願いを叶えるということ | 日々是一進一退

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20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

今観ているドラマの冒頭に使われた曲。

法廷物なのですが、18歳の若いカップルの物語で彼女が突然連絡を絶って数ヶ月後に「会いたい」と言われて2人で病院を抜け出すのですが、彼女は脳腫瘍を患っていて手術をしても余命は6か月。
前頭葉の腫瘍を取り除くため、記憶や言葉や人格が変貌してしまう、もしくは失う可能性が高く、「それは『私』ではないから」と自死を既に決めていて彼の前で薬物を注射します。

最初は彼に「もう帰っていいから、一緒にいなくていいから」と言うのですが、自ら注射をするので力が入りきらなくなり、彼に手伝ってほしいと頼みます。

当然彼はできない、やめてほしいと訴えるのですが、
「愛しているなら願いを叶えてほしい」という彼女の訴えに応え、殺人の罪に問われるという話です。

物語は宗教にも言及するのですが、長くなるのでこちらは脇に置いて。

2014年アメリカで、脳腫瘍の為余命が幾ばくもないとされた29歳の女性が尊厳死を選び、法律で認められているオレゴン州に家族と移住した話がベースになっていると思われます。
本人がインタビューに答えたり、SNSで発信していた事もあり、また29歳という若さだった事もありかなり話題になりました。

ベルギーでは、17歳、11歳、9歳の子供が安楽死を遂げたとされています。

「最後まで」耐え抜く事を選ぶ事も、
「自分が自分でいられる」事を選ぶ事も、
どちらの自由もあるべきだと私は考えています。

自分の事なら決断できます。
ですが大切な人なら?

新島襄の、
男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ。」

この言葉が好きです。

但しこの言葉は、自己が保たれている事が大前提だと思うのです。

自己が失われるという事は、最後の血の一滴まで流した状態じゃないかと。

もちろん、捉え方によっては考えうる全ての治療を試すべきだ、ともとれるかもしれません。

とても個人的な領域です。
だからこそ、究極の自由が認められるべきではないかと考えるのです。

そう私は考えているので、ドラマの彼のように一生の枷になるかもしれないとしても、叶えてあげたいし、叶えてほしいと思います。



動画、再生できますでしょうか汗

How long will I love you

この愛はいつまで続くの?
As long as stars are above you

星が瞬き続ける限り

And longer if I can

永遠に


How long will I need you

いつまで愛せるかしら?
As long as the seasons need to

季節が巡り続ける限り
Follow their plan

時の流れるままに


How long will I be with you

ずっと一緒にいられるかしら

As long as the sea is bound to

波が打ち寄せ

Wash up on the sand

砂浜を浚うまで


How long will I want you

どれだけ恋焦がれるの?
As long as you want me to

私を必要としてくれるなら

And longer by far

いつまでも


How long will I hold you

抱きしめていたいの
As long as your father told you

父の長い話みたいに
As long as you can

ずっとよ


How long will I give to you

全て捧げるわ
As long as I live through you

あなたと過ごす日々

However long you say

いつだって一緒よ


How long will I love you

あなたを愛し続けるわ
As long as stars are above you

空に星が輝き
And longer if I may

生命が続く限り


How long will I love you
As long as stars are above you

(和訳お借りしました)