新型コロナ感染症は、東京でついに300人以上の感染者がでました。
もう半年以上も続く、新型コロナ感染症ですが、未だ収束への道は全く見えない状況。
社会が混乱して経済は大打撃を被り、志村けんさんや、岡江久美子さんが亡くなった事で病に対する恐怖や不安が広まり、更には人と人が普通に会話が出来ずに、自由に集まる事さえ出来ないという状況が続いています。
『自助・共助・公助』
という言葉があります。
私は、既に半年以上の時間を有して来て、この中の 『公助』 が、新型コロナウイルス感染症対策としては、全くなされて来ていない事に、焦りや怒りを感じています。
『自助』 というのは、自分で何とか対策をする事。
『共助』 とは、人が助け合いで何とか対策する事。
『公助』 とは、政府や自治体という、公 (おおやけ) で対策する事。
そこで、今現在までに安倍政権や小池都政が、この新型コロナウイルスの問題に対して発言して来た事は・・
『新しい生活様式』
『マスク、手洗をしましょう』
『ソーシャルディスタンス』
といった自衛手段の徹底を呼び掛けたり
『緊急事態宣言』
という、保証なき自粛をさせて来た事でした。
更には、緊急事態宣言を解除した際の、少し感染拡大が収まりかけたとされた時の安部首相の発言は
『国民の皆様のご協力を頂き、日本式対処で乗り切りました』
という、ものでした。
この言葉通りで、実際に安部政権がした事は 『布マスク😷を2枚配布した事』 と 『10万円の給付)』 のみで、後は全てにおいて国民任せの自己責任でした。
※ マスクも、10万円も、緊急事態宣言中に、全ての国民の手元には届いていませんでした・・
これは、はっきりと言って
『マスクや手洗』 の勧めは 『自助』 の勧めですから、自分で何とかしろ!
『ソーシャルディスタンス』 や、『国民の皆様の、ご協力という保証なき自粛』 や 『新しい生活様式』 というものは全て 『共助』 ですから、皆で助け合って何とか乗り越えてね~♪
という事でしか無くて、積極的な 『公助』 と呼べる対策は、示されず、行われず・・という状況でした。
これは総じて、国民・都民は、自己責任で未曾有のウイルス感染症を乗り切りって行け!
と言われている訳ですね。
緊急事態宣言が解除されると、まだ世間には新型コロナウイルスが存在しているというのに、積極的な規制や施策も行政からはありませんでした。
東京都では、ただひたすらに1日の感染者数を小池都知事が発表しての、相変わらすの 『自助』 『共助』 の呼掛けだけ。
安部首相に至っては姿すら表に出さずに、各自治体へ新型コロナウイルス感染症の件は丸投げ。
こうした行政が、全くの無策で成り行きを見守るだけだった為に、感染はまたもや東京を中心に拡大して来ています。
そんな中で、新型コロナウイルス感染症が、収束 (終息) したらおこなう。
とされていたた 『Go Toトラベル キャンペーン』 という経済政策を、ここに来て強行的に前倒しで実施。
『公助』 としての新型コロナウイルス感染症に対する施策や援助の方針は、殆ど無い状況でかろうじて行われた、マスク配布や、10万円給付や、Go To トラベルキャンペーンという支援も、税金を使いそれを実施する過程において、自身の支援や選挙に関係する企業や、お友達を無理矢理に挟んだ、火事場泥的なお金抜き政策でした。
都知事選挙においても、小池さんは新型コロナウイルスの対策をしている体でいて、実際は何の意味もなさない東京アラートなる警告 (これも警告を伝えるだけで、後は都民の自己責任で対処してね💛 で、しかない ) で 『頑張ってます♪』 感をアピールする意味を成さないパフォーマンスでしたから、選挙でコロナを利用した感さえあります・・いや明かに選挙対策でした。
枕で 『自助・共助・公助』 という言葉を用いましたが、多くの国民は、マスクや手洗、換気、アルコール消毒という 『自助』 という名の、自己責任で対策をしています。
そして、互いに距離を取るソーシャルディスタンスや、自営業の飲食店等は営業時間を短縮したりと 『共助』 という名の助け合いをしています。
そして、新型コロナウイルス感染症については、ワクチンの完成する迄は仕方ないと諦めながらも、1年半位は
待たないと出来ないとも言われるワクチンの完成まで、自分達の生活が維持できるか?
