こんにちは
向島から浅草を考えてみる回(#46&47)を書いてから半年近くが経ちました。
アップデートしていない期間に、最終回#47には、52ものいいね頂き、これもひとえに、次はいつ書くんだ?という意味でのポチっに違いないと日々思っています。
このブログを端からお読みいただいた方にはお分かりの通り、市販のガイドブックより深い浅草近辺の歴史を勉強しようと大学に入ったら、当然、誰も「浅草学」を開講しているわけもなく、日々、さまざまな歴史を学ぶことになるわけです。ざっと受講したものを書き出すと・・・
日本史だけでも(古代史、中世史)、中国史、東南アジア史、美術史(近世)、世界宗教史、日本宗教史くらいでしょうか。
そんなわけで、直接、このブログのテーマに則した内容を勉強しているわけではないので、アップデートするインプットがないわけです(^^;
この期間、実に膨大な量の知識インプットはあったのですが、その一つを紹介しようと思います。
それは、テーマにも掲げた「日本人の屋内で靴を脱ぐ文化」についてです。
外国人が日本について、持つ疑問の中に、「なぜ家の中で靴を脱ぐのか?」があります。
外国の旅行ガイドにも、靴を脱いだ時に恥ずかしい思いをしないように、日本に行くときは、穴の開いていない靴下を持っていきましょう。と書いてあるものもあるとのこと。 そりゃそうだ(笑) 僕だって、忘年会シーズンには特に気を付ける!
では、どうやって、なぜ?の質問に対して答えていますか?
「いや、靴を脱ぐのが、日本の伝統文化だから」
とか答えていませんか?
それは、それで正しいのですが、僕は、逆の考え方をします
「どうして、家の中で靴を履くの? 治安が悪くて、自分の家に強盗が入ってきたり、逃げ出す必要があるの?」
恐らく、この質問に対して、歴史的背景から答えられる外国人はいないと思います。
きっと、答えるでしょう。「靴を履くのが、伝統文化だから」
そう、伝統文化とは、得てして、楽な答えなのです。
歴史と伝統、文化ほど、偉そうなレッテルの割には、僕らが実は「根拠も調べず考えもせず受け入れているもの」はないのです。
さて、以下は、博物館学実習と授業で、博物館の企画展実施のために調査した結果を企画書『履物の歴史~西洋史から考える洋靴 古代から未来へ』にまとめた際に知ったことを書きます。
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人間が履物を履くようになったのは、いつのことだと思いますか?
この質問に正確に答えられる人はいません。
でも、推測はできます。
それは、古代遺跡に残る壁画やレリーフ、また神々や王たちの彫像の足元をみるのです。
そこでわかることは、履物の誕生は衣類や装飾品よりも後のことだとわかります。
大英博物館のレリーフを見ると、古代エジプトの新王国 ラムセス王朝期(BC1350-1100)にサンダルとして履き物が登場します。
履き物を履くのは主に神官だったようで、一方、王は神聖な儀式に臨むときは裸足であったことが壁画から読み取れます。
(「トトメス3世の側室のミイラの黄金のサンダル」第18王朝 フレッチャー・ファンド他)
古代ギリシアでもBC5~3世紀サンダルが履かれていることがわかります。しかし、ギリシア人は人間の体について独特の考え方をもっていました。それは、レスリングや格闘技パンクラチオンの様子を描いた遺物からもわかるように、裸で行い、体を鍛えることを意識的に行っていたことです。そのため、ギリシア人にとっては靴は足を保護する性格が強く、家の中では靴を履かず裸足だったのがわかります。また、多くの人々は、屋外でもサンダルを履くことは肉体の軟弱化の表れと考え履き物を故意に履かなかったと考えられています。
(「Sandal foot from small statue」BC13-14世紀 フレッチャー・ファンド他)
非常に精巧な革の裁断技術と、ホールド感をもっていそうなサンダルデザイン
履き物のデザインが多様になるのは古代ローマからです。
なぜ、古代ローマからなのか。
古代ローマには、どんな特徴があったのか。
歴史好きな皆さんは、どんな理由が思い当たりますか?
と、前振りをしておいて、次回に、西洋人の先祖が履き物を履きだす理由と時期をいっしょに考えましょう。
皆さんのうち、何人かの人々は、外国人と会話する機会があったり、ひょっとしたら、ガイドを実際にしたり、外国人の生活サポーターのような仕事をしているかもしれません。もし、日本と外国のカルチャーギャップ(「日本・日本人はなぜ?」)に出会ったら、外国ではなぜ?と問い直してみてください。そうすると、国際交流や外国の理解が深まるんじゃないかと思います。