してたと思うのね。想像するに。
浦和だったら高崎線で1本、同業他社で同じ電車に乗る会社だってあらぁな。一緒に行こうかってなっても不思議はないわな。その「一緒に」ってのが昨日の葬儀の主役、亡くなった社長だったのよ。
そン時の話はお父っつぁんからたまに聞いてる。学校についちゃテリトリーがハッキリ分かれてた時代だったからさ、同業であっても敵視する必要がないンだ。学校だけはね。だから仲間意識が生まれンだな。
っていうか、3~4年前だったか、初めて取引しましょうかって持ち掛けた時。まぁ、コッチは作って下さいって立場ではあるンだけど。お父っつぁんの顔を立てて、窓口の人の従者みたいなテイで。ビックリするくらいテンション上がってさぁ、何も知らねぇクセに話を進めようとすンのね。あ、こっからは私がみたいに場を収めたけど。ホントにこの人好きなンだなぁと思ったね。

で、だよ。そンな人が亡くなったワケだよ。自分が苦しンで克服しようと頑張ってるガンで、さ。
聞いたら、何年も前から人工透析してたらしい。いきなりってワケじゃなかったのか。どっちでもいいけどさ、結果は結果なンだから。亡くなったって事実は変わンねぇンだから。
その事実をさ、お父っつぁんが聞いたらどう思うよ?ガン細胞の破裂で緊急入院したばっかで、これから治療のための治療をせにゃなンない立場、更にその最初の治療のための現状復帰をしてる最中のガン患者が。

言えるハズがねぇだろ。この先の長い道のり、ソレを越えンがために努力しようってジジイがこンな話を耳にしたら。一気にトーンダウンするに決まってらぁな。やる気なんざなくなって当然、自暴自棄になるかもな。
結論。このコトは俺の腹に納めとくしかねぇやな。1人で溜め込ンでるのはホネだけどさ、もしおっ母さんに喋ろうモンなら口の軽いババアだ、取り返しのつかない結果になるだろ。秘密は極力少人数で保つモンよ、出来れば1人で。
香典返しは包みを解かず、まんまキープしとくコトにするべ。俺はあくまで代理で出てきたンだから、お父っつぁんが開けるのが正しいぜ。
だけどさ、…苦しいなぁ。1人で抱え込むのって。