摂理的結果は非決定的に覚悟し、、男女平等、日本を愛した、カルバンの涙ぐましい話に感動し、イエスの婚姻できても困難というのに深刻になり視野をもてた。
 宗教、科学それぞれの課題を統一解決が統一運動だが、宗教面で課題を新たに作っていないか、もしそれを隠したり注目分散の動機の今回の力入れだとしたら、忌避すべきこと。保守をうたう産経の今日の社説は散々だった。22年制定の法律は9年前の出来事にあてはまらないこと、家庭連合が関与していないことはわかる。信者が後日の紛争を防ぐ意図で一方的にいざなったなら問題だが、次女三女の言い分がなぜか各紙には出ない。報連相しているなら、家庭連合が万が一使用者責任的になすりつけられて曲解されかねない。使用者と認定されれば免責難だから。そういう意味からすると、仮定の域をです、問題隠しや意識分散は目的ではなく、正しく知ってもらうためとわかる。

 そのうえで、我々子女に課せられたものとして、円安や少子化などの科学の課題は勿論だが、新たに作ってしまっているか、生じてしまっている宗教の課題も統一された一つの課題として解決するという命題はいまだ残っているといえよう。少なくとも、親なる天の父母は、先駆けて課題を知り、我々より身悶えしていることはいえる。そな父母を慰めて差し上げたい気持ちがわく。