ストラディヴァリの音、どう解析するか?(音響編2) | 音楽 楽器 作曲の研究してます

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ストラディヴァリの音色をどう調べていったらよいのか?といったテーマで書いている連作ブログです。

 

前回、スペクトル解析をしたときに得られるフォルマント周波数が音色に影響するということを書きました。

ヴァイオリンの音色の区別にも使えそうです。前回のストラディバリの音源をつかって実験をしたところ、ヴァイオリン弾きや弦楽器屋の人たち10人はほぼ区別ができました。

 

スペクトル解析の問題点

この理論からすると、ストラディヴァリの調波構造やフォルマントに似せれば、

新作ヴァイオリンがストラディヴァリの音らしくなりそうな気がしますね。

 

でも、ここでちょっと問題なのが、

上の音源はあくまでも「とあるストラディヴァリ」の「とある瞬間」のスペクトルなので、

「これぞストラディヴァリの音だ」と一般的特徴ではないということです。

このシリーズの冒頭でも言ったように、ストラディヴァリの音のイメージは人によって異なります。また、実験で選んだ音源が好きか嫌いかも好みが分かれるところです。

 

さらに、スペクトル解析の性質上の限界があります。

理想的な定常的で周期的音波であれば良いのですが、ヴァイオリンの音は、残念ながらスペクトル解析の結果は時々刻々と変化します。だから、ストラディヴァリの音とはいっても、弦や弓、松脂、ピッチ、奏法…などたくさんの要因でスペクトル解析の結果が異なってしまうのです。

前回の音波のエンベロープの解説で示したように、音の立ち上がりであるアタックが変われば、定常状態のスペクトルが同じでも、違った印象に聞こえます。

 

このグラフはとあるプロのヴァイオリニストが奏法を変えたときのラ(A4)の音です。単に音階を弾いたとき、情熱的にフォルテで弾いたとき、穏やかにピアノで弾いたとき、それぞれのスペクトルですが、全く異なりますね。

 

もっと言うと、スペクトル解析の調波構造から得られる値は正確ではありません。

パワースペクトルをみて、だいたいこの辺の周波数が何dBくらい、といった具合です。

というのは、周波数分解能も厳密にするには限界があり、

一般のFFT解析ソフトでは観測できる周波数は周波数レンジと分解能の割り算で決まるので、飛び飛びの値(離散的という)になります。

そのため、ヴァイオリンのラの音である442Hzのパワーが何dBかを調べたくても、丁度442Hzに当たらず441Hzとか443.2Hzとかちょっとずれた周波数の値を見ることになってしまいます。
だから、あるスペクトル解析の値を細かく見てもしょうがなく、なんとなくの傾向として大雑把に見てあげる方が良い結果が得られることが往々にしてあります(機械学習などではMFCCが使われたりといったように)。

 

ストラディバリの良さは演奏者が感じる反応の良さか?
もう一つ、ヴァイオリンを弾いたときに感じる楽器の発音や余韻は、時間軸に沿った音量の変化となります。奏者が弾こうと脳で指令した信号が腕に到達して、手指の筋肉を動かした瞬間を時刻t=0にします。
ヴァイオリンも弦の振動が開始した後に、本体の共鳴現象によって音が鳴るので、ある音量に達するまでにタイムラグが生じます。このタイムラグが短いと「発音が良い」「反応の良い」楽器と感じます。Attack timeが短いと反応の良さを感じるでしょう。

そして、奏者が弓に加えた力に対して、音量が大きいほど良く鳴る楽器と感じます。
また、余韻である残響は弾き終わりから減衰して聞こえなくなるまでの時間です(Release time)。これが長いことも楽器が良く鳴っていると感じます。なお、残響はホール音響の分野などでは音量が-60dB下がるまで(音圧にすると100万分の1)の時間とされています。
これらの音量と残響について、時間と音量の面積は楽器から放出されるエネルギーとみなせます(上の図のオレンジ色の面積)。奏者が腕から与えたエネルギーに対して、この面積が大きいほうが楽器としてのエネルギー効率が良いことになります。

つまり、入力エネルギーに対して出力エネルギーが大きい方がコストパフォーマンスの高い楽器と言えます。逆に、あまりならない楽器や響きが無い楽器は、弾いたときのエネルギーが音として使われる量が少なく、残りは楽器の抵抗すなわち摩擦として浪費され、このロスは熱エネルギーとなって空間に放出されることになります。たぶん、奏者も弾いたときの心地で直観的に感じることがあると思います。良くなる楽器はちょっと圧力を掛けるだけでパンッと音が飛び、良くならない楽器はなんか弾き心地が重く鈍い感じがすると思います。
多くのストラディヴァリを持つ奏者が、楽器が意のままに応えてくれるというコメントをしますが、おそらく筋電を手に付けて楽器の発音タイミングを計測するとそのメカニズムが分かるかもしれません。また、ストラディヴァリを弾くとぐったりと疲れるとか、エネルギーを吸い取られた感じがするとかいう人もいますが、それは楽器のエネルギー効率が優れているからかもしれません。私も素人ながらストラドを弾くことがあるのですが、弾く弓から返ってくる力や体に感じる音圧がものすごく強いという印象があります。
ストラディヴァリの魅力は弾き手が受ける優れたパフォーマンスにあるのではないかと想像するのですが、近く検証をしたいと思っています。

