京都の旅レポ<その2>  鳥羽伏見の戦いの跡を歩く | マサミのブログ Road to 42.195km

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今回の京都の旅では、数年前にチャレンジしたものの中途半端に終わってしまった「鳥羽伏見の戦いの跡を歩く」ことも目的の一つでした。鳥羽伏見の戦いとは?ザックリ言うと、1868(慶応4年=明治元年)の1月、薩摩・長州を主体とする討幕軍と徳川幕府軍の武力衝突のきっかけになった緒戦です。大阪城を出た幕府軍は京都へ向けて兵を進め、鳥羽と伏見の2カ所で討幕軍と衝突。4日間の戦いの末に幕府軍は敗北し、これに続く戊辰戦争を経て江戸時代が終わり明治時代の始まりを迎えることになります。

 

歴史が苦手な方はこの辺で既にウンザリですかね~?ゲラゲラ でも嫌いでない方は、ここから始まるオタク話にどうぞお付き合いください。

 

 

―――

 

 

 

今回、鳥羽伏見の戦いの跡を訪ねるにあたってのテキストは、これ↓でした。

 

 

『鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間』 著者:野口武彦 中公新書

 

「幕末について」「明治維新について」「新選組について」とか「戊辰戦争について」書かれた本は多いですが、わずか4日間で終わった「鳥羽伏見の戦い」に的を絞って1冊にまとめたものは珍しいと思います。数年前に買って読んだ本ですが、今回の訪問にあたって読み直しました。そして、京都という土地の地形・地勢について、あらためてちゃんと把握することが出来ました。「川」を主体に京都を考えると、こんなふう↓なんですね。

 

 

西から賀茂川、東から高野川が流れてきて出町柳のあたりで合流して鴨川になり、さらに鳥羽・伏見のあたりで桂川と合流、そして宇治川と合流してからは淀川となって大阪湾へ。なるほどね~。実際にはこれに高瀬川や西高瀬川も合わさるので、京都の南のほうは川だらけ。そして宇治川の南は、かつては大きな沼や湿地帯が広がっていたんだそうです。こういうことが頭に入ると、なんかすごく京都の街がリアルで身近に感じられるようになりました。

 

 

1/20(金)、新幹線で10時過ぎに京都着。近鉄に乗り換えて「竹田」駅を目指します。

 

 

おお。ここは「上鳥羽口」と「伏見」の間の駅なんですね。まさに鳥羽伏見じゃん! いいねいいね~。いきなり気分が盛り上がります! 駅を出て名神高速道路の京都南ICのほうへ歩くと…

 

 

 

こういうトラックが何台も停まっている駐車場がありました。なんか荷台の絵が気になる~。

 

 

 

 

「舞子ロジスティクス」という物流業者さんなんですね。いいなぁ。こういう小さな発見が、ある意味で旅の醍醐味のようにも思うんです。かつて会津若松へ旅した時に「白虎不動産」という不動産屋さんを見つけて「ああ、会津に来たなぁ」と実感したことがありましたが、あれと同じ。ちょっと良い気持ちになって先に進むと…

 

 

 

こういう地図看板がありました。数年前にも、この「鳥羽伏見の戦い跡の石碑」が見たくて近くまでは来たのですが、暗くなってしまって見つけられなかったんです。ガソリンスタンドのお兄ちゃんに訊いても分からなかったし。その悔しさを晴らす時が来ました。すると…

 

 

 

いきなり発見。これか!これが「鳥羽伏見戦跡」の石碑ですね。鳥羽伏見の戦いの「鳥羽がわ」になります。ここで討幕軍と幕府軍が「通せ」「通さぬ」とやりとりしているうちに戦端が開かれ、砲声や銃声を聞いた伏見のほうでも開戦となったそうです。

 

 

 

説明板。

 

 

 

ちょっと見づらいですが、この地図の「小枝橋」のあたりに、私は立っています。昔は大阪からやって来た人がこの橋を渡ると「京都に入った」ということになったそうです。

 

 

 

これが小枝橋。「小枝」というからもっと小さな橋を想像していましたが、意外に大きな橋でした。これでやっと「鳥羽がわ」の戦跡を確認できました。良かった。そしてこの近くに討幕軍が陣地を構えた「城南宮(じょうなんぐう)」があるので、寄ってみました。

 

 

 

城南宮までは徒歩数分です。

 

 

 

 

創建は平安時代の末期。1200年の歴史がある神社だそうです。確かに、ただならぬ「気」を感じました。境内も広い。

 

 

 

薩摩・長州を中心とした討幕軍は、ここに大砲を備えて幕府軍を攻撃したんですね。私は城南宮を出て「竹田街道」を伏見に向かい、南下しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

竹田街道は古い家並みが残り、いい感じ。

 

 

 

こういう小さな祠(ほこら)が、数百メートルおきにあるんです。鳥羽伏見の戦いの激戦地になったあたりなので、亡くなった人を弔うためなのでしょうか?

