2024.3.1一日一季語 桃の酒(もものさけ) 【春―生活―仲春】

 

薄赤き顔並びけり桃の酒    正岡子規

 

1899年のホトトギスには、正岡子規の酒にまつわる話が掲載。友人に誘われて神保町に飲みに出たのはいいが、ラッキョを肴にして正宗を一合空けると、酔っぱらって苦しくなり、試験勉強ができなくなった。そのため、翌日のテストでは14点しかとれなかったという。

*『江戸名所図会』の一部。豊島屋の前に医師ととび職が待機しており、殺到する客が怪我をするのに備えている様子も描かれています。

 

 

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【傍題季語】

桃花酒(たうくわしゆ)

 

 

【季語の説明】

桃の花を浸した酒。三月三日の節句に供え,これを飲めば万病を払うという。

ひな祭りには白酒が欠かせない。もともとは桃が百歳を表す「百歳(ももとせ)」に通じることから、桃の花を酒に浸した「桃花酒(とうかしゅ)」を飲む風習があり、その後、江戸中期になってから、白酒が好まれるようになった。

 

 

【例句】

桃酒や大事の大事の小盃    正岡子規

草の戸や桜の鯛に桃の酒    正岡子規

雛もなし男ばかりの桃の酒   正岡子規

 

 

【白酒】

白酒とは、蒸したもち米にみりん、または米麹と焼酎などを混ぜて仕込み、約1カ月間熟成させた後にすりつぶして作られたもの。アルコール度は10%前後で、甘みが強く、酒税法上ではリキュールに該当

ひな祭りと白酒が結びついたのは江戸時代。『江戸名所図会』にも「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図」として紹介されており、ひな祭りの時期になると、白酒を求める人が遠くからも押し寄せて夜明けから店の間に並んでいたという。

初代の豊島屋十右衛門の夢枕にお雛様が現れ、白酒の美味しい作り方を伝授されたとか。それが江戸中の評判となり、徳川将軍も愛飲した。

豊島屋(昭和より豊島屋本店)は東京において最古の酒舗で、慶長元年(1596)に創業者豊島屋十右衛門が、江戸の中心部神田鎌倉河岸(現在の千代田区内神田)で酒屋兼居酒屋を始めたのが起源です。

十右衛門は白酒作りを始め、その評判は江戸中に広まりました。白酒は甘いお米のリキュールで、当時の女性に大変御好評をいただきました。

 

【桃花水】

古代中国に、桃の花が流れる川の水(桃花水)を飲んだら300歳の長寿を得られたという故事があり、平安の貴族たちは3月3日に曲水の宴を催して、桃の花を盃に浮かべた桃花酒を飲んでいたそうです。江戸時代に白酒が流行るまでは、桃の節句には桃花酒がつきものでした。

 

 

今日は何の日

三汀忌,微苦笑忌

小説家・劇作家・俳人の久米正雄の1952(昭和27)年の忌日。

俳号の三汀から三汀忌、久米正雄が微笑と苦笑を合わせて作った造語「微苦笑」から微苦笑忌と呼ばれる。

 

ビキニ・デー

1954(昭和29)年のこの日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した。

 

労働組合法施行記念日

1946(昭和21)年のこの日、労働者の地位向上を図る為の法律「労働組合法」が施行された。

「行進曲」と「3月」が同じmarchというスペルであることから。

 

豚の日

1972(昭和47)年に、アメリカのエレン・スタンリー、メアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝をこめて制定したとされている。

 

デコポンの日

日本園芸農業協同組合連合会が制定。

 

1991(平成3)年のこの日、柑橘類の一種・デコポンが初めて出荷され、東京の果実市場で取引された。

 

切抜の日

内外切抜通信社が制定。

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

(575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)