# 81 人生 まぁまぁ。が 一番 ( 介護編 親孝行の旅。) | mocomocoのブログ

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60代も いつの間にか半ば。
日々の想いを綴ろうと、ブログを始めましたが、いつしか、回顧録に、、
幸せな時、辛い時いろいろあった人生を振り返ってみます。

実父が生きていた頃は

毎年ではありませんが

実父母と姉と私の4人で

一泊旅行。♨️


義実家の方は、毎年、一年に1回

義母、義姉夫婦と私達夫婦の

5人で旅行。♨️


父が亡くなってからは、

義母、実母、私達夫婦の4人での

旅行も1~2年に1度プラス。♨️


親孝行という括りじゃないけど、

子供、孫とも もう何年も

1年に1回旅行に行っている。ニコニコ



蛇足だけど、、、

諸費用について。

義姉夫婦や姉と行く時は折半。

自分達が親や子供、孫を連れて

行く時は、全てこちら持ち。

お金が飛んでいく。絶望



一年の間に4回は、接待旅行。


( 子供や孫と行くのは接待という

  より、私へのご褒美かな。照れ )


計画、行き先き を決めるのは私。

運転は主人。

      実家と行く時は私。



お金出して、

世話焼いて、

疲れる。絶望


対価は 

親孝行と言う自己満足。キョロキョロ



義母は話し役専門

実母は聞き役専門。

ちょうど良い関係。


実母は、

mocomocoのお義母さんは

お喋り上手だから、楽しい。飛び出すハート

と、、嬉しそう。

(  毎日 このお喋りに付き合う

      のも辛いんもんだよ。もやもや)



前置きはこのくらいにして、、

今回の話しに入ります。凝視 


車車車車車車車車車車車車車


義母が手術した翌年の秋。もみじ


義母を主人に任せて、

実母と姉と私の3人で隣県の

温泉に行く計画を立てました。


いつもなら、

旅行が決まった時に

前以て義母に予定を

伝えるのですが 、、


何故か、、

この時は、主人もいる事だし、

まぁ、直前でもいいか、、。


と 旅行の予定を伝えて

いなかったのです。


旅行の前日、

仕事から家に帰ると、


何やら、不穏な空気。魂魂


義母は部屋の中から

出てきません。不安


主人もプリプリお怒りモード。むかっむかっ


あ~。また、喧嘩 はてなマーク驚き


主人に聞いても


知らん。

勝手にメソメソしとる。


と、言うだけ。


主人は、メソメソが嫌い。

義母のメソメソは可愛くない。

らしい。もやもや


仕方がないので

義母の部屋へ聞き取り調査。耳


義母曰く


○○(主人)は優しくない。

顔合わせても、いつも

ムッとした顔して。

何にも喋らない。

育ててやった息子から

何で、こんな嫌な思いを

させられるのか。

どこかの施設にでも

入れとくれ。

早く死にたい。


と、号泣。


何とか宥めましたが、、、。


この二人を置いて

旅行どころじゃなくなりました。アセアセ


仕方がないので、外に出て

コッソリ 姉に電話。📲


○○(主人)さんと、お義母さん

喧嘩しちゃって

明日

旅行 行けなくなっちゃった。ショボーン

お義兄さん、私の代わりに

行ってくれないかな?

    ( 姉は免許持ってない。)


と、お願い。



結局、姉と姉の旦那さんに

実母を連れていって貰いました。


かくして、

楽しみにしてた母娘旅。♨️

ドタキャンとなりました。


こんなことなら、旅行の事

先に言っときゃ良かった。

( 絶対に  行っておいで。

  と言ってくれる義母。

  でも、多分行かなかったとは

   思うケド。)


後悔先に立たず。の

mocomoco 。ショボーン



しかし、

そんなことがあったとは

知る由もない

義母なのでした。悲しい





三重県湯の山温泉に4人で

一泊旅行の時の写真です。

私が選んだ、お揃いの色浴衣で。

            下矢印実母                   下矢印義母