と、不安にかられています。
現状で既に、ホームレスが増えたり、万引き等が多発化していて、JR東日本に勤めている知人からは、3日連続で飛びこみ自殺がおきたという話も聞きました。
私のお気に入りの飲食店も、既に5軒が閉店になりました。
ここまで書いて来て、全く新型コロナウイルス感染症の対策としての 『公助』 がなされていないと感じる私は、自分なりに 『公助』 と成り得る具体的な施策とは、どんなものなのか?
と考えてみました。
只の素人の私が考えてみたほんの一例ですが、記してみたいと思います。
まずこの新型コロナウイルス感染症が、ワクチンの無い中で、何をすれば収束 (減って行く) のか?
を考えてみると、この間に情報として聞くところによれば
『1人の感染者が、他の人に感染させる人数が全体で1人という比率ならば、その感染症は少しずつ拡散されて増えて行く』
という事の様です。
ですから、全体でみて
『1人が、1人』
に感染させている状況は、収束へは向かわないという事が言えます。
そして
『1人が、1.5人』 『1人が、2人』 『1人が、3人』
というように、感染させている比率が増えれば、それはもはやパンデミック。
という事になります。
この感染比率が、減って行き
『1人が、0.8人』
等の1を切る比率になれば、感染症は今度は収束へ向かうという事になります。
では、現在の日本でこの1人が、1を切る比率で感染させて行く状況を作るにはどうすれば良いか?
それは、街中に感染者 (無症状を含む) が減って行く状況を作るしか無いでしょう。
その為には、感染者を見つけ出してホテルその他の、他者との接触をしない場所を設けて一定期間を治療・治癒にあてて行くしかありません。
ですから・・
⭕️検査数を一日で万単おこなう。
⭕️ホテル、その他の一般生活者との接触が無くて一定期間過ごせる場所の大量確保。
まずは、これを最優先事項にしておこなう事が必要です。
その後に随時、感染者の発見された場所や行動範囲を、地図上にプロットしていけば、現状での新型コロナウイルス感染者の動向が掴めます。
そこから、多数の感染者が出たり、多数のクラスターがおきている、地区や施設に対してミニマムに封鎖して行けば、確実に街中にいる感染者数は激変します。
この際の封鎖規模は、それこそ○○町のみ。もしくは特定の施設や店舗とし、小規模で1週間程度の期間としして、必ず保証金や協力金を支給する。
大規模な感染者以外も含む封鎖と違い、ピンポイントでの感染者数の多い地区だけならば、財源的にも保証が可能でしょう。
単純ではありますが、この程度の対策を迅速におこなえば、街中の感染者数は激変して少なくなり、感染確率における1人が他者に感染させる確率も1を切る事が可能になり、収束へ向かう状況が作れる筈です。
勿論、新型コロナウイルスが全て無くなる訳ではありませんが、少なくともこれなら、ワクチンが完成する迄の期間でも感染が特定されない人達や、特定の封鎖地区以外では、通常の生活をおくりながら経済を回して行ける筈です。
これは素人考えの穴だらけの対策かも知れませんが、こういう考え方を基にして対策の問題点を検討し、ブラッシュアップして行き迅速に実施して行く事が、行政に今求められている 『公助』 というものだと思っています。
何故、こんな単純な事さえも行政が出来ないのか?
本当に不思議になると共に、利権や選挙の為のパフォーマンス優先で 『自助・共助』 という形で、国民・都民に責任を押し付けて 『公助』 をしない事に本当に腹がたちます。
因み、この三つの中で 『自助と共助』 の考え方ばかりで物事が進むと・・・
人にはそれぞれ事情や、考え方の違いがあるのに、協力しない人に対して 『共助』 が無いとして、必要以上に相手に対して攻撃的になります。
『私達は協力し合っているのに、あの人は非協力的だ!』
という思考から起こる自粛警察などの現象が、その表れです。
また、自助=自己責任という図式がありますから、コロナ感染者への差別も、自分が悪くてコロナに感染したという発想から生まれがちです。
災害やその他の緊急時にはやはり
『自助・共助・公助』
の全てがバランス良く必要となります。
もし今後 『新しい生活様式』 というものが必要になるのなら、
『過剰な差別や、批難をしない』
という考え方を
『新しい生活様式の、一丁目一番地』
に、持ってくることが大切だと思っています。