氷艶-2017-破沙羅の第二幕第一場「闇の国宴の場」で舞われた舞踊。

蘇我入鹿、酒呑童子、石川五右衛門、地獄太夫の悪四天の見せ場です。

破沙羅の中で最も歌舞伎らしい場面です。 

三味線の譜面と、歌詞の分析、四人の歌舞伎キャラクターがなぜ選ばれたか?を書きました。


<三味線文化譜>









 *こちらの譜面は「中」巻ですが、「上」はまだ書いておりません(笑)(来年の記念日に掲載しますね)
「下」はこちらです↓

https://ameblo.jp/masao-syokora/entry-12462154502.html 

*譜面掲載について
JASRACに確認したところ、アメブロはJASRACと許諾契約を締結しているため、個人ユーザーが個別に許諾を得る必要はなく、テレビ放映から耳コピしたものも含む譜面を掲載することは可能とのことです。
  


【歌詞】上

四海波納まりて
常磐の枝ものほんよえ
葉も繁る
えいのんえい
えいさら悪の弥栄


前半の歌詞は長唄「舌出三番叟」の引用です。

   ↓↓↓

「舌出三番叟」歌詞

四海波風治まりて
常磐の枝ものほんよえ
木の葉も茂る 
えいさらさら


歌詞の意味をひもといていきます。

四海波(風)おさまりて』 
謡曲「高砂」の一節「四海波風静かにて、国も治まる時つ風」による表現。
祝賀の席で謡われたもの。ここでは悪の国が磐石なことを祝う。

常磐の枝ものほんよえ
常磐の枝は松や杉など常緑樹のこと。一年を通して葉の色を変えないことからめでたいものとされた。
のほんよえは囃し言葉。

(木の)葉も繁(茂)る
繁栄を意味する。

えいのんえい
えいさら(さら)

えいさらは、謡曲「岩船」の中の「引けや岩船、えいさらえいさと」と前段の「えいのんえい」と合わせて掛け声。岩長姫の暗喩として岩を言掛けている 。

悪の弥栄
弥栄は一層栄える、めでたいの意。


破沙羅の中で唯一、歌舞伎の所作事(舞踊)が入る場面です。それ故に一つの演目として「三番叟」を下敷きにした曲を作られたのだと思います。
(「 舌出三番叟」という名称は、その名の通り、踊りの途中で口を開いて舌を見せる所作に由来します)
数ある長唄の三番叟ものの中で代表的な曲です。
「三番叟」とはお正月や劇場のこけら落しなど、おめでたい節目で上演される儀式的な演目です。天下泰平や国土安穏、五穀豊穣を祝うもの。
第二幕第一場「闇の国宴の場」であるので、歌詞は闇の国の弥栄を祝うものとなっていますが、歌舞伎とフィギュアスケートの融合という歴史に記念すべき公演の祝儀として三番叟を歌舞伎役者が舞われたと解釈しています。

 


【歌詞】下

この世をば我が世と思う三笠山
巡る盃大江山
酒呑童子の大杯が流れ
北山 東山
天下を望む盗人が
見初めて手折る如意ヶ嶽
地獄太夫のカシャ髑髏
えいさら悪の弥栄
えいさら悪の弥栄

 

歌詞の意味
悪四天各々を表す言葉と所縁の山名が綴られています。山で繋いでいく手法は長唄で良く見られるもので「京鹿子娘道成寺」の中にも見られる「山づくし」というものです。
以下、悪四天の各人の登場する歌舞伎演目名も記載します。
次の曲へ繋ぐキーワードがあることにもご注目!キーワードは【】で記します。


蘇我入鹿


 歌舞伎演目:妹背山婦女庭訓



この世をば我が世と思う三笠山

三笠山御殿の段の
「 月も入鹿が威光には覆われますぞ是非なけれ 」
の浄瑠璃を、同じ趣旨の【藤原道長】の歌
 「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
に掛けたもの。いずれも栄華を極めた身を月を例えに詠んでいます。
三笠山御殿の段では三笠山の麓に新たに作られた宮殿が舞台に現れ、玉座の入鹿の栄光を家臣たちが称えます。


2.酒呑童子


歌舞伎演目:大江山酒呑童子



大江山に棲む鬼の頭目、酒呑童子の悪業に怒りをなした時の帝は、【藤原道長】の側近である源頼光に酒呑童子討伐を命じます。(道長の息子が鬼に拐かされたという説もあります)源頼光主従が酒呑童子に酒を呑ませて酔った隙に討ち取ったという伝説を元にした芝居。

