私には16歳になる息子がいます。
生まれも育ちもアメリカです。
生まれた当初は、日本語と英語のバイリンガルに育てるというのが「私の夢」でした。
訳あって、息子の母親とは別れることになりました。まだ息子は2歳にもなっていませんでした。
そんな訳で、私が週4日、母親が週3日で息子の世話をすることになりました。
母親はアメリカ人で日本語はほとんできないので、息子と日本語を話すのは私だけで、しかも週4日だけ。託児所などでは英語ですから、息子が使う日本語は少なくなるいっぽう。もっと日本語で話させようとも努力はしましたが、みるみる英語に取ってかわられました。
そんなある日、同僚がおもしろいこと口にしたんです。
「何語で話すかその本人の決断なんだから」
つまり、
- 息子が何語で話すかは私の選択ではない。
- 私が選択できるのは、私が何語で話すかだけ。
今の私にできることは、日本語で話し続けてあげること。
子供の時から日本語に触れさせておけば、息子が将来日本語を勉強したいと思った時に、かなりの上達が期待できる。
特に音韻面に関しては、その臨界期が早いという研究結果もある。
その日以来ずっと、私が息子に話す時はほぼ100%日本語、息子が私に話す時は、よく使う表現以外は全て英語です。
16歳になった息子は今、
- 私が(日本語で)言う事は、ほぼ全部理解できる。知らない単語があっても、(日本語で)説明すれば大体理解できる。
- あまり難しいことは言えないが、日本語で話すと発音はかなり母語話者に近い。
- 英語話者などには難しい「長音(伸ばす音)」や「促音(詰まる音)」などもほぼ完璧。これは聞き取りだけじゃなく、話す時も。
- 自分で言うのには制限があるが、知っている日本語の語彙もかなり大きい。
今、息子は高校で日本語を取っています。
あれだけ家で教えようとしても長続きしなかった平仮名も学校で日本語を取るようになって覚えました。
これからも日本語を勉強していくようです。
私の夢だからなどではなく、本人の意思で。