幸せを感じること | 日々是一進一退

日々是一進一退

20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

クリスマスに、また勝手にリブログ。
(双月さんすみませんあせる本当は「最後の話」の方に対して血気盛んなリブログをしようとしていましたが、ご本人がきちんとクローズされたものよりも、今の時期こちらの記事が良いかなと)

双月さんの記事は、長くても短くても気持ちを掴まれる記事が多いのですが、少し近い気持ちを同じ日に感じたので。

まだずっと若い頃、あまりにも先のことなんてわからなくて、何でも手に入るような気でいたり、または「自分になんか何も手に入らないんだ」ってきめつけていた頃。

私の場合は虚弱故に、体力が必要な仕事だったり世界を行き来するような仕事にはつけないだろうなという反面、「不細工なんだから結婚できないかもしれない、だから手に職をつけなさい」と働く事を刷り込まれた状態で社会に出て、出来る事多くなさそうだけど、とにかくなんだかやらなくちゃいけない、という状況。

男性に頼らなくていい、でも虚弱でも手に職ってなんだ⁈と。

結局は世間の事も仕事の事も何も知りませんから、
ただやりたい仕事をやって来ただけですが、いわゆる
徒手空拳なので本当に大変でした。
(記憶力無いから、具体的な事を忘れてたりしてある意味幸せ笑)

社会に出て30年、結婚生活を23年、手に入れたものも失ったものもそれなりにあって。
又はもう手に入らないだろうと思ったもの。

私なんて大した人生経験などなくて、よくある話だろうことばかりです。
だから、これからも何となく、すごく幸せでもなければ不幸でもない人生を過ごしていくのだろうなと、3年くらい前までは思っていました。

パートナーからは安心感や信頼感が得られないけど、
女友達には恵まれてるから幸せかなとか。
(これ、日本の女性には多い気がします)

煮え湯を飲まされるような目に会いながらも、仕事そのものは好きだし、いつ1人にされてもご飯くらい食べられる稼ぎはあるしとか。

不健康だけど、薬飲んでれば生活はできるし「死にはしない(by主治医)」とか。

「悪くないんじゃないか」くらいで粛々と寿命を全うしていこうと思っていました。
なんだか文章にすると若干引きますが、割と「幸せなんだ」って感覚だったのです。

ですが。

昨日ちょっとした、ほんとにささやかな時間を過ごした時に、「幸せだな」って心から思ったのです。

今までは、「きっとこれは幸せな事なんだろう、だから『幸せなんだ』」って頭で考えていたり。

または当たり前に手に入るものだと勘違いしていて、
大切にしなかったり。

そんなたくさんの経験を、良くも悪くも覚えて積み重ねてきたからこそ、「幸せだ」って感じる事が出来たんだなと。

きつかった事、具体的に覚えていませんと書きましたが辛かった気持ちは忘れていなくて。

でもそんなたくさんの嫌な事も良い事も、ひっくるめて忘れずにやってきたからこそ、「幸せな事」がわかるんだなと改めて感じていた同じ日に、冒頭の双月さんのブログを拝見して、「まさにこれなんです!」と。

私なんかに比べて、双月さんはすっきりと、でも丁寧な文章で書かれていますが、本当に素敵な瞬間だったろうなって想像しました。

双月さんと愛方さん、そしてブログを読んで下さった方がその大切な人達と、穏やかでかけがえのない日々を過ごせますように。





今年度版が貼れなかったのですが、
NORADのTracks Santa