探していた大絵馬が見つかりました。

「#9 江戸時代に日本を訪れた外国人の本を読む 〜 DownToTokyo」で取り上げた

『シュリーマン旅行記 清国・日本』

ハインリヒ・シュリーマン著

石井和子訳

未読の方のために、今回の話題に関連する部分を抜粋して転記します。

 

「(前略)日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん(花魁)」の肖像画(注記:大絵馬)が飾られている事実ほど、我々ヨーロッパ人に日本人の暮らしぶりを伝えるものはないだろう。

他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しくも恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは思わなかった。ところが、日本人は、他の国では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。そのありさまを目の当たりにしてーそれは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われたー長い間、娼婦を神格化した絵の前に立ちすくんだ。」

 

ハインリッヒ・シュリーマンは、ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイを発掘したドイツの考古学者です。

詳しくは「#9」をご参照ください。

 

さて、この本を読んだ人が書いたと思われる浅草関連の書籍や個人のブログを10点に届くほどシュリーマンが観た花魁の肖像画の話題について取り上げているのを目にしたことがあります。しかし、そのどれ一つとして、その大絵馬を特定しているものはありませんでした。

僕も、ずっと探していて、台東区教育委員会が発行した浅草寺の寺宝 大絵馬をまとめた『浅草寺の絵馬と扁額』台東区文化財調査報告書 / 東京都台東区教育委員会社会教育課編も観ましたが、掲載されておりませんし、春の国指定名勝 浅草寺伝法院公開時期に合わせて開催される『大絵馬・寺宝展と庭園公開』には年を変えて数度訪問しましたが、ありませんでした。

 

今回これだと思うものを見つけました。

(喜多川菊麿(月麿)作 浅草観音奉掛額之図)

この錦絵が収録されているのは『秘蔵浮世絵大観 ジェノバ東洋美術館』という本です。

ジェノバ東洋美術館は、イタリア・ジェノバにあるエドアルド・キヨッソーネ東洋美術館のことで、ここにこの錦絵が所蔵されています。

エドアルド・キヨッソーネは、明治8年日本の大蔵省が直面していた紙幣の偽造防止技術を導入するためにイタリアから招聘され16年間 日本で働いた画家であり版画家です。現在、我々が日常的に使用している紙幣や金融機関の証券・債権などの世界最高峰の偽造防止技術は、彼の功績が原点なのです。

 

また2018年は正に、彼キヨッソーネを取り上げても良い年で、それは、西郷隆盛と大いに関係がある。

西郷隆盛といえば、これの写真。写真嫌いだった西郷隆盛は写真を1枚も残さなかったと言われていることは有名な話。

で、この写真のような肖像画を書いたのが、エドアルド・キヨッソーネその人なのですって。

まさかね、浅草寺の花魁の額を調べていて、こんな色々な面白いことに出会うとは。

詳しくはwikipediaじゃなくて、こちら。

https://www.npb.go.jp/ja/museum/tenji/kako/pdf/tenji_h30_saigo_booklet.pdf

独立業績法人国立印刷局 お札と切手の博物館 「キヨッソーネが描いた西郷どん」

 

さて、キヨッソーネは版画家であったため、自分の趣味のために浮世絵を収集します。

そのコレクションを収蔵したのがキヨッソーネ東洋美術館です。

自分自身が画家であり一流の版画家だった彼の収集した浮世絵は、収集視点が他の収蔵家が集めたコレクションとはまた違う視点で秀逸なものなのでしょう。

 

秘蔵浮世絵大観 楢崎宋重編著には、喜多川菊麿(月麿)作 浅草観音奉掛額之図に、その解説が記載されているので抜粋転記する。

「吉原の妓楼扇屋(五明楼)の花魁滝川は、寛政年間(1789〜1801)を代表する美人として、歌麿をはじめとする浮世絵師がしばしば錦絵に登上させた。この滝川は、ただ単に容姿が美麗であるにとどまらず、教養が高く、書画のたしなみも深くて、浅草の観音様に自画自讃になる扁額を奉納することすら企てたほどであった。この図は「申正」の改印があって、寛政十二年の正月に版下絵が成ったことが知れるが、江戸中の評判になったその大絵馬を製作中の様子が、美化の演出を加えながら描き出されている。(後略)」

 

滝川が大絵馬を浅草寺に奉納したのは寛政12年(1800)年。

シュリーマンが来日し浅草寺に訪問したのは、1865年。

年代的にも誤差がない。

 

僕が、推測するに、シュリーマンが観たのは、この滝川の絵だ。

しかも、この喜多川菊麿が描いている花魁滝川他、富川、粂川、玉川、津川、歌川、清川 め浪、お浪が描かれている喜多川菊麿の絵ではなく、この絵の中に描きこまれた彼女たちが囲んでいる”中央の『滝川』の絵”が奉納されていたはず。

 

つまり、石井和子女史の訳

「日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん(花魁)」の肖像画(注記:大絵馬)が飾られている事実」

は『肖像画』が間違えで、(注記:大絵馬)がシュリーマンが原文で描いた単語だったと思われる。

講談社さん調査してみませんか?と、ここで書いても読者の少ないマニアックなこのブログでは発信力が低いですかね。

 

 

『シュリーマン旅行記 清国・日本』

ハインリヒ・シュリーマン著 石井和子訳を出稿する際には校閲が入ったことでしょうが、それを確認する手立てが見つかっていなかったのではないでしょうか。

 

僕にとっては、歴史のミステリーを解き明かせた大発見です。