今の私が
ばーばと呼ばれる
歳ですが、、
そんな私の
母方の実家の話。
母方の実家。
先祖は武士。
なんでも
けっこう勇名な武将の
家来だったらしい。
何とな~く
小さい頃 聞いたことが
あるような
ないような
実母は
そういう事に興味は無く
家でそんな話
聞いた覚えはない。
何年か前に、余所から聞いて
へぇ~。そうなんだ。
そう言えば、、
子どもの頃
実家のご近所さんから
実母さんは
お姫さまだったから
とか
実母さんの実家には
お手伝いさんがいた。
と 言う話を
聞いたことがあったなぁ。
でも
そんなのは戦前の話。
実母は
普通のお母さんだったし、
母方の叔父は
至って普通のサラリーマン。
私が小さい頃
(昭和30年代後半)
盆、正月に祖母宅へ行くと
親戚でもない
おじさんやら おばさんが居た。
その頃には もう
使用人は居なかったが、
季節の折りに 挨拶に来ていた
その人達がそうだったらしい。
私にとって、
母方の実家は
窮屈な家だった。
お客に行った時の挨拶は
正座に三つ指ついて が
当たり前。
泊まると、朝から
正座して、
三つ指ついて、
「 おはようございました。」
と、言わされる。
何故か「 ます。」 ではなく
「 ました。」 謎。
寝る時も、
やっぱり、正座に三つ指で
「 お先に休ませていただきます。」
普段、立ったまま
おはよ~。
おやすみ~。
の 私。
むず痒い。
そして、
祖母と家長である叔父は
別席で食事。
年下の従姉妹達は
とても礼儀正しく
私のように
走り回ったり、
障子を破ったり、
ましてや、
棒切れを振り回したりしない。
なんで、いつもお前は。
女たる者、、、
から 始まる
祖母のお説教。
正座で聞く私。
そして、
私へのお説教が終わると、
最後は お決まりのように
「お前の躾が悪い。」
と、母を叱るのだった。
だから、私は
中学生になる頃には
もう、母方の実家に
行かなくなった。
( もちろん、その頃には
棒切れは持っていない。)
その後、祖母に会ったのは
成人式に振り袖を見せに。
結婚式と、出産の時。
そして、
出産から2年後、祖母が入院。
祖母は
お見舞いに行った私を見て
よう来てくれたなぁ。
ありがとなぁ。
と、涙を流した。
気丈だった祖母の涙を見て
心の底から後悔。
元気なうちに
もっと、
会いに行けば良かった。
薄情な孫で ごめんなさい。
今でも 胸が痛い。
駐車場は
三階にある
祖母の病室の真下。
帰ろうと、車のドアを開けて
上を見たら
祖母が窓から
顔を出していた。
私は大きな声で
おばぁちゃん
又、 来るね。
祖母は うんうん。
と、頷いて
手を振ってくれた。
これが、私が見た
最後の祖母だった。
お葬式の日
久しぶりに祖母の家に行った。
私が
走り回った長い廊下や
雪見障子
棒切れを振り回した
中庭は
昔のままだった。
祭壇に飾られた
祖母の遺影から
「女たるもの、、、」
と、
声が聴こえるようだった。