「作家的覚書」高村薫 | ああ、無情!!masarinの読書ブログ

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この本の構成内容は、

1,「図書」などに寄稿したエッセイ文。

2,講演

の二つからなっている。

 

「図書」に寄せたエッセイはそれほど長い文章ではない。しかし、高村薫にはとても合っているらしい。

 

高村薫といえば、左寄りであるようなイメージがあるだろう。

もちろん、今の時代的な位置からはずいぶん左よりなのであるが、彼女の年代からすれば普通の位置だと思う。

自身を行動する人というより、観察者とみなしてものを見ている。それが私自身の波長と会うところがあり、読んでいて頷ける部分がある。もちろん、首をかしげる部分もある。

エッセイパートはそんな文章が並んでいる。

 

講演パートはさらに面白い。

合田雄一郎シリーズ、「マークスの山」、「照柿」、「レディジョーカー」などの本を読んだ人なら、分かる話だと思うが、高村薫の世界観というのが、この講演にもよく表われている。

これらの本にももちろん高村薫の世界観が表われているが、一番端的にあらわれているのが、「神の火」だろう。

ディストピアというかなんというか。

簡単に書いてしまうと、「神の火」は福井の原発の炉の蓋を、いきなり開けてみたいという衝動に駆られた男の話だ。

この「原発の蓋を開けたい」という感覚。それによって何が起こるかみたいという、観察者の視点こそ、高村薫の真骨頂だと私は考える。

この、不条理で、冷酷だが、見てみたいという欲求が講演の内容によく出ているのである。「世界が滅ぶぞ、世界がやばいぞ」といいつつも、カッコつきで(やばくなった世界を見てみたい)と願っているというような高村薫の気分が、そこここから感じられる。

 

合田雄一郎シリーズを読んでいると、高村薫の少女的な趣味が良く出てくる。

捜査一課で渾名をつけあったりする。はっきりいって、そんな子供じみたことをみなでするわけがない。

このような少女的な心地が、今回のこの新書では遺憾なく発揮されている気がするのである。

 

ファンはもちろん、ファンならずとも、是非、ご一読を。