あの日があったからかな〜② | 想いを紡ぐ 言葉書き 徳永優心

想いを紡ぐ 言葉書き 徳永優心

言葉書き ひょんあみ から 名前を変更しました。

 回想の続き〜

 

 最近、少し過去の出来事を

 振り返ることがあって想いにふけたり

 してみました(笑)

 

 というのも、長い間、連絡の取っていなかった

 方から久しぶりにメールを頂き、その方の言葉に、

 そういう時間もあったよね、と思い出したから、

 

 その思い出したことを そのまま 書き残そうと

 想います。

  

 →ここからが前回の続きです。

 

 

 そして その場で ゆっくりと担任から

 

 「明日日本に帰って手術を受けないといけない」 と言われて、

 

  頭が真っ白になったことを 今でもはっきりと覚えています。

 

 

 担任の先生に支えられながら、学校に戻り、

 

 まず家に電話したこと、母に震える声で 「明日帰るから」

 

 言ったこと あとは先生が全部説明してくれて、飛行機の手配も全部してくれ

 

 

 次の日の夕方の便で帰国が決まったのですが、 何からどう帰る準備をしたのか

 

 ほとんど覚えてなくて、きっと一緒の寮仲間が全部してくれたんだと思います。

 

 

 その日は、あんまり寝られなくフラフラしながら

 

 次の日を迎え、 空港まではタクシーで ここでも仲間が二人付いてきてくれました。

 

 

 

 なんとか、飛行機に乗り込み、医者の診断書も持っていたので、一番前の席で

 

 頭が、ガンガン熱く、相変わらずフラフラしてた私を心配そうに客室乗務員の人たちが

 

 見守ってくれて アイスを持ってきてくれて冷やしたりしながら、

 

 内心、飛行機の中で何かあったらどうしようと思っていましたが、何とか無事に到着。

 

 

 気づけば、関空の出口で家族全員に抱きかかえられていました。

 

 

 

 もう夜の21時ぐらいでしたが、今すぐ病院にいこうか?と 母の言葉に

 

 とりえあえずホッとして そのときに初めて涙がでてきて、

 

 この先、私ってどうなるんだろう。 手術ってどんなのなんだろう。何の病気か

 

 大丈夫なんだろうかと 家族の前で号泣しました。

 

 

 

 

  明日、行けば大丈夫とその日は家に帰り、次の日に

 

 ソウルで写したMRIの頭の画像と診断書を持って 大阪では有名な

 

 富永病院というところの 脳神経外科を 受診しました。

 

  今から14年前、当時の病院は、

 

  古びた待合室、カーテン1枚で仕切られて、患者と医者のやりとりが

 

 ほぼ丸聞こえ、 まさか、19歳で脳神経外科を受診するなんて

 

 思ってもいなかったし、これからどうなるんだろと、

 

 母と私は、とにかく不安で

 

 待合室で震えていたことを今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

  名前が呼ばれ、先生の前に座り ソウルから持ってきたMRIを見ながら

 

 なんか金髪っぽい ちょっと見た目は 本当に先生?みたいなお医者さんが

 

 そのフィルムとにらめっこしていました。 そして 

 

 

 「ん・・・・・ソウル大学の先生 すごいね。 こんな画像でよくわかったね

  俺なら、疲れてたらもしかたしたら、見落としてたかもしれない。感謝しなきゃね。

  じゃあ入院の手続きしよう。検査とかあるから、入院は2週間後ね。」

 

 と あっさり? 言われて、 え・・大丈夫かなって 心のそこから思いました笑

 

 

 あとになり わかったことですが、 その先生こそ、週に2回しか診察がない

 

 脊髄の専門医 だったこと。 

 

 診察に行ったその日がたまたまその先生の診察の日だったこと。

 

 ソウル大学病院では、 本当に本当に 早期発見だったこと。

 

 数々の偶然と奇跡によって、 私は、手術を受けることになりました。

 

 

  次回へ続く・・・・

 

 

   

 

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