2021.3.27  一日一季語 山吹(やまぶき)  【春―植物―晩春】

 

道灌にゆかりの小江戸濃山吹        佐々木新

 

蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えた少女の差し出す濃山吹。

この話で山吹は一層有名になった。八重山吹の特に黄色が鮮やかなものを「濃山吹(こやまぶき)」と言うそうです。

山吹と太田道灌の逸話を取り合わせた句だが、小江戸濃山吹という言葉に深さを感じました。

 

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*2021.3.26 新宿御苑にて

 

【傍題季語】

面影草(おもかげぐさ) かがみ草(かがみぐさ) 八重山吹(やえやまぶき《やへやまぶき》) 濃山吹(こやまぶき) 白山吹(しろやまぶき) 葉山吹(はやまぶき)

 

【季語の説明】

北海道から九州の低山や丘陵地に普通に生える落葉の低木です。美しい山吹色の花が咲くので『万葉集』にも詠まれるなど、古くから観賞されてきました。

山吹の花の色が黄金に似ていることから、別名『黄金色 こがねいろ』とも呼ばれ、また逆に江戸時代の隠語では、「賄賂 わいろの小判」が『山吹』と呼ばれたとか。

太田道灌が農家で蓑を借りようとすると、娘が蓑の代わりにヤマブキの枝を差し出しました。しかし道灌は『後拾遺和歌集』(1086年)の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(八重のヤマブキは雄しべが花弁に変化し、雌しべも退化したもので、実がならない。「実の=蓑は一つもありません」)の歌を知らなかったため娘に立腹します。後にその無知を恥じた話は有名です。

 

 

【例句】

山吹は黄を無駄使ひしてをりぬ       加藤真起子

上州に病む弟や濃山吹               野澤あき

ひそと八重山吹ありし山の径         川崎洋吉

絵馬堂に古りし大絵馬濃山吹        足立典子

阿蘇の山八重山吹に染められて       水野弘

 

*日暮里駅にて

 

【道灌の山吹伝説】

太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。

 

その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに

【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。

その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。

驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

 

山吹伝説は越生の他にも各地に残り、東京都豊島区高田、東京都荒川区町屋、神奈川県横浜市六浦などの伝承地があります。いかに道灌が江戸庶民に慕われていたかがわかるといえるでしょう。落語の「道灌」としても広く知られています。

 

 

【山吹色】

色名の一つ。JISの色彩規格では「あざやかな赤みの黄」としている。一般に、バラ科ヤマブキの花のような赤みを帯びた黄色を表す伝統色名。平安時代から使われてきた。古くは黄色を表す言葉であり、また大判、小判など金の色を山吹色とも表現する。

 

 

今日は何の日

京都表千家利休忌

 

赤彦忌

歌人・島木赤彦の1926(大正15)年の忌日。

 

さくらの日

日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。

3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。

日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

(575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)