2020.6.10

一日一季語 時の記念日(ときのきねんび)  【夏―行事―仲夏】

 

 

時の日の朝より水を荒使ひ   岸風三樓

 

*2019年 3月  湯島天神境内にて

 

漏刻(水時計)を新しい台に設置して鐘鼓を鳴らして時を告げたとの日本書紀の記述のように、最古の時を刻んだのは、水時計。この句の水を荒使ひ、にはこのことを念頭に置いている風刺が効いた句に感じます。

岸風三樓は明治43年7月9日岡山県生まれ。 本名 周藤二三男。

 昭和57年7月2日没。 享年71歳。

関西大学法科卒業後逓信省に入り、昭和6年 「若葉」 の富安風生門に。 「若葉」 の編集長を長く務め、またヒューマニズムに立脚した生活俳句を唱えて 「春嶺」 を創刊主宰し、若い作家の育成に当たりました。

 『風三樓師は私たちに向って常に 「俳句は一人称の詩である」 と説いた。 作品の中には必ず 「私は」 という言葉が含まれているものだというのである。 主語の曖昧な句を作ると、「句集を編むときその句をどうするのか。 句集に残せないような句を作っては無駄だ」 と厳しく叱責された。 そして 「俳句は作者の履歴書である」 と繰り返し説かれたのである。』

 

【傍題季語】

時の日(ときのひ)

 

 

*2019年 群馬 少林寺にて

 

【季語の説明】

日本書紀の中にある天智天皇の10425日に、始めて漏刻(水時計)を新しい台に設置して鐘鼓を鳴らして時を告げたとの日本書紀の記述が、日本における最古の時報の記録。太陽暦に直すと西暦671年、610日となるので、大正9年、この日を「時の記念日」と定められた。漏刻とは、水時計のことで、水が一定の速度で水海とよばれる壷に貯まり、水海の水位から時刻を測る時計のこと。天智天皇の漏刻は、官僚制の維持管理の手段として活用された。

 

六月十日。天智天皇の十年(六七一)四月二十五日に大津宮に漏刻(ろうこく)(水時計)が設けられた。その日を新暦に換算すると六月十日にあたるので、大正九年、この日を時の記念日とした。滋賀県大津市の近江(おうみ)神宮では、毎年漏刻祭が行われる。

 

 

【例句】

時の日の正午に合はす古時計      池谷鹿次

時の日や漏刻の水脈々と           塩見治郎

電波時計一途に時の日を刻む        安立公彦

時の日の一人に余る時間かな           中村重雄

山の灯に計る時の日のひと日      豊田都峰

 

 

【飛鳥の水時計】

昭和561218日、奈良県明日香村にある飛鳥の集落の西北は異常な興奮に包まれていた。中大兄皇子によって創設された水時計の地設の基壇が発掘されたのである。当時、おそらく飛鳥の都であったこの場所が、1300年ぶりに賑いをとりもどしていた。『日本書紀』にある宮殿、寺院以外の記載、斉明6年五月条の「皇太子、初めて漏剋を造り、民をして時を知らしむ。」を証明できたことは、約半世紀に及ぶ飛鳥の発掘の歴史のなかでも、画期的なできごとであった。

 

 

【水落遺跡の調査】

『日本書紀』天智10671)年条に「初めて時をうつ。鉦鼓が動く。」という記載があります。漏刻とともに鐘鼓(鉦・太鼓)を置き、打ち鳴らすことで、人びとに時刻を知らせていたと推測されています。

 

水落遺跡周辺では、昭和初期から地中に石敷き遺構が確認されており、喜きた田貞さだきち吉氏はこれを飛あすか鳥浄きよ御み原はらのみや宮推定地であるとしました。このような推定のもと、1972年に発掘調査が行われ、花崗岩が三段ほどに積み重ねられた、一辺22.5mの方形の基壇が存在することが明らかになりました。さらに基壇の周りには幅1.8mの石溝が巡っていました。 その後、1981年に行われた史跡整備にともなう発掘調査を契機に、遺跡の性格について議論がおこりました。基壇上面からは24個の柱穴が、基壇中央からは台石が出土しました。また、基壇の内部には銅管や木樋が設置されていました。銅管や木樋の中には、細かい砂や粘土が残っており、水が流れていたと考えられました。 この遺跡は、飛鳥浄御原宮にともなう宮殿、楼閣、饗宴施設であるといった説が挙げられましたが、『日本書紀』斉明6年条に「皇太子が漏刻を造り人びとに時を知らせた」という記載があることと、基壇中央の木箱や水が流れたと考えられる木樋・銅管から、漏刻が設置された施設であるという説が有力視されています。現在、水落遺跡は整備され、基壇や復原された台石を見ることができます