 『巡る盃大江山

「巡る盃」は、歌舞伎の演目の元となった謡曲「大江山」の詞章からの引用。
「猶々めぐる盃の度重なれば有明の天も花に酔へりや 」(猶々巡る盃が、たび重なれば有明の天も花に酔ったか)
「巡る盃」とは中世の宴会では一つの盃が一同の間をまわることを言います。

 『酒呑童子の大杯が流れ

 一同に大盃を回して一口ずつ飲むことを「盃が流れる」と言い、 その日、何度盃が流れたかということが、宴がよいものであったかの目安となります。

酒呑童子の棲む大江山は【丹後】の【与謝野町】、福知山市、宮津市にまたがる連山。


3.石川五右衛門


歌舞伎演目 :楼門五三桐



北山 東山 天下を望む盗人が

「絶景かな、絶景かな」で有名な石川五右衛門が南禅寺山門から見渡す京都の情景。
東山の南禅寺からはるか北山を見る。
北山と東山は「五山の送り火」の五山のうちの2つ。「五」を五右衛門の名に掛けている。
東山と北山は送り火では「大」の字を焚くことから【大文字山】と呼ばれることが共通しているためこの二山を引用した。
(「大」は「天下の大泥棒」の呼称から?) 

天下を望む、とは高所からの眺望と、時の権力者に楯突くことの二重の意味。

また、五右衛門の生誕の地は【丹後】の【与謝野町】であるとされる。


4.地獄太夫


歌舞伎演目 :一休地獄噺

 

 河鍋暁斎《地獄太夫と一休》

 

見初めて手折る如意ヶ嶽
五右衛門の歌詞にある東山の【大文字山】の「大」の文字の火床となるのは東山三十六峰の中心の山である如意ヶ嶽。地獄太夫が幼少時、賊に囚われた如意山を言掛けてある。見初めて手折る、とはあまりの美しさに遊郭に売られたことを指す。

地獄太夫のかしゃ髑髏

地獄太夫と師弟関係を結んだ一休禅師に 「我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ」
という辞世を残してこの世を去った地獄太夫。どんなに美しい女でも最後は髑髏になってしまう真実を見せたいと、自分の死後は野晒しにして欲しいと頼んだ逸話にちなむ。
がしゃ髑髏は埋葬されなかった死者達の怨念が集まって巨大な骸骨の姿になった妖怪のこと。



これまで見てきたように、歌詞には全て次の躍り手へ繋ぐキーワードが詠みこまれています。


蘇我入鹿の歌詞に引用される【藤原道長】の歌

藤原道長】の側近の源頼光に退治される酒呑童子の棲む大江山は【丹後国の与謝野町】にある。

石川五右衛門は【丹後国の与謝野町】の生まれ。歌舞伎で有名な場面、「絶景かな」と東山の南禅寺三門から北山を眺望する。北山と東山は【大文字山】と呼称される。

歌詞にある如意ヶ嶽は【大文字山】の火床がある場所。地獄太夫が幼少時に賊に囚われた場所。
 
そもそも数ある歌舞伎の登場人物の中でこの四人が選ばれた基準が謎だったのです。
松本幸四郎さん(当時は市川染五郎)はディズニーオンアイスに対抗して歌舞伎オンアイスがやりたかった、と。歌舞伎にはディズニーに負けないくらいに個性豊かなキャラクターがいる、と仰っていました。
悪四天を見るだけでも歌舞伎のキャラクターの多彩さがわかります。 


蘇我入鹿は「公家悪」 の代表的な役。藍隈(青隈)の隈取りは藍隈は悪人や怨霊を表す。
酒呑童子の茶隈は鬼や精霊などの変化を表す。
石川五右衛門は「実悪」と言われるもの。白塗りに眉、目張り、口は口角に墨を入れる。
「悪」や「鬼」のバリエーションと、やはり歌舞伎と言えば華やかな花魁「傾城」ははずせない!と言うことで、地獄太夫が選ばれたのだと思います。地獄太夫は悪役ではありませんが、なんと言っても名前のインパクトが破沙羅の闇チームに華を添えるに相応しい。そもそも「地獄」の名の由来は前世の因果ゆえに苦界(遊郭)に身を堕とした自身を称したもの。悪の片鱗もありません。強いて言うなら衣装に描かれた蜘蛛の巣文様は男を絡めとるとの意味も持つため、それを悪と言うならそうなのでしょうか。実在した地獄太夫の着物は地獄の様相を克明に描いた「地獄変相」でしたが、破沙羅の衣装は蜘蛛の巣と紅葉。こちらは歌舞伎の「蜘蛛絲梓弦の薄雲太夫の衣装と思われ、悪チームらしいいでたちだと思います(広いリンクでは込み入りすぎた図柄だとインパクトが薄くなるため地獄絵図は採用されなかったと推測)


