讃美と聖歌隊による讃美、聖歌讃美練習の意義と価値について~心情の緣を求めて~ 


本論の目次

 1 問題提起

(1)はじめに ~早速課題から

(2)問題の所在 

 2 聖歌隊讃美の位置

(1)讃美について 

(2)礼拝とは 

(3)公式的な神様への讃美は4つ 

(4)聖歌隊讃美の位置 

余談

3 聖歌讃美の意義と価値

(1)なぜわざわざ聖歌讃美を述べるのか 

(2)聖歌とは

(3)聖歌讃美の意義と価値

4 聖歌讃美練習 

5 結論~いつか神様が…満たされた生活を送りたいあなたへ~

編集後記


本論

 1 問題提起

(1)はじめに ~早速課題から

 私の所属する家庭教会では、ここ最近、礼拝時の聖歌隊による讃美を多くとも1ヶ月に1回までしかできていません。拙者は人を頼りたくないのが性分で、あまり他とは連絡をしないから把握していないですが、去年我がエリア(一定の地域の複数の家庭教会の集合)は、聖歌隊コンクールを開催できませんでした。応募が少なかったのです。だから、他の家庭教会の参考にもなると思います。

 家庭連合の信徒でない方も、聖歌隊による讃美はこういう意義と価値のもとにあるのだということを認識してもらいたいです。


(2)問題の所在 

 所属の信徒の出入りや、人数不足、人前で歌うのを恥ずかしがる地域住民性もあるかもしれないですが、他の要因もあるのではないでしょうか。

 讃美や聖歌讃美はわかっても、聖歌隊による讃美の意味までわからないのではないでしょうか。以下に述べる通り、音楽は結果なので、音楽の得手不得手は聖歌隊讃美と関係しません。 

 実践には信じること、信じるには認識を要します。その認識を読者の皆様が得て頂くため、讃美、聖歌讃美、聖歌隊讃美の意義と価値を、述べます。 


 2 聖歌隊讃美の位置

(1)讃美について 

 讃美とは、ある存在の本性を褒め称えることです。


(2)礼拝とは 

 礼拝は神様と人間という親子の対話を公式的にするものです。各家庭が子の立場で親なる神様に面会します。親なる神様は礼拝儀式とみ言を伝達し、子たる人間は感謝の意を返します。感謝の意を返すことは、嬉しいと伝えたり、安否を気遣ったり、親を誇ること、ある子を親の立場で祝ったり癒したりして表れます。すべてのそうした感性が親の愛ゆえであることを知り、盛んに良しとしてその気持ちを表すのです。神様は喜びに満たされ、親子のコミュニケーションが成立します。 


 (3)公式的な神様への讃美は4つ 

 礼拝の中で、兄の立場が弟の立場によい讃美を伝えるのです。神様の代理あるいは使者がその御意を伝達し、また、人間の総意を神様に伝えるのです。より霊的な讃美は讃美役事スタッフによる讃美役事と信徒の讃美役事から、より肉的な讃美は聖歌隊による讃美と信徒の讃美から生まれます。


(4)聖歌隊讃美の位置 

 聖歌隊讃美は公式的な讃美のうち、後者の、より主体的なものです。 


余談 

 なお、子女同士が互いを讃美し合う讃美大会なるものがあります。あまり我が家庭教会では行っていないので、行いたいです。 


 3 聖歌讃美の意義と価値

(1)なぜ今さら聖歌讃美を述べるのか~赤裸々な告白を交えて

 ①迫害に耐えられないとき、②政治などの学術に関心が向いているとき、③簡単に音楽に接することができ何となく共鳴したそれらの幾つかの音色や振動が聖歌のそれと異なるとき聖歌讃美がしにくくなります。

 見えない神様を信じがたくなり、真面目なシチュエーションに更に真面目な神様への讃美かと遠退き、身近な楽曲の方が堕落性をもった私達は共感しやすいのです。

 しかし、①から③の要因は、皆悪です。迫害の中で歴史は聖歌を讃美してきました。政治は真美善や愛を願う心がなす宗教と、衣食住や性を願う体がなす経済の調整原理にすぎず、堕落性は克服しなければならないからです。 

 聖歌隊のリーダーや隊員がこうした事態に陥ると深刻です。(2)以下を参照すればよく分かります。


 (2)聖歌とは

 嬉しいことを求める本心は、言葉を知らなくても、声を発し喜ぼうとします。赤ちゃんがそうです。音となって、発した言葉が自分の心と共鳴するので楽しいのです。心は神様が賜りました。音楽となった赤ちゃんの言葉は神様を喜ばせるのです。 

 そうした聖なる関係から生まれる言葉が音楽になるので、聖歌なのです。音は振動と一定の幅、個性から成り、メロディとリズム、ハーモニーです。ハーモニーは、個性を異にした人間から刺激を感じる個別相が神様の内に統一してあることに由来します。


(3)聖歌讃美の意義と価値 

 聖歌をして神様の神性を感じたことに対する気持ちを盛んに表すので、聖歌讃美です。 

 親、祖父母になりその真美善に気付くので成長に必要なものです。生活に不可欠で、価値は絶対的といえます。 


4 聖歌讃美練習 

 より真実に、美しく、善く聖歌を讃美したい。親の喜びを見て子も喜びたい。だからより豊かな楽曲を作り、聖歌讃美の練習をするのです。心情でするものです。


5 結論~いつか神様が…満たされた生活を送りたいあなたへ~ 

 聖歌隊による讃美は、心情で讃美することが神様を喜ばせることに気付いた人間が、より本然の因縁(ゆかり)を求めて実践する取り組みといえます。本心は神様を向いているので、いつか神様が選んでくださいます。誇りをもって名乗りを挙げ、取り組みに参加すべきなのです。 


編集後記

 3(1)の①から③は、いずれも体験しました。①は2010年4月から2013年、②は2014年半ばから後半と2016年後期、③は2020年4月から22年に訪れ、その度に、所属家庭教会では聖歌隊讃美がなかったのです。家では10年歌わず、歌えば注意ばかりされる、だからまだ家庭に聖歌隊を証しきれていない私という''困らせ屋''がいない一点で。

 その時々において、苦労して私を説得し、聖歌隊に呼び戻してくれた方や背後の神様にはいくら返そうとしても返しきれない情けを賜り、2023年3月からは継続してできる限り尽くそうと努めています。こうした心境を抱き続けていられるのも、み言が歌詞として霊人体(人間の、形をもった心)に定着しやすい聖歌讃美の醍醐味の一つなのかもしれません。

 遠退く気持ちを知っているので、練習参加は任意で良いですよ、と隊員や、神様が選ぶだろう方には言いますが、本当の意味で喜ばせて差し上げていないのを知っているので、自らが責任を負うことで、最も負われるその父母の子女になる契機を与えられるのも宝です。


 以上