2021.12.14一日一季語  鍋焼(なべやき) 【冬―生活―三冬】

 

鍋焼ときめて暖簾をくぐり入る 西山泊雲

 

寒さも一段と厳しくなってきたこの時期、温まるには、鍋焼饂飩が一番です。私も、先日、体験しました。

明治維新。江戸が東京に変って、関西地方からも人がどっと入って来るにともなって、この「うどんの鍋焼」も流入し、上に乗っかるタネもにぎやかになり、東京の蕎麦屋で「たね物うどん」の最高級メニューとして定着していった。というように、大澤水牛氏の水牛歳時記に書かれている。

海老の天麩羅、鶏肉、卵、蒲鉾、竹の子、それに私の地元では、麩。

海外赴任の長かった義兄などは、家にくると、夏でもこの鍋焼饂飩を出前に頼んでいた。

 

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*地元の鍋焼きうどん  麩が入っている

 

【傍題季語】

鍋焼饂飩(なべやきうどん)

 

*2021.12  新宿 三国一  (関西風の味でした)

 

【季語の説明】

鍋焼きうどん(なべやきうどん)は、うどんを用いた料理で、煮込みうどんの一種。うどん屋では単に「鍋焼き」とも呼ぶ。「焼き」の名を持つが、いわゆる焼きうどんとはまったく異なり、小鍋料理の範疇に入る。土鍋で煮た魚介類、鶏肉などが最初で、うどんを入れるようになったのは、明治以降ということのようです。

 

【例句】

ねもごろに鍋焼饂飩あましけり     村上麓人

鍋焼にまた地言葉の舌づつみ      遠藤真砂明

鍋焼うどんごときに文句云はれけり   小林あつ子

もてなしの鍋焼うどん父来たる       中村紘

相席の人も鍋焼雨催           矢口笑子

 

【季語の語源など】

一人用の小型の土鍋あるいはアルミ鍋にめんつゆとうどんを入れ、蒲鉾、シイタケ、油揚げ、エビの天ぷら、生卵、麩などの具を乗せて煮たもの。グツグツと沸騰したまま供し、鍋から直接食べる。具は多様で卵を伊達巻に代えたり、青菜やニンジンなどの野菜類、牛肉や鶏肉、つみれやつくねなどを入れる店もある。調味料に味噌を使用するものは「味噌煮込みうどん」と呼ばれる。

 

 

【松山市】

松山市のソウルフードとして、昔から地元住民に親しまれている鍋焼きうどんである。市内中心街には、戦後すぐから営業している専門店が2店あるほか、市内各地に鍋焼きうどんを出す店がある。その特徴として、アルミ鍋(市販の商品で使用される使い捨てタイプのものではなく、調理用の小型鍋)やわらかめの麺、甘めのだし汁が共通項として挙げられる。

 

 

今日は何の日

四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日

1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。

 

1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。

 

家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。

 

世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。

 

この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれている。

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

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(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

(575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)