録音とマイク
上述したように、ある時ある音のパワースペクトルがどれほどの意味があるのかという話をしましたが、楽器の音色以前に、音響解析で問題なのは録音機材・録音方法の問題があります。

 

演奏された生の音を聞くのでさえ、どこで聞くかで音色の印象が変わるのは皆さんもご納得のことかと思います。ステージ上で奏者が聞いている音と客席で聞く音は異なります。客席の中でも反射音や残響のために変わってきてしまいます。
ここで音を解析装置・コンピュータで解析するには、マイクで音を取り込まなければいけません。
そうするとマイクの性質によって音が全く変わってしまうのです。デジタル録音だからアナログに比べ情報が欠落するという次元の話ではなく、アナログだろうと何だろうとマイクを通すと元のストラディヴァリの音ではなくなります。ここが録音エンジニアといわれる職業の方々の機材や録音方法のこだわり処でして、いかに原音を再現できるかとか、より臨場感を出せるかとか、その匠の技がレコードやCDの音質を大きく左右します。マイクのみならずオーディオインタフェースやケーブルも、スピーカーも影響します。

 

さて、ヴァイオリンの音を解析するには。レコードを取るためのいわゆるオーディオ用マイクではなく、測定用マイクを使うことが多いです。というのは、オーディオマイクはA特性やC特性といって人間の聴覚特性に合った調整がされているからです。この特性もマイクのメーカーによって異なります。

ヴァイオリンから出た音を客観的にとる必要がありますので、調整がされていないどの周波数帯でもフラットな測定用マイクを使う必要があります。

 

次に、ストラディヴァリの音を録音するにはどのポジションでどういったマイクを使うか?
筆者もいろいろ専門家にヒアリングしていますが…
やはりマイクは安くはありませんね。1本何十万もするのもあります。観賞用として録音するならプロ御用達のShoepsが弦楽器には良いと聞きます。今は買う予算がないので(^^;オーディオテクニカのAT5040とEarthworks M23を4本、RMEのFireface802、東陽テクニカのOROS30のFFTアナライザー、2/3インチコンデンサーマイク、マイクロインパクトハンマといったラインナップで、状況に応じて使い分けています。
マイクは、例えば駒の近く10~30cmくらい上方から、ステージ上に左右2mほど上、ホールで取るなら客席に1本設置したりします。楽器の特徴をみるにはやはり近くないと良くなさそうです。1mも離れると反射や残響が混ざって楽器個体の特性はにじんでしまいそうです。

 

 ステージと客席に測定用マイクを置く(遠鳴り実験)

 

遠鳴りという現象について
ヴァイオリンから出た音は必ず減衰します。

ヴァイオリンの音はホールにおいては、点音源とみなせるので距離の2乗に反比例してどんどん音圧が小さくなります。
よく、遠鳴りする楽器という表現を聞きますが、実際にステージで演奏している音よりホールの客席で聞いている音が大きくなることは物理法則上あり得ません。

ストラディヴァリの楽器は指向性が強いという主張も聞きますが、それでも必ず減衰します。よって、近くではあまり音量がないように思えたけど、客席では大きくなって聞こえた!というのはあくまでも感覚や錯覚です。

 

ホールの壁による反射が重なって増幅するということもありません。

ステージで発せられた音は、客席にいる人には直接波がまず聞こえ、そのあとに壁からの反射波が届きますが、特に側方1次反射波がホールの音響には重要とされています。で、増幅されて聞こえるためには、その直接波と反射波の位相がちょうど重なる必要があります。

もしあったらそれは特殊な場合です。演奏者と聴衆が特定の場所にいるときでしか起きません。

そういった例としては、日光東照宮の「鳴き竜」のように、部屋のあるスポットで手をたたくと反射音が共鳴して聞こえるフラッターエコーです。これは、逆にホールにとっては致命的な欠陥と言えますので、普通はフラッターエコーが生じないようにホールは設計されます。

 

次のグラフは、ステージに立つ奏者のすぐそば30cm前方上方(stage)と、15m離れた客席(hall)に置いた測定用マイク(Earthworks M23)で録音したストラディヴァリ(1705年)のG線開放弦の波形です。全体的に10dBほどの減衰と5000Hz以上での違いが見られます。これは、手をたたいたときのスペクトルと比較すると、ホールの音響の特性でもあると言えますが、2000~5000Hzあたりの倍音成分が強いように見えます。
 

トッパンホールにてストラディヴァリのG線開放弦のスペクトル比較

 
この周波数帯はというと、人間の聴覚特性に通じるものがあってJIS規格の等ラウドネス曲線によると、私たちの耳は低周波数は聞こえにくく1000Hzから8000Hzにかけて感度が高くなるという聴覚の特性があります。
もう一つ、この周波数帯は主に男性オペラ歌手のベルカント唱法に現れるシンガーズ・フォルマントに合います。図4のようにシンガーズ・フォルマントは2~3kHz帯にピークが見られ、これにより大音量のオーケストラに負けない歌声が聞こえるとされています。ひょっとしたらストラディヴァリの音が良く通るということはこのシンガーズ・フォルマントに関係があるのかもしれません。
 

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音楽と楽器の研究:

 

 

筆者(横山真男)のHP(楽譜のダウンロードもできる作品リスト

 

https://www.cello-maker.com/