*こちらの譜面は「下」巻ですが、「上」はまだ書いておりません(笑)(来年の記念日に掲載しますね)
*譜面掲載について
JASRACに確認したところ、アメブロはJASRACと許諾契約を締結しているため、個人ユーザーが個別に許諾を得る必要はなく、テレビ放映から耳コピしたものも含む譜面を掲載することは可能とのことです。
破沙羅をきっかけに長唄に興味を持たれた方、習い始めた方、習いたい方、
破沙羅の曲を「弾きたい!」と思われたなら始めてみましょう。
お近くに長唄の師範がおられるはずです。
またはカルチャーセンターでもいいし、動画で独学でもいい。三味線ってカッコイイと思われるならレッツトライ!
(ちなみに破沙羅の作曲者の今藤長龍郎さんはこちらのデジタルライブラリーで三味線の弾き方の動画を掲載されています。→
最短で上達できるのは杵屋栄之丞さんのとこかなあ)
フィギュアスケートをきっかけにクラシック音楽が耳に馴染むように、長唄がもっと身近になればいい。「高尚なもの」ではなく、江戸時代からのJーPOP。歌詞はエロいし、ロックでラップも。
ようこそ、長唄の沼の入口へ。
「長唄名曲要説」
年代 平成二十九年五月
作詞 戸部 和久
作曲 今藤 長龍郎
氷艶 破沙羅
(二上り、本調子、二上り、三下り、本調子)(約20分)
1 概節
この曲は平成二十九年五月代々木第一体育館に上演された歌舞伎とフィギュアスケートの共演に使われた曲であります。二幕から成る構成の一幕の第四場より長唄の演奏が挿入されます。
2 歌詞評釈
一幕第三場で善の英雄義経が颯爽と登場し、続いて四天王が現れ、国津神の長猿田彦こと武蔵坊弁慶と共に悪人との戦いとなります。この部分は三味線の演奏のみで歌詞は無し。
善人に打ち勝った悪人が大宴会を開き、歌舞伎の国から四人の悪人が招かれ舞を披露する。
「四海波納まりて」は 謡曲「高砂」の一節の引用、ここでは悪の国家が磐石なことを祝う。「常盤」常に変わらぬ岩のように永久不変、と岩長姫の世に掛けてある。「えいさら」は、謡曲「岩船」の「引けや岩船、えいさらえいさと」と前段の「えいのんえい」と合わせて掛け声。ここでも岩を言掛けている。「弥栄」は一層栄える、めでたいの意。
この後は悪四天各々を表す言葉と所縁の山名が綴られています。京鹿子娘道成寺にも見られる「山づくし」です。以下、末尾に()書きで歌舞伎演目名を記載。
「この世をば我が世と思う三笠山」は最高権力者に登りつめた入鹿の三笠山御殿 を指す。(妹背山婦女庭訓)
「巡る盃大江山」(大江山酒呑童子)
「北山 東山 天下を望む盗人が」(楼門五三桐)南禅寺山門から見渡す京都の五山の「五」を五右衛門の名に掛ける。五山のうち、東山と北山は送り火では「大」の字を焚くことが共通している。
「見初めて手折る如意ヶ嶽」は前述の東山の大文字が如意ヶ嶽であることを受ける。地獄太夫が幼少時、賊に囚われた如意山を掛けてある。「見初めて手折る」とはあまりの美しさに遊郭に売られたことを指す。「地獄太夫のかしゃ髑髏」(一休地獄噺)
「後の世もまた後の世も廻り」は義経の辞世の句を引用したもの。「破沙羅破沙羅と 」は 今この時この世界に、「染めよ」「舞い」は此処にかかり、思いを込め生き、舞え、との意。
阿国舞冒頭「花のほかにはまつばかり」京鹿子娘道成寺の引用。道成寺の花子は白拍子であり、男装の遊女の阿国と通じる。
阿国舞曲中「八つの時から廻り愛す」は初演の義経役の高橋大輔が八歳からスケートを始めた事に因む。「愛す」はアイススケートの当て字。「ちんとんしゃんちんとんしゃん舞拍子」はフィギュアスケートで舞い踊るの意。
「見事見事と弾正が」から「その顔見せよと面を取れば」までは艶ごとめいたところ。「粋を通して下さんせ」は郭では枕を交わすまでに手順が必要なように性急なことは野暮であるとやんわり拒絶する。
次が義経を取り逃がした岩長姫の場になります。「暗き瞋恚の燃え立つ焔」は燃え上がる炎のような激しい怒り。「物凄くもまたすさまじし」 すさまじいに同義語である物凄くを冠することから、 怒髪天を突くほどの怒りを毛振りによって表します。
続く弾正の場は役者の台詞と唄との掛け合いであります。「波を蹴立てて」で後の大海原海上決戦の場に繋ぐ。「綿津宮」 わたつみとは古語にて海という意味。「人魂燃ゆる黄泉底」は死者の魂が赴く世界。次の場の黄泉比良坂 岩戸の場を暗示している。「岩を打裂き千尋の谷」 は前段の岩長姫の毛振りを石橋に掛けている。「彼方をさして」までの台詞と唄で、この海の続くところいかなる悪道をも突き進み、地の底まで、この世界の涯までどこまでも追い続ける、と六方に入ります。
3 曲節の研究
