2021.2.20 一日一季語 鞦韆(しゅうせん《しうせん》) 【春―生活―三春】
ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし 谷口智行
古代中国には「寒食」という習慣があり、御殿にこもり、歌舞音曲を楽しんだ。宮殿の庭にはブランコを吊り下げ、宮女がそれに乗り、裳裾をひるがえしながら高く舞ったという、艶っぽい歴史もあるようです。
また、インドでは、「女性がブランコに乗る」ことを「聖婚儀礼(その年の豊穣などを願い、巫女が神と交合する儀式だっという。
選ばれるためにぶらんこを漕ぐ。こうした歴史を彷彿させてくれるようにも思いました。
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*2021年2月 実家近くの公園にて
【傍題季語】
秋千(しゅうせん《しうせん》) ぶらんこ ふらここ ふらんど ゆさはり 半仙戯(はんせんぎ)
【季語の説明】
ぶらここ、ふらここ、ぶらこ、ふらんど、ゆさはりなど他にもいろいろな呼び名で呼ばれている、鞦韆。日本では、平安時代初期に「鞦韆=ゆさはり)といわれるぶらんこが使われていたことが知られている(当時編纂された経国集という勅選漢詩集に登場するということです。)。
中国の春を招来する行事がもとになっている季語。冬から解放された子どもたちが、春風に向かって髪をなびかせてぶらんこを漕ぐ躍動感は、まさに春のものである。
【例句】
廃校のきしむ鞦韆漕ぎにけり 阪上多恵子
鞦韆を高々と漕ぎ親離れ 上トヨ子
ぶらんこの余震しばらく続きをり 櫂未知子
ぶらんこの綱眞新し幼稚園 長崎桂子
ふらここや明日へつながる空の色 祐森弥香
【鞦韆の逸話など】
唐の玄宗皇帝は楊貴妃をはじめとした美女に囲まれ、ブランコ遊びをするのが大好きだったらしい。大きくこいで空中高く舞い上がると、まるで仙人になったような気分だということからブランコに「半仙戯」という名前を与えたという話も伝わっている。
大陸からもたらされた鞦韆は座る板を2本の綱でつるす今日の形のものであったが、それ以前に日本で行われていた「ゆさはり」については木の枝につかまって振れるものや、枝からつるした1本の綱につかまってゆり動く、座る板のない簡単な形のものであった、という説もあるそうです。
【蘇東坡『春夜』】
春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん)
花有清香月有陰 (はなにせいかあり、つきにかげあり)
歌管樓臺聲細細 (かかんのろうだいこえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)
春の宵は素晴らしい、この一時が千金にも値するほどである。
花は清らかな香を放ち、月に淡々と影が差す。
楼台から流れていた歌や器楽の音も今は細々としている。
庭の鞦韆も静かに垂れて、夜はいよいよ更けてゆく。
蘇東坡『春夜』
【季語の語源など】
一年中あるのに、どうして歳時記では特定の季節になっているのか、
ぶらんこの語源はブランと下がっているからという柳田国男の説が有力だが、別の説ではポルトガル語のBALANCOからきたともいわれる。古代ギリシャには豊穣を祈るために女性がぶらんこにのるアイオラという祭りがあったし、インドでは紀元前2000年ころ、冬至の日の農耕儀礼として女性がぶらんこにのる儀礼が行なわれていた。それが中国に伝わり、「鞦韆(しゅうせん)」と呼ばれて、唐代には、冬至から数えて105日後の寒食の日にやはり女性がのる儀礼が宮中で行われていた。
唐の玄宗皇帝は羽化登仙(人間に羽が生えて仙人となり天に登ること)の感じを味わうことができるというので、これに「半仙戯」の名を与えた。韓国にもクネという似た習俗があるが、こちらは端午の節供の日に女子の成年儀礼として行なわれた。いずれも女性がのるというのが、もとは農耕儀礼であったことを裏付ける。
漢詩には春の景物としてしばしば詠まれている。最も名高いのは蘇東坡の「春夜」という「春宵一刻直千金」で始まる七言絶句で、その最後に「鞦韆院落夜沈沈」(人気の絶えた中庭に、ひっそりぶらんこがぶらさがり、静かに夜はふけていく)とある。それらの影響で、春の景物として日本でも定着していく。「ふらここ」「ふらんど」「ゆさはり」などとも呼ばれた。
季節のことば
ジャパンナレッジLib
【今日は何の日】
泰忌
俳人・上野泰の1973(昭和48)年の忌日
漱石の日
1911(明治44)年のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退した。
以下の図書、ホームページを参考、引用しています。
(合本俳句歳時記 第四版 角川学芸出版)
富山いづみ <admin@nnh.to>
(カラー図説 日本大歳時記 講談社)
(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)
( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )
(ウイキペディア)
(575筆まか勢)
(俳句のサロン)
(一般社団法人日本記念日協会)