 

 

 

これもそうですね。本当にさりげなく、町の中にあるんです。いかにも京都らしい感じ。こういう竹田街道を途中で左に折れて京阪「伏見桃山」の駅のほうに向かうと…

 

 

 

「大手筋」というアーケード商店街です。一番街から四番街まであってかなりの規模。ここは何度か訪れていて少し知っているので、グルグル歩いて自分のランチのお店を探しつつ、次の日に旧友夫妻と会う店の目ぼしをつけたのでした。そして「サラダの店サンチョ」と「クレタケ」の発見に至ります。

 

 

 

大手筋に交差して、こういう細い細いアーケード通りもあります。「なやまち五番街」。私はここでにしん蕎麦を食べてから大手筋に戻り「抹茶粥・胡麻トッピング」を頂きました。そしてまたこの通りへ。ここを向うへ通り抜けるとまた商店街があって…

 

 

 

ここは「龍馬通り商店街」。鎌倉の小町通りを小さくしたような、見るからに観光客向けの通りです。龍馬って、もちろんあの坂本龍馬。なぜかって言うと、この通りを向うに抜けたところに…

 

 

 

坂本龍馬が京都での定宿にしていて、暴漢に襲われて命からがら逃げだした「寺田屋」があるんですよね。龍馬ファンにとっては聖地の中の聖地でしょう。私も何度か訪れています。暴漢が殴り込んで来た時、お風呂に入っていた龍馬の彼女「おりょう」さんが素っ裸のまま階段を駆け上がって、二階にいた坂本龍馬に「龍馬はん、逃げてッ!」と叫んだ逸話はあまりにも有名(司馬遼太郎さんが作った話という説もありますけど)。

この近くに、鳥羽伏見の戦いの際に討幕側が陣地を構えた「御香宮神社」というのがあるので、そこを訪問しました。

 

京阪の「伏見桃山」駅と近鉄の「桃山御陵前」の踏切をまたぐと、急に道がぐっと登り坂になります。そして…

 

 

 

左手の山門を抜け、

 

 

 

鳥居をくぐると御香宮神社です。

 

 

 

 

 

写真では伝えきれませんが、何しろ広い!右にも左にも前にも、そしてその奥にも、いろんなお宮があります。規模が大きいし装飾も見事。本当に圧倒されました。神社の言われも書ききれないのですが、良い香りのする水が湧いたという伝説から「御香宮」と呼ばれたそうです。

鳥羽伏見の戦いではここも討幕側の陣地になりました。近くが幕府側の「伏見奉行所」だったので、目と鼻の先! なお御香宮神社には小堀遠州ゆかりの石庭があるということを後で知りました。しまった。見るべきでしたね!また行こう。

 

このあたりで午後4時。夕暮れも近くなってどうしようかと思いましたが、テキストとして読んだ本の中に「宇治川沿いの土手が最も激しい闘いの場所となった」と書いてあったので、その土手を見ることにしました。「中書島(ちゅうしょじま)」という京阪の駅へ向かうと、その途中に…

 

 

 

あ!「伏見がわ」の戦いの跡の石碑もあるんだ!これは知りませんでした。かなり新しく建った感じがしますね。嬉しい発見でした。

 

この石碑の近くにある中書島の駅から京阪に乗ります。すぐに進行方向左側に高い土手が見えて来て「ああ、これだな」と分かりました。降りて歩きたいけれど、次の「淀」の駅までは降りられません(笑)。そのうち「京都競馬場」が見えて来ました。これがまた凄い!でかい!いま再開発中のようですが、まるで巨大な宇宙基地みたいでした!あれには驚いたなぁ。

 

 

 

そして「淀」の駅に着きました。さっきの宇治川沿いの土手まで戻るにはかなり遠いので、時間的に無理だなぁ、仕方がない…と思ったんですけど、駅の案内板を見たら「淀城址」が目の前じゃないですか!これはまったく意外でしたが、淀城も鳥羽伏見の戦いでは重要な役割を果たしているんですよね。ここだったのか。ラッキー!さっそく行ってみることにしました。

 

 

 

改札を出て徒歩1分の近さ。しかし城跡を示すものはこの石碑だけで、あたりはちょっとした公園になっていました。

 

 

 

 

 

宇治川と鴨川に囲まれた、水運の重要ポイントだったそうです。鳥羽伏見の戦いの3日目、劣勢に立たされた幕府軍はいったん淀城に戻って態勢を整えようとしました。淀城は淀藩の本拠。淀藩は譜代大名ですから、当然幕府側です。ところが既に討幕側の薩摩藩から「幕府側の兵を城内に入れるな」というプレッシャーがかかっていて、淀藩は城の門を固く閉ざし、幕府の兵を迎え入れようとはしませんでした。

これは幕府側からしたら「明らかな裏切り」かつ「卑怯な寝返り」ですが、討幕軍から見れば「適切な判断」「機を見るに敏」ということになるでしょう。幕府側の軍勢は仕方なく淀城をパスして、もといた大阪城を目指したそうです。そういう話を私は既に知っていたので「ここがあのドラマがあった淀城なんだぁ」という感慨が湧いてきました。まったく予定外の偶然の訪問でしたが、誰かが導いてくれたのでしょうね。有難いことでした。

 

 

 

今回の旅で唯一撮ったセルフィ―。

 

 

 

 

淀城址のすぐ隣には「與杼(よど)神社」がありました。

 

 

 

 

淀城は「二つの水車」がシンボルだったそうです。淀の駅前には水車が飾られていました。これで「鳥羽伏見の戦いの跡を歩く」は終了。満足できる有意義な1日でした。ここから京阪と地下鉄を乗り継いで四条烏丸(しじょうからすま)まで戻り、四条通りを東へテクテク歩いて鴨川を渡り、八坂神社にぶつかったら右へ。高台寺のそばのホテルまで戻り「鶏白湯拉麺」を食べてこの日は終了。

ちなみに歩数は約3万4千歩。距離にして23.2kmを歩きました。ハーフマラソン超えかよ!ふう~。さすがに疲れましたね。でも楽しい1日でした。(翌日に続く)