衣装やメイクの多彩さだけでなく、時代も多彩です。
蘇我入鹿は飛鳥時代、酒呑童子は平安時代、石川五右衛門は戦国時代、地獄太夫は江戸時代。そもそも破沙羅は神代の時代のお話なので、まさに時代をぶっ飛んだお話の象徴ですよね。


このように、ディズニーに対抗するキャラクターとして茶目っ気たっぷりで愛らしくもある四人が登場したわけですが、共通することがあります。
それはいずれも「まつろわぬ者」であること。


蘇我入鹿は日本書記の中で逆賊とされましたが、大化の改新は本当に正義の改革だったのか、との謎が残されています。もしも罪なくして殺され改革の手柄を横取りされたのであれば、祟らずにはいられましょうか?


酒呑童子はおそらくは山の中で暮らす人々、産鉄民であったとの見方が有力です。鉄は朝廷にすれば管理下に置きたいものでした。おそらく頼光の役目は力でねじ伏せ、鉄を奪うものであったのかもしれません。酒呑童子は最期に「鬼に横道はなきものを(自分は道に外れたことはしていない。道に外れているのはお前たちではないか)」と言葉を吐いて、首になって頼光の兜に噛み付いたと伝わります。


石川五右衛門は浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、江戸時代には創作の中で次第に義賊として扱われるようになりました。権力者の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉え人気を博したのです。(徳川政権の下なので権力者の象徴として前政権の秀吉にされてます)


地獄太夫については前述のように、 地獄と名乗りながらも、仏の道を志す者であり「まつろわぬ者」の要素はありません。
あえて言うなら、彼女の登場する歌舞伎の演目「一休地獄噺」の一休禅師は戒律が禁じる飲酒や肉食、女犯を行なう破壊僧。こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化に抗いました。
また、有名なのが河鍋暁斎の絵。地獄太夫の題材を数多く描いています。暁斎は新政府の役人を風刺する絵を描いて投獄された反骨の人であり、一休禅師と同じく、権力を振りかざす形骸化されたものを嫌いました。

そして、破沙羅での地獄太夫の衣装は「蜘蛛絲梓弦」の薄雲太夫の衣装。薄雲太夫は葛城山の土蜘蛛の化身。歌舞伎では妖怪として描かれますが、土蜘蛛とは大和朝廷に恭順せず敵対した勢力の総称です。


まつろわぬ者=権力によって事実を曲げられ闇に葬られた者と言えば、弾正もそうです。
仁木弾正のモデルとなった原田甲斐は長年の間、悪人と伝えられてきました。最近の研究では藩を守るためあえて逆臣の汚名も着たとの説が浮上しています。お家も断絶されたため資料がほとんど残っておらず、はたして真実はどうだったのか、謎が残る事件なのです。


そして岩長姫。
物語の発端となった彼女こそ、権力者から裏切られ、顧みられず捨て置かれて恨みを抱くに至った。


こうして見てみると、鬼とは哀しい存在です。
歌舞伎に登場する数々の鬼、紅葉狩の更科姫、蜘蛛拍子舞の妻菊、将門の滝夜叉 …etc.
「まつろわぬ者」として鬼と呼ばれた者たち。
「鬼滅の刃」という漫画に描かれるのはあまりに非道な仕打ちを受けたがために闇へ堕ちた鬼たち。人としての心のかけらを最後に取り戻すのが哀しくもあり救いのある物語です。
鬼とは哀しいもの。
だからわたしは鬼に心惹かれるのかもしれません。



今年の破沙羅祭りはこれにて千穐楽です。
今年もお付き合い頂きありがとうございました。

次回の予告です。
高橋大輔さんの衣装をイメージした着物をシリーズとして掲載していきます。また近々お目にかかれますことを。

さて、ではそろそろ還っていく彼らを見送ることといたしましょう。
「来年、またね」と。


破沙羅の長唄全般についてはこちら↓

 

「大江山」の画像はステージナタリーからお借りしました。 https://news.line.me/issue/oa-natalie-stage/d23d28db6356 
 


今夜21時~「氷艶2017破沙羅同時上映」というものがTwitter上で開催されます。

21時に録画再生(本編のみ、インタビュー部分なし)を一斉にスタートして #氷艶2017破沙羅同時上映 を付けて呟くという企画です。
ご都合の合う方、呟かなくても同じ時間を共有しませんか? 記念日のラストにファンが同じ時間を共有できるのも楽しいと思うのです。

そうして盛大に彼らを見送りましょう!ぜし!



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