こんにちは

長い間、お休みしている間にも、多くの方が訪問し、ご覧になってくださったことお礼申し上げます。

その期間、日本史の教科書を1ページめから最後のページまで読み通して、受験勉強していました。

 

趣味というか、ちょっとした興味で始めた育った町の歴史を調べる作業。

どうせ調べているのなら、面白いと思った話を伝えようとガイド、ブログと取り組み始めたら知らないことが増えるばかり。

 

「浮世絵に書き込まれた狂歌が、なんて書いてあるのか知りたい!」*欄外コメントあり

(『難波屋店先』 栄松斎長喜〜慶應義塾大学メディアセンター・デジタルコレクションより)

 

「原文が読めない(_ _;)なんて書いてあるんだ!」

(『江戸名所図会』 浅草寺より)

 

もうこれは、師を探して教えを受けなければ自分の力ではどうにもならない。

というわけで、来春から人生やり直し。史学科の大学生になります。

別に、ガイドやるのに、そこまでいらないよね。旅行ガイドブックみれば〜。👅

 

今回は合格記念号。

ガイドブックに飽き足らない方に何を紹介しようか。

 

前から年代順の話題の合間に入れる話題として、いつか書こうと思っていることがあった。

それは、こちらのブログでの訪問回数の最も多い回が、「#4 江戸時代の露店といえば水茶屋と楊枝屋・・・楊枝屋?」なのです。

なんで? という話題。

 

読者ボタンを押さなくても、ブックマークしてくださった人が、毎度「#4」から来てくださるのか?

それとも純粋に、水茶屋を調べて辿り着いたのか?

なぜなんでしょう

『楊枝屋』とキーワード検索して辿り着く人がいたら、僕よりマニアックだ(^^)

 

ということは

「水茶屋に興味があるんでしょ〜 隅に置けないね〜 お客さん」

 

 

てなわけで、水茶屋について、書くことにします。

はじまりはじまり〜♪

 

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ さ〜〜〜 

あ、これ舞台の引幕ね 

 

そもそも、水茶屋とは何か?

だいたい僕は、勝手な憶測から入ります。

(『絵本江戸みやげ』 西村重長 浅草寺の二十軒茶屋 立命館ARCより)

「茶屋なら、お茶だすでしょ。そこを水茶屋と、わざわざことわってる。」

「茶屋より、水を売ってるんだから、安い喫茶店? 休憩場所貸しじゃ形が無いから、水売ったのかな?」

「そういや、水に砂糖と白玉いれて売っていたときいたぞ 単なる水じゃあね」

「ん? そういや京都での芸者遊びは、お茶屋で・・・だったな」

 

実は京都に行っていたので、紅葉スポットで歴史案内を聞いていたら思いついた。

会津藩京都守護職松平容保がいた金戒光明寺→二条城→新選組屯所壬生→遊郭島原

紅葉を愛でながら、歴史的事件の距離感をつかもうと。

(金戒光明寺〜ここに京都守護職松平容保はじめ会津藩が詰めていた場所。後の新選組になる浪士組がお目見えした間がある)

(壬生浪と蔑まれた新選組が会津藩に指定された壬生にある旧前川邸屯所跡)

 

そんな散策中に「お茶屋とは何か」を、現存する唯一の揚屋建築である『角屋もてなし文化美術館』で教えてもらいました。

角屋というのは、幕末好きならピンと来る。新選組 初代組長 芹沢鴨が、土方歳三、沖田総司、山南敬助らに暗殺される前夜に、その新選組の宴会をしていた場所と伝わる揚屋。

(角屋の客用入り口〜壁がべんがら塗りされていて豪奢。)

 

「お茶屋」と「揚屋(あげや)」には定義があって、「揚屋」の4つの定義に満たない貸座敷業を「お茶屋」というのだと美術館で教えていただきました。

その4つとは:

1.台所があって自前の料理を提供する

2.広い座敷がある

3.庭がある

4.茶室がある

この定義は年代ごとに条件が+だのーだのするそうですが、基本この4つ。

で、ご存知の通り、京都のお茶屋さんは全部なのかどうかは知りませんが、お料理は仕出し(外注)なわけです。

 

(揚屋角屋の台所〜この反対側に水場がある)

(揚屋角屋の庭〜この写真を撮影した部屋が芹沢鴨暗殺の前夜に新選組が宴会をした松の間。松の奥に茶室が隠れている)

 

 

というわけで、じゃあ、水茶屋にも定義があるんだろうなってことになり、このブログにつながるわけです。

 

この水商売の回。

調べてみると、いろんな面白いことが見つかってしまい、複数回に渡ります。

どうぞ、お楽しみに

 

*欄外コメント

錦絵『難波屋店先』栄松斎長喜の絵の中央に、「奉納 浅草観世音 願主 蔦屋重三郎」と読める。

この錦絵の版元が蔦屋重三郎だというのが、時代を超えて錦絵の中で残っているのが面白い。

どこのお寺の境内にも、願主が永代供養にいくら奉納しただの石碑を残しているのをみかけるが、しばしば、石が摩滅して読めなくなっていたりするのに対して、この錦絵に書き込んじゃうのは、実に斬新なアイデア。

 

蔦屋重三郎については、「#5 TSUTAYA 蔦屋書店の由来は吉原に関連する?1 DownToTokyo」を参照ください。