2024.2.23一日一季語 雛市(ひないち) 【春―生活―仲春】
雛市や次女にぼんぼり買い足しぬ 小沢昭一
2012年(平成24年)12月10日、前立腺癌のため、東京都内の自宅で急逝した。俳人でもあり「小沢変哲」という俳号を持っている。1969年(昭和44年)に入船亭扇橋を宗匠にして、永六輔、江國滋酔郎らと共に「やなぎ句会」を発足。句集など俳句関連の出版物もある。
雛市は、三月三日の雛祭に飾る雛人形や調度類を売る市。江戸では、日本橋の本石町十軒店、本町、人形町、京橋尾張町、麹町などに、二月の末頃から三月二日までこの市がたった。明治以後は百貨店がこうした販売をするようになり、雛市は廃れたという。
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【傍題季語】
雛の市(ひなのいち) 雛店(ひなみせ) 雛見世(ひなみせ) 雛売場(ひなうりば)
【季語の説明】
古代からの伝統を受けて京の貴族階級で誕生した「ひな祭り」が、江戸中期からは江戸の町をはじめ広く一般家庭で盛んに行われるようになった。
ひな人形が豪華になり人形の種類が増えて付属品が充実してくると、これを商う雛市・雛売などの商売も活発になった。京・大坂・江戸に雛仲間(雛人形問屋同業組合)組織ができ、江戸市内にも3月3日の節供の前に、雛や調度などを売る「雛市」が立つようになった。明治30年代から、東京では三井(三越)・白木屋(東急)など大呉服店でも雛が売られるようになり、のちに各地の呉服店や百貨店でも同様に販売するようになった。このことで、江戸の各地で開催された雛市は急速に廃れた。雛市はなくなったが、老舗の人形店のあった浅草茅町周辺では人形店が集まることとなり、人形の街・浅草橋が誕生した。
【例句】
雛市に時費やして悔いもなし 能村登四郎
雛市や五人囃子の売れ残る 中村七三郎
雛市を去ぬ雛の目を背に浴びて 長山あや
雛市の猫の香箱座りかな 辻美奈子
雛市にすれ違ひたる人の息 涼野海音
【由来】
平安時代から江戸時代へと、人形は紙人形からより豪勢なものへと変わり、飾る人形の種類もふえていき、それにともなって幾段もの雛壇をこしらえるようになります。
そこにさらに三人官女・随身・衛士、ついには江戸で五人囃子の人形が作り始められ、雪洞・金屏風・桜・橘や、調度や駕籠・牛車まで作られて七段飾りが誕生し、今日のひな祭の飾りとなりました。
古くは『江戸砂子』(貞享年間(1687〜87)刊行)によれば、2月27日より3月2日まで江戸中橋・尾張一丁目・拾間棚(十軒店)・糀(麹)町四丁目・人形町に雛市が立つとあります。
このうち、江戸の雛市を代表したのが十軒店でした。あまりの混雑に、仮設店舗も三列もが許可されるまでになり、寛政(1789〜96)頃の川柳には「十軒が十軒ながら公家の宿」(公家とは内裏とひなを、宿とは店を指します)と詠まれるまででした。
江戸後期以降(享保年間(1716~36)以降とする説もあります)にはひな人形の需要がさらに増えて、2月25日からの開催と時期が長くなるとともに、浅草茅町・池端仲町・牛込神楽坂上・芝神明前とひな市が立つ場所がふえたことが知られています。
浅草茅町の雛市は比較的新しい市でしたが、江戸を代表する人形店の吉徳大光(1711年創業)や久月(1835年創業)という老舗が近いこともあり、大いに栄えました。
【今日は何の日】
天皇誕生日(Emperor's Birthday)
天皇の誕生日を祝う国民の祝日。
1960(昭和35)年のこの日、皇太子浩宮徳仁親王(今上天皇)が誕生した。
富士山の日
パソコン通信NiftyServe内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が1996(平成4)年1月に制定。これとは別に、山梨県河口湖町が2001(平成13)年12月に、静岡県が2009(平成21)年12月に制定。
「ふ(2)じ(2)さん(3)」(富士山)の語呂合せと、この時期、富士山がよく望めることから。
ロータリー設立記念日
妊婦さんの日
富士見の日
以下の図書、ホームページを参考、引用しています。
(合本俳句歳時記 第四版 角川学芸出版)
富山いづみ <admin@nnh.to>
(カラー図説 日本大歳時記 講談社)
(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)
( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )
(ウイキペディア)
(575筆まか勢)
(俳句のサロン)
(一般社団法人日本記念日協会)