概説で述べました様に、劇中の演奏曲を繋いだものですので置唄もありませんが、独創味豊かな作曲と、有名な曲の合方を組曲のように取り入れた部分もあり、大薩摩の勇壮な幕切れ、と技巧を聴かせて全体として面白く聴かせます。
第一幕の立廻りの曲。「トンチンチンチントチチリチリチリ」で始まる合方は、立ち回りの前半は歌舞伎の様式美としての静かな動きで型を見せるものであるので、あまり早間にならぬように弾きます。途中、陰囃子となりますが、「テンドロドドンロン」からの後半は一の糸が洋楽のビートの効果があり、拍子とリズムの面白さをねらって撥さばきと音色を利かせるように心がけます。ここからはノリを早く勇壮に。続く「ドンチリチリチリ」の高音の早掬いはキレイに弾きます。「チャチャン、、チャンチャンチャチャ」の部分のみ一の糸の「ドドドドド……」とパートが分かれます。「チリチリチリチリチリチリチリチリトトトトトトトト」は末期の弁慶の振りに合わせ速く。「ツルトロツツ」と勢いのまま不意に止め弁慶の討死を表現します。
悪四天の登場は荘重に演じます。酒宴に入ってからは騒いでいる心ですからスラリと軽めに演じます。
悪四天の舞踊の出だしは「チチ」で一息吸って伸びよく唄い出します。「えいのんえい」から短い合を聴き「えいさら悪の弥栄」は絃から離れて拍子にノッて演じます。
悪四天の舞踊はいずれも頭に「一拍子、半拍子、スクイ、ハジキ」の手が繰り返して入ることによって曲想のちがったものを違和感なく繋いでいます。 各人の曲から次に進むときにはその都度一旦棹をユルメる。
トチチリチリチリトチチリチリチリからは連舞となりガラリと気分をかえ「えいさら悪の弥栄」は浮き立つ気分を棹ノッて軽快に演じます。
二の絃を下げ本調子に。阿国登場からは琴との合奏で大和楽となります。タテの「のちの世の」の余韻が残るうちにワキが「またのちの世の」と受けます。「破沙羅、破沙羅に」はウラで唄い声をうまくつかって綺麗に聞かせる工夫が必要であります。
囃子の一声の後、「京鹿子娘道成寺」の謡ガカリになります。最初はさらりと、二度めの「花のほかには」は荘重に、たっぷり間を取ってから「松ばかり」に繋ぎます。「松ばかり」はつの字を上げると面白くなります。
二の絃を上げて二上りに。「京鹿子娘道成寺」の鞠唄の合の手となります。ここはいろいろなタマを加えて替手が儲けるところになっています。
一の絃を上げて三下りになりますが、徐々に上体を起こす踊りの振りに合わせて少しずつ転調いたします。「二人椀久」の躍り地へ。トテチリンを2回聞いて唄い出します。「ちんとんしゃんと舞拍子」は軽妙に唄います。タマの部分は弾みすぎて荒っぽくならぬよう、柔らかさやうるおいを失わぬように弾かねばなりません。チャチャンチャチャチャンの流れのままチャチャチャ……と三の絃を少しずつ上げ本調子に。
「鏡獅子」の髪洗いは阿国舞のくだりの最大の盛り上がりとなりますので、豪快、流暢、かつ華麗に演じます。歌舞伎舞踊にかかる場合の髪洗いの後半ばりのかなりの早間ですので、よほど技量の練達した弾き手でないとうまく弾きこなすことができません。
阿国舞は初演の高橋大輔が演じたことから、全体でフィギュアスケートのショートプログラムの二分五十秒を演奏時間の目安といたします。
続く一の絃のコキから三の弦のスリ上りで「見事見事と弾正が」からは浄瑠璃で演じます。「面の奥で微笑む女」の唄の切れ目にかぶせてチリチンチリチンのチンはスリ工夫がいります。「その顔見せよ」は絃から離れ「面を取れば」で棹シメて。
岩長憤怒の段はスリ上がりを豪快に弾いて始めます。唄は「暗き瞋恚の」ですご味を出す。ドツツルツルツルツは抑えめに弾きチチツツで一度棹ユルメる。ドンドンドンドンで次第にノって囃子との掛け合いになります。二の絃のスリ上りは内にこもった怒りを表すように抑えジャンジャンで強く弾きます。チャチャンチャチャンはハジけるようにトチチリトチチリで一気に盛り上げ大薩摩の本手押重となります。
弾正の段は飛タタキで長く引いて唄います。「 人魂燃ゆる黄泉底 」で一度ユルめる。「万世を絶って」のセリフにテツンはかぶせて弾く。「彼方をさして」は高くて苦しくても表で唄わねばならぬところです。演奏用の曲としての作曲ではないため段切れはなくナガシで曲の終止となります。
この曲は全曲どこを見ましても洗練された手がついており唄との関係も自然で一分のスキもない作曲技能の卓抜さは全くすばらしいものであります。
※長唄のバイブル「長唄名曲要説」のパロディです。玉兎さま、すみません。
※氷艶2017破沙羅2周年記念として三日間で公演数と同じ6つのブログを掲載してまいりました。
こちらは6つめ、最終となります。
ご覧頂きありがとうございました。
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