私が子供の頃(65から70年前くらい)は当たり前の風景が、最近ではほとんど見られなくなった。

この風景を見ると郷愁にかられる。

燕が飛び交う頃は、どこの田んぼにも蓮華の花が咲き乱れており、子供等はその中へ鞄を放り投げて、日が暮れるまで遊んでいた。

男児は相撲やレスリング。女児はその花を摘んでは、長い首飾りを作っていた。

私が小学校時代は、田植えを行う期間は農繁休暇が一週間あった。

農林業でない家庭の子供たちは、全員近くの農家へ手伝いに行くことが義務付けられていたのだ。

このことを思い出したのは、親が製材業を営んでいた従弟の話からである。

農繁期には、我が家に従弟が手伝いに来ていたという。

この時期は牛の鼻面を持って、親父の鋤作業を手伝っていたらしい。

牛の鼻面持ちが嫌いな私は、この間いつも逃げていたと、従弟が私に会う度事言うのだ。

75歳の後期高齢者なっても、従弟会の度毎に話すので、よほど悔しい思い出だったのでは?

今日の田植え時期は温暖化、機械化の進歩、化学肥料の進歩により、昔よりも一か月以上も早い。

現在目にするレンゲ畑等は、田んぼを肥やすためではなく、減反、高齢者、跡継ぎがいないなどにより、休耕している田んぼに蓮華の種が蒔かれているようだ。

かつては痩せた土を肥やすためにレンゲを蒔いていたと思うが、現在では化学肥料が主流で、蓮華は不必要になってしまったのだろう。

我が町豊橋では4月中旬から田植えが始まり5月初旬には終わる。