2024.1.8一日一季語 弓始(ゆみはじめ) 【新年―行事】
青年に青年の肱弓始 大島雄作
沖で登四郎から学んだこと。「写生句を作れではなく、写生の目を養う」
登四郎は晩年、「写生」の重要性を指摘した。登四郎は人間探求派が注目されていたころ、教師の哀歓を詠んだ句でデビューし、晩年は老いの艶を感じさせる句が高い評価を受けた。一貫して心情を詠んでおり、それによって「人事の沖」という定評を得ていた。「写生」という俳句の基本用語をそれまで聞いたことがなかった。膝下から遠く離れている私には、その意図するところがよく判らず唐突な感がしたものだが、感性だけに頼っていては、老いが忍び寄って感性が枯れてしまうと作れなくなる。
現代俳句文庫71『大島雄作句集』より。
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【傍題季語】
初弓(はつゆみ) 的始(まとはじめ) 射場始(いばはじめ)
射始(いぞめ) 初弓(はつゆみ)
【季語の説明】
新年になって初めて弓を射ること。中世以後、幕府で年頭に行なわれた儀式。鎌倉時代には式日はまだ一定しなかったが、室町中期には正月一七日に一定した。江戸時代には正月一一日に行なわれた。御的始(おまとはじめ)。弓始。弓場始(ゆばはじめ)。
【例句】
ひかへたる稚児も凜々しや弓始 山口青邨
弓始弓の形の国なれば 藤田湘子
山里の学童八人弓始 奥村梅村
玄海へ放つ禊矢弓始 梅津皓童
弓始め禄百石の指南番 北村雪山
【防府天満宮弓始式】
日本初の天神さまで広く知られる、山口県の防府天満宮。
新年も明けた1月の成人の日、境内では「弓始式」が開催されます。
防府天満宮にゆかりのある菅原道真公。学問に技術にと長け、百発百中の射的の名手だった故事に由来し、「弓始式」が行われます。
たくさんの参拝客に見守れながら、古来の衣装に身を包んだ宮司により矢が射られます。
これからの未来を担う若者たちへ、邪気祓いの意味も込め成人式の日に行われるそうです。
【開運大的御弓始神事】
廣田神社が営む「開運大的御弓始神事」は、2000年から毎年、新しい一年の始まりにあわせて行われています。その年の開運を占うと共に、鏑矢(かぶらや)の音によって妖魔退散と大的に弓を射ることにより、悪霊退散、五穀豊穣、家内安全を祈願する神事とされています。例年、西宮弓道協会の協力を得て行われている中、2020年からは開運大的御弓始神事および弓道の普及活動を目的に、甲南女子大学 弓道部を含む地元・阪神間で学ぶ大学生も加わって斎行されています。
兵庫県西宮市大社町の広田神社で2日、魔よけの矢を放ち家内安全や五穀豊穣などを祈願する「開運大的御弓始神事」が執り行われた。神職や巫女装束に身を包んだ大学生らが、新型コロナウイルス禍の収束などを願って弓を引いた。
(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
【三十三間堂の通し矢】
「通し矢(とおしや)」は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったもので、矢数をきめて的中率を競う「百射(ひゃくい)、千射(せんい)」等があり、江戸時代、殊に町衆に人気を博したのは「大矢数(おおやかず)」で、夕刻に始めて翌日の同刻まで、一昼夜に何本通るかを競うもので、慶長11年(1606)の浅岡平兵衛の試技以来の武芸者の栄誉をかけたものとなり、尾張、紀州の二大雄藩による功名争いは、人気に拍車をかけ、京都の名物行事となりました。
*三十三間堂ホームページ引用
通し矢は例年1月15日に近い日曜日に行われています。
通し矢では20歳を迎えた男女の弓道有段者や称号者が約60メートル先の大的を射って腕を競います。
【今日は何の日】
平成スタートの日
1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、翌8日から新しい元号がスタートした。
「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で、初めて政令により新元号が定められた。
勝負事の日
「一か八かの勝負」から。
ロックの日
1935(昭和10)年にエルヴィス・プレスリーが、1947(昭和22)年にデビッド・ボウイが生まれた日。
イヤホンの日
イヤホンの情報サイト「イヤホンナビ」が制定。
以下の図書、ホームページを参考、引用しています。
(合本俳句歳時記 第四版 角川学芸出版)
富山いづみ <admin@nnh.to>
(カラー図説 日本大歳時記 講談社)
(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)
( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )
(ウイキペディア)
(575筆まか勢)
(俳句のサロン)
(一般社団法人日本記念日協会)