今から40年ほど前、コンピュータというものが普及し始めたころ。
「コンピュータ」といっても、今のパソコンではなく、1台何千万円もする巨大な装置のこと。
人間が働く場所に冷暖房がなくても、コンピュータルームは常に冷房が効いていました。
温度が上がると動かなくなるからです。
そのころ「OA(オフィスオートメーション)」という言葉が一種の流行語のように使われていました。
工程が分類化され、分業が進み、流れ作業でモノができあがってゆく車や家電製品などの生産工場。
それに比べて、事務仕事は標準化も何もあったものじゃない。
書類が机の上に山積み、引き出しの中はどの書類がどこにあるのかその人にしか分からない、電卓で一人一人がせっせと計算、何度やっても縦と横が合わずにイライラ、手書きの書類を上司に見せれば修正を求められ、また始めから書き直し、などなど。
それが、コンピュータを使えば生産工場のようにオートメーション化できる。
オフィスが工場のようにオートメーション化される、というわけです。
計算はコンピュータのお手のもの。
瞬時にして計算してくれ、表の縦と横はぴたりと合う。
文章を書くにも、修正はいくらでも自由にできるし、綺麗な字で仕上げてくれる。
計算結果も文書も、あらゆる書類はコンピュータの中に保存しておいて、いつでも引き出せる。
しかも、それを「電子メール」というもので瞬時に相手に送ることができる。
計算、保存、検索をすべてコンピュータがやってくれるから、人間は考えることに集中できると言われていました。
あれから数十年経った今。
理想通りの「オフィス」になったかどうかはそれぞれでしょう。
話がそれますが、書類をコンピュータに保存して紙と場所の節約になったとしても、検索しやすいように整理して保存していなければ、もう何がどこにあるのか分からない。
手でパラパラやって探せない分、もしかしたら机の上に書類が山積みになっていたほうが探しやすいかもしれません。
また、メールは便利ですが、上司の承認を得なくても簡単に送れてしまうので、ccで送られてきたメールを上司が見たときには時すでに遅し、なんてこともあります。
便利な道具をどう使うかは人間次第ということですね。
さて、話を戻して。
ChatGPTやらAIやらという言葉をやたらに耳にする昨今。
詳しくは知りませんが、人間に代わって文章を作ったり考えたりしてくれるようです。
ChatGPTについては、「国会答弁の原稿を作るのに利用できる」なんておっしゃっていた大臣先生がいらっしゃいましたが、今でも他人が作った原稿を棒読みするだけの大臣先生。
ずいぶん楽になるものです。
おっと、また話がそれた。
OAの時代に人間の役割とされた「考える」ことすら今やコンピュータにとって代わられようとしているように見えます。
保存、計算、検索という能力ではるかに人間を上回っているコンピュータが、考える力も人間を上回る。
いや、すでに上回っているのでしょう。
「では人間は何をするのだ」というよりも、コンピュータが意思を持ち、人間を支配するという、これまで空想物語の中だけだった世界が現実になる日は近いのかもしれません。