2024.2.15一日一季語 西行忌(さいぎょうき《さいぎやうき》) 【春―行事―仲春】

 

朝粥のさくら色なり西行忌     中野京子

 

釈迦の入滅の日は2月15日。

平安時代の歌人・西行法師は、出来ることなら同じ日、桜の花の下で死にたいと願い歌を残した。『山家集』や『続古今和歌集』に収録

「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

「如月」は「陰暦2月」。「の」は連体修飾格の格助詞。「望月」は「満月」。「の」は連体修飾格の格助詞。「如月の満月」で「釈迦が入滅した陰暦2月15日の満月」を表す。

この句のさくら色には、そんな西行を思う気持ちが現れているようだ。

 

 

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【傍題季語】

円位忌(えんいき《ゑんゐき》)

 

 

【季語の説明】

西行法師の忌日。陰暦二月一五日。西行は建久元年(一一九〇)二月一六日に没したが、二月一五日が忌日とされている。円位忌。

万葉歌人を代表する柿本人麻呂、俳聖と呼ばれる松尾芭蕉と並んで「日本三大詩人」とたたえられる西行法師が没した日。文治6年(1190)の2月16日、すでに存命中から伝説に包まれていた漂泊の大歌人西行は、その73年の波乱の生涯を閉じた。

法名の円位(えんい)から「円位忌」ともされる。

 

 

【例句】

西行忌さくら昏れゆくこゑをもつ  神蔵器

女将とし吉野に老いぬ西行忌    三村純也

筑波嶺にかかる絹雲西行忌     鈴木良戈

解読の古筆の一句西行忌      山田弘子

深吉野の風の草庵西行忌      寺杣啓子

 

 

【西行】

西行法師は、1118年(元永元年)に、検非違使左衛門尉佐藤康清の子供として生まれ、本名は、佐藤義清と言います。

もともとは武士で、23歳のときに出家。西行は僧侶や放浪の歌人として知られ、『新古今和歌集』にはもっとも多い94首の作品が収められています。のちの時代では松尾芭蕉も西行のことを師として仰いでいます。

西行は、秀郷流武家藤原氏の出自で、俗名・佐藤義清 (さとう のりきよ)、武士として徳大寺家に仕えていました。しかし23歳で出家して円位を名乗り、後に西行とも称しました。

「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

この歌が詠まれた年は不明ですが、西行は享年73歳、この歌はその約10年前に詠まれたものだと言われています。

 

 

今日は何の日

春一番名附けの日

1859(安政6)年2月13日、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い全員が死亡した。それ以前から、郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、これが「春一番」の語源とされている。春一番の語源には他にも諸説ある。

1950年代からマスコミがこの言葉を使用するようになって一般でも使われるようになり、1985年からは気象庁が春一番の発表を行っている。

 

西行忌,円位忌

歌人・西行法師の1190(文治6)年の忌日。

亡くなったのは旧暦2月16日であるが、願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃の歌より、15日を忌日としている。

2月15日は釈迦入滅の日であり、この前後に亡くなることは仏教の修業をする者にとっての憧れだった。

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

(575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)