「誰のせい⁉️」となる人は他罰的、
「私のせい⁉️」となる人は自罰的な訳ですが、
完全なる後者です。
絶対関係ないような事でも、「桶屋が儲かる」カオス理論な超展開まで考えてから、「いやいや、私なにもしてなかったよ」と。
だからといって、じゃー誰のせいなんだ、と責める事はありませんが、どこに責任があって、今何をしなくちゃで、今後どうやって防ぐのかは考えなくちゃと。
どちらのタイプになるのかを、一体何が決めるんだろうなぁ、って考えていたのですが。
色んな要素を考えましたが、大きいのは
「自己肯定感の強さ」なんだろうなと。
自己肯定できる、って事は世界はわかりやすく、
安定的である、って事ですよね。
自分は世界からも肯定されていて、認められていて、
不確定な要素は無いと。
だけど、すべての事が自分の理解の範囲にある訳がないことも分かってはいるから、何かあると「誰か」に投げてしまう。
かたや、「自罰」のタイプは、自分が世界の全てを理解しているなんてありえない、間違える事だって多々ある訳だから、どこかで何かしたんじゃないかとか、
他の人のミスでも、事前にできる事があったんじゃ?とか考えてしまいます。
一歩間違えると、おこがましくもあるので、気をつけなくてはいけませんが。
そんな性格だからか、どうにもトラブルがあった時に、自分が引いてしまいがちです。
きっちり検証して、できるだけ事実ベースで解決しよう、って思うのですが、「他罰的」なタイプにはほんと通じない、というのがわかっているので面倒になってしまったり。
それに、そういう人ってそうやって自分の世界や心を守ってるんだろうなぁ、などと考えるともういいや、ってなっちゃったり。
そうこうしてる内に、変な忍耐力だけが身についてしまったのですが、そのせいでなかなか人に助けを求められないのですよね。
元々の性格でもあるのですけど、聞いて欲しい事があったのに、聞いてあげて終わっちゃった、とか。
トラブルの相手なのに、変に事情がわかるから、
私が引けば早く終わるかな、とかこの話出したら相手は困るんだろうなぁ、とか。
「いい人」アピールではないんですよ

別にいい人でもありませんし。
ただ、ほんと良くない忍耐力を身につけてしまったなー、ってげんなりしながら考えていたのです。
私が思っている事、全部出しちゃって受け入れてもらえるなんてあるのかな?と。
いや、たいていの人は言いたい放題なんかしてないと思いますし、自分が特別繊細だと思っているわけでもないのですが。
仕事でもプライベートでも、なんだか自分の言い分や感情だけをぶつけられるような事が続いちゃったもので、つらつら書いてしまいました。
アメンバー記事が1番自分の率直な気持ちを書かせて頂いていますね。
お付き合いくださる方がいて、ありがたい限りです。
