このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)」と「デイサービス少景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコースともなっており、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス少景」の3部構成全体で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

 長崎は坂と歴史の街である。山の頂き近くまで住宅は張り付く。路地を曲がると、片手を懐に入れた坂本龍馬がひょいと現れそうな、そんな想像をさせる街である。

 始めてきた町なのに、何故か前に来たような気がする。なんだか懐かしいような気がするのは何故だろう。

 長崎旅行を計画したが、新型コロナの影響で、3年かかってしまった。しかし、ようやく来ることができた。飛行機の便数や時間の関係で福岡空港に集合し、福岡空港からレンタカーで長崎に行くことになった。長崎は路地が多いということでレンタカーはいつもの大型車両ではなく、普通車の福祉車両である。高速で長崎ICを下りると、そのまま出島へ向かった。

 出島(車いすトイレあり)は教科書からイメージする海に突き出た小島という面影はなく、周りは埋め立てられ、ビルの谷間にポツンと存在する。入り口となる橋を渡ると、たちまち時間は逆行し、歴史のゴーストたちが現れる。バリアフリーコースに沿って、一周すると、荷揚げ作業をするゴーストたちが動き回っている。

橋を渡ると時間は逆戻りする

ゴーストたちが動き回る

 

 

 

 出島から車で平和公園(車いすトイレあり)へ。平和公園では坂の途中に地下駐車場があり、駐車場からエレベーターで、平和の像近くに出ることができる。そこには修学旅行の集団がいくつもできていて、混じって説明を聞くことができる。実際ちゃっかり修学旅行の集団についていった。

ヒバクシャのゴーストが叫ぶ「ゲンバクはいらない」「戦争はもう嫌だ」歴史は証明している〝核抑止〟が核を世界中に広めたことを。暴力は暴力を生む。唯一の被爆国が国連の核禁止条約に加盟してないことを。

ヒバクシャのゴーストは叫ぶ

平和の鐘

 

 

 そうか!この既視感、懐かしさはゴーストのせいだ!

 

 

 長崎は修学旅行や社員旅行といった集団旅行のメッカである。特に4~5月は最盛期で観光客向けのホテルの予約は満杯である。私も次々とホテルの予約を断られ、1泊朝食付きのビジネスホテルがやっと取れた。中華街近くの「ドーミイン長崎新地中華街」のバリアフリールームである。

夕食は予約した中華街の「江山楼」である。食事を済ませ外に出ると、笛やドラの音が聞こえる。ほの暗い中に一角だけ妙に明るい。長崎くんちの龍踊(じゃおどり)の練習をしているのだ。玉を追って、龍が暴れている。笛とドラは休むことなく響き渡る。私は何だか得した気持ちになった。

 

 

来月(8月)は闘病記第74回を掲載する予定です。この続きの旅行記は長崎編中編を9月初めに掲載する予定です。