「福沢諭吉 背広のすすめ」出石 尚三【著】こんな本があったとは知らなかった!入手してみようかな | オーダースーツ屋 「スーツ・スタイリスト」春貴政享のブログ(できる男のスーツスタイル)東京 南青山・福井

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何気に過去のEvernoteを見ていたら、「福沢諭吉 背広のすすめ」のことをアーカイブしてありました。

 

当時、本の存在だけ記録してあって実際には購入していないのですが目次を見たら興味が出てきました。

 

<内容説明>

背広を日本に紹介したのは誰か?「せびろ」という日本語を作ったのは誰か?この謎に挑むうち現れてきたのは福沢諭吉。福沢は背広に情熱を燃やし、慶応義塾内に「衣服仕立局」も創設した。

 

<目次>

誰が「背広」を日本に伝えたのか
なぜ「せびろ」は明治三年に登場したのか
諭吉はなぜ洋服屋を開いたのか
誰が「せびろ」を日本語にしたのか
「せびろ」なのか「セビロ」なのか「背広」なのか
誰がはじめて「背広」と漢字で書いたのか
なぜ「背広」の語源は分かっていないのか
「セビロ」は外来語なのか日本語なのか
「背広」と「スーツ」はどこが違うのか
明治天皇は背広を着たのだろうか
明治の洋服屋列伝
はじめて背広を着た日本人は誰なのか
羅紗と背広と夏目漱石
日本ではじめての洋服屋
背広と知性

 

 

本を要約したのがコチラ↓

 

 背広という言葉の由来には、諸説あり、そもそも外来語なのか、日本語なのかさえもいまだ明確にはわかっていない。外来語説には、ロンドンの高級仕立て屋街Savile Rowの変形とする説、市民の服Civil Clothesを由来とする説、英国の服地や産地を示すCheviotが語源という説などがあり、一方、日本語説には、初期の背広には背中線(背縫い)がなく一枚の布地で仕立てられたことから「背中が広い」が転じて背広になったという説がある。後者の場合、背広は、フロックコートやモーニングに用いられる細腹(さいばら)の対語として職人の間で使われていた隠語だったのではないかともいわれている。

 

 本書は、服飾評論家である著者自身が、これまで仕事で数えきれないほど幾度も用いながら語源が定かでなかったこの背広という言葉のルーツをどうにかして辿ろうと、背広が日本で普及し始めた幕末から明治にかけての文献や小説などを渉猟し、丹念に調べ上げた成果を散文的に綴った労作である。

 

 結果からいうと、背広の語源を明らかにしたいという著者の目論みは、核心に限りなく近づくものの、これまで多くの言葉のプロである研究者たちが調査や研究を重ねても正解に辿り着かなかったテーマだけに決定的な結論には辿りつけてはいない。しかし、言葉のプロとは違う服飾のプロならではの着眼、専門書や当時の小説などから丁寧に掘り起こされたエピソードの数々は、幕末から明治にかけ、背広がどのように宮中から一般市民にまで広く浸透するようになったのか。さらには、どんな有名無名の男たちが背広(ラウンジジャケット、サックコートなどを含む広義の意味でのスーツ)の啓蒙と普及、そして製作に関わったかをつまびらかにしてくれる。

 

 なかでも、慶応義塾の創始者、福沢諭吉と背広の並々ならぬ結びつきに触れた前半は驚きの連続だ。日本ではじめて背広(原本ではビジネスコートの名で呼ばれている)を取り上げた『西洋衣食住』が幕府が洋装着用を公に認めていなかった幕末の1867年(慶応3年)にすでに出版されていること。その著者である片山淳之助なる人物は実在するものの、実は本当の著者は片山が師事してた福沢諭吉であったこと。また、背広を「せびろ」とはじめて明記した『絵入知恵の環』も福沢諭吉にごくごく近い人脈によって出版されていること。いや、この絵本もどうやら福沢の肝いりで出版されたらしいことといった事実の数々は、背広と福沢諭吉というこれまで一般にはあまり結びつけて語られることがなかった日本の洋装史の重要な一面を浮き彫りにする。そればかりではない。福沢諭吉は、「柳屋」という、当時一流の唐物屋(舶来用品店)の広告を手がけた日本初の洋服店のコピーライターでもあり、慶応義塾内に「衣服仕立て局」なる自前の仕立て屋を設立。洋学を学ぶ教え子たちのため手頃な国産生地による背広をつくろうとまでしているのである。

 

 本書には、他にも夏目漱石、西郷隆盛、永井荷風、徳川慶喜の弟・昭武らのエピソードや初期の伝説的舶来師(仕立て職人)にまつわる貴重な逸話など背広にまつわるあれこれが点描されている。考えてみれば、英国で現代の背広のルーツとされるラウンジ・ジャケットが登場するのは1840年代後半、それを上下揃いのスーツとして着るようになったのは、1860年頃。裏を返せば今やクラシックとされる上下揃いのスーツの歴史もたかだか150年なのである。本書は、図らずも幕末から明治という激動の時代がそのまま日本の背広史の幕開けで、同時に世界の男服の大転換期でもあったことを改めて我々に気づかせてもくれる。

 

Amazonで中古本として3円で売られていたのでポチッとしてしまいました。

さすがにデジタル化はされいなかったー。

届いたらゆっくりと読みたいとお思います。

 

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