 

 

【漏刻の構造】

 漏刻とは、水を流し、容器に溜まった水位の変化から時間の推移を読みとるものです。水落遺跡に設置された漏刻は、同時期の中国の例を基に、複数の水槽同士をつなぐ管によって構成されていたと考えられています(第5図)。その中でも一番下段の水槽のことを「箭せん壺こ」といいます。箭壺の上には人形が置かれ、人形が持つ「箭せん」に十二辰刻制に基づいた時刻が書かれていました(第6図)。箭壺の水位が上昇するにつれ、箭も浮上します。箭の動きによって、人々は時刻の変化を読みとっていました。 時を正確に刻むためには、箭壺に注がれる水量が一定でなければなりません。水の流量が不安定だと、箭の動きが乱れ、時刻にずれが生じてしまうからです。一定の間隔で水を注ぐために、複数の「漏ろう壺こ」と呼ばれる水槽が置かれました。漏壺を複数個設けることによって、水が注がれる最上段の漏壺の水位の変化にかかわらず、中間の漏壺の水位は一定に保たれます。その結果、箭壺に注がれる水量も一定に保たれることになります。水はサイフォンの原理によって管の中を通り、下の漏壺へと一定の流量で流れていきます。また、水中に少しずつ水が排出されるため、水面が波立ち、流量が不安定になったり、こぼれたりするということもありません。

 

 

今日は何の日

時の記念日

東京天文台と生活改善同盟会が1920年に、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定。

「日本書記」の天智天皇10425(グレゴリオ暦換算671610)の項に、"漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。"とあることから。「漏刻」とは水時計のことである。源信忌,惠心忌

平安中期の天台宗の僧侶・源信の1017(寛仁元)年の忌日。

比叡山横川の恵心院に住んだので惠心僧都とも呼ばれる。

 

長明忌

鎌倉時代の随筆家・鴨長明の建保4(1216)年の忌日。

 

谷津干潟の日

千葉県習志野市が1997年に制定。

1993年のこの日、習志野市の谷津干潟が、水鳥の保護のための湿地に関する条約「ラムサール条約」の登録地に登録された。

 

 

主な出来事

1794

    新井白石の『西洋紀聞』が幕府に献上される。(新暦76)

1829

    伝統のオックスフォード対ケンブリッジの大学対抗テムズ川レガッタ(ザ・ボート・レース)が始る。

1843

    江戸幕府が町奉行・鳥居忠耀らに印旛沼開墾を命じる。(新暦77)

1865

    ワーグナーの歌劇『トリスタンとイゾルデ』がミュンヘンで初演

1913

    森永製菓が「森永ミルクキャラメル」を発売

1959

    上野公園に国立西洋美術館が開館。

1968

    「大気汚染防止法」「騒音規制法」公布

1974

    東京国立博物館の「モナ・リザ展」で入場者が131120人の新記録。

1976

    巨人の張本勲がプロ入り通算2500安打の記録達成。

2007

    ピッツバーグ・パイレーツの桑田真澄投手がメジャー初登板

 

 

誕生日の有名人

1628

    徳川光圀(水戸黄門,義公,高譲味道根命) (水戸藩主(2),『大日本史』編纂)

1819

    ギュスターヴ・クールベ (:画家)

1836

    山岡鐵舟 (幕臣,思想家)

1935

    ジェームス三木 (脚本家)

1937

    (初代)一条さゆり (ストリッパー「関西ストリップ界の女王」)

1937

    稲尾和久 (野球(投手・監督)「神様、仏様、稲尾様」)

1943

    米長邦雄 (将棋棋士,永世棋聖)

1957

    木之内みどり (女優,歌手,竹中直人の妻)

1977

    松たか子 (女優,歌手)

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)