男はとんかつである | 成田雅美のBLOG

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(仮稼働中)

 

 

男はとんかつである

 

自宅に近い千葉市で、地元民に愛されていた家族経営のとんかつ店が、いつの間にか閉店。

 

ショックを受け、喪失感を感じていた時、福田和也のエッセイ「男はとんかつである」を思い出しました。

自他ともに認める、とんかつ好きの福田は「とんかつの食べ方で男の度量が測れる」と看破します。

 

そのテーゼに同意するかはさておき、コロナ禍でも従業員を辞めさせず、店を存続させるべく奮闘する、個人経営の飲食店への再訪を通じて、彼は、福田恆存の言葉「保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである」を引用し、次のように書きます:

「私は保守を自認している。私の言う保守は政治イデオロギーではない。政治というよりは文化、文化の中でもより生活に密着した、日常茶飯事に関する文化に対して鋭敏であるということだ。」

「文化への持続性が、最も強く発揮されるのが、日常生活である。[…]毎日、とは言わないまでも日常に通う店、つまりは自分の生活を保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神を、保守と言う」

 

「(飲食店は)老舗とまではいかなくとも、町に根付き、人々に親しまれているのであれば、立派な文化である。」

常に生活者としての視点を持ち、それを失わないこと。日常生活を軽視せず、そこに確実に存在する文化に対して、鋭敏な感性を持続させること。大事なことですよね。福田はその精神こそが保守だと定義する。

福田和也の文章を読んだのは久しぶりで、これらの文章が収められたエッセイ集『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』では、名店再訪を通じて、戦後日本人の精神性に対する示唆に富んだ考察が展開されており、面白かったです。

特に、東京の下町出身(荒川区田端)の彼が、浅草、上野について書いた章は、私も、この文化圏で育った人間なので、共感して読みました。「私にとって浅草は小さい頃からなじみのある町ではあった」「けれど、上野に感じるような郷愁はない」とか。

 

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福田和也「男はとんかつである」
逆境で街の風味を守る秀逸なる三軒


令和二年十月、私は還暦を迎えた。よく六十年も生きてこられたと自分で感心している。自慢じゃないが、これまで体にいいと言われることは何一つしてこなかった。

 

運動など、高校以来していない。実は高校の体育の授業もさぼっていた。いい歳して体操服着て、ぴょんぴょん飛んでられるか、というのが本音だったが、体育の教師に「宗教上の問題です」と言ったら、何故か許してくれた。

酒は中学生から飲み始め、高校、大学と、夜遊びに欠かせないものになった。物書きになってからは、いよいよ酒との関わりは深まり、一日として飲まない日はなくなった。飲む量も半端なものではなかった。

暴食もひどかった。フレンチやイタリアンを食べた後に、カツカレーを食べるということを平気でやっていた。

三十代、四十代はそれで大丈夫だった。というより、一つの循環ができていた。食って飲むことによる高揚と、そこから得られるエネルギーで頭を回転させ、原稿を書く。

食うこと、書くことへの執着

原稿に向かっていると、これまでに読んだ本、人と交わした会話、あるいは子供の頃の記憶から、言葉はどんどんやってきた。私はそれを交通整理するだけでよかった。 

 

今、その循環は完全に断たれている。

 

長年の不摂生な生活による心身へのダメージは深刻で、最高時には八十キロを超えていた体重は三十キロ以上落ちた。ダイエットをしたわけではなく、食えなくなったのだ。恐らく以前の半分も食えないだろう。

 

認めたくはないが、頭の力も衰えた。脳に血が巡っていないことが自分でも分かる。

言葉はどこからもやって来ず、私は言葉を探し、追いかけている。探しても見つからず、追いかけてもつかまらず、原稿の量は激減した。ひどい時には、人と話をしていて言葉が出てこないことさえある。

 

小説を書く体力維持のためにランニングを続けている村上春樹は、肉体をないがしろにすると、必ず肉体の報復を受けると言っているが、今まさに私はその報復を受けているのである。 

(中略)

食えなくなり、書けなくなった分、食うこと、書くことへの執着は増している。

こうした私の状況と新型コロナ感染拡大という状況が重なり、『サンデー毎日』での連載につながった。

 

かつて私が日々通い、私の血と肉とエネルギーをつくってくれた店はコロナ禍の今、どうしているのだろう。

店を訪れ、食い、飲み、話し、そのことをルポすることで、ささやかではあるが、私なりのエールを送れたらと思い、不定期連載を始めた。

とんかつとともに人生を歩んできた

第一回はとんかつだ。

私は自他ともに認めるとんかつ好きである。

 

ただ好きなだけではない。男はとんかつだと思っている。

 

とんかつを食べる体力、数多あるとんかつから好みのものを選び食する選択眼、それが男には必要であり、とんかつの食べ方で男の度量が測れると信じている。

実家は下町だったから、とんかつは家で揚げないで、肉屋で買っていた。今、思えば堅い肉で、噛み切るのが大変だった。

 

しかし、衣はうまかった。ラードの強い匂いは、家庭料理でも、外食でも体験したことのないもので、陶然とした。

とんかつ屋と称する店に行き始めたのは高校からで、映画を見る前の腹ごしらえによくとんかつを食べた。

 

大学時代はガールフレンドとのデートでもとんかつ屋に行き、「とんかつを食わない女とはつき合わない」と訳の分からない豪語をしていた。

 

父の仕事を手伝って、製麺機の営業をしていた頃は東京中を回りながら、とんかつを食べ、物書きになってもその習慣は変わらなかった。 

 

私はとんかつとともに人生を歩んできたのである。なかなか幸福な来し方だったと思う。

 

かつて、とんかつはいくらでも食べられた。某雑誌の特集で、東京山手線全駅周辺のベストのとんかつ屋を選んだ時は、一ヵ月間、ほぼ毎日、とんかつを食べ続けた。 

 

今は一ヶ月一回食べるのが精いっぱいという体たらくだが、この数年、間をおきながら通い続けている店が三軒ある。大井町の「丸八」、巣鴨の「とん平」、銀座の「とん㐂」である。

(後略)

 

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