2020.2.21
一日一季語 春の暮(はるのくれ) 【春―時候―三春】
足を見て考へてをる春の暮 上野泰
*2020.2. 熱海付近 新幹線の車窓より
人間は考える葦である。
パスカルを思い出すような句ですね。
【傍題季語】
春の夕(はるのゆう《はるのゆふ》) 春夕べ(はるゆうべ《はるゆふべ》)
【季語の説明】
春の夕べ、夕暮れ時。日ごとに日の暮れるのが遅くなり駘蕩とした気分が漂う。春季の終わりは、「暮の春」といって区別する。
関連季語
→ 春の宵
→ 暮の春
【春の暮と暮の春】
「春の暮」は春の夕方、似たような「暮の春(暮春)」は晩春のこと
これを普及させたのは、かの高浜虚子だということです。
春の暮
春の日暮をいふのである。春の暮は「暮春」のことをいひ、秋の暮は「秋の夕」のことをいふとの説がある。
古人の作には其意のものがあるかも知れぬ、併し今は春の暮・秋の暮共に夕方の義であると定めて置く。
春の夕。春夕(『新歳時記』虚子編 三省堂1934年(昭和9年)11月15日刊)
虚子としては俳句普及の為に、混乱を防ぎ、初心者にも分りやすくするための措置だったと推測している。その辺を山本健吉がさりげなく批判しているのが、次の文章である。
春の暮
【解説】春の夕暮の意昧に今日使っているが、古くは春の暮、秋の暮ともに暮春(結城註:原文では暮秋が抜けている)の意味に使った。暮という言葉は、大暮(時候の暮)と小暮(時刻の暮)と両義に使うので、両義を兼ねて気分的に暖昧(あいまい)に使っている場合もある。許六(『篇突』)が、春の暮は暮春で、秋の暮は秋の夕間暮だと言っているのは、ひどく人為的に区別立てしていて、昔の使用例にもそぐわない。虚子(『新歳時記』)は、今は共に夕方の義に定めて置くと言っているが、どちらの意味に取るかは、一首一句の趣によるべきである。今日では春の夕暮に使うことか多い。ただし詩歌俳諧の上のことで、もともと春の暮、秋の暮ともに日常生活語でなく、雅語に属するから、暖昧に使われていても、生活の上に何の支障もなかったのである。春の夕に対して、多少暮が進行した形だが、春の夕暮ともいうから、それは結局語感の問題である。〔山本健吉〕(『日本大歳時記・春』講談社1982年版)
【今日は何の日】
泰忌
俳人・上野泰の1973(昭和48)年の忌日。
主な出来事
1188年
源頼朝が藤原泰衡らに源義經追捕の宣旨を下す。(新暦3月20日)
1431年
ジャンヌ・ダルクの異端審問が開始
1872年
東京初の日刊新聞『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)が創刊。(新暦3月29日)
1911年
夏目漱石が「ただの夏目某で暮らしたい」と文学博士号授与の辞退を表明。
1946年
警視庁が婦人警察官の募集を開始
1965年
急進的な黒人解放運動の指導者・マルコムXが演説中に暗殺される
1973年
東京地検が、『四疊半襖の下張』が猥褻文書であるとして掲載誌の編集長の野坂昭如らを起訴。
1974年
朝日新聞朝刊に連載されていた4コマ漫画『サザエさん』が、この日を最後に休載。そのまま打ち切りに。
1990年
神戸市の新交通システム「六甲ライナー」が開業
誕生日の有名人
1900年
永田耕衣(俳人)
1905年
木村義雄(将棋棋士,永世名人(14世))
1920年
石垣りん(詩人)
1925年
サム・ペキンパー (米:映画監督『昼下がりの決斗』)
1943年
大前研一(経営コンサルタント,経済評論家)
1945年
坂田明(ジャズサックス奏者)
1981年
要潤(俳優)
以下の図書、ホームページを参考、引用しています。
(合本俳句歳時記 第四版 角川学芸出版)
富山いづみ <admin@nnh.to>
(カラー図説 日本大歳時記 講談社)
(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)
( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )
(ウイキペディア)
(575筆まか勢)
(俳句のサロン)
(一般社団法人日本記念日協会)