私は数年前に8ヶ月間だけ、小学校で仕事をしたことがあります。
知り合いから、この小学校に通う知的障害児の介助員をして欲しいと頼まれたからです。
当時、この児童は3年生。
男子。
重度知的障害児です。
小学校は普通校でこの児童はそこの普通級に通っていました。
この子の席は教室の一番後ろの出入り口の横。
介助員の仕事はこの児童の身の回りの世話をすることです。
他の児童の勉強についてゆけるわけはなく、毎日、好きな電車の本をパラパラやっていました。
ときどき、介助員たち手作りの教材で遊ぶこともありましたが、できないし、長続きはしません。
10名弱の介助員は全員素人です。
教員資格を持っている者はいません。
その素人が作った「教材」。
例えば、同じ色の積み木を組み合わせる、箱に空いている色分けされ、大きさの異なる穴に同じ色と大きさの積み木を入れる。
できません。
すぐにそれを放り投げたり、口に入れたりします。
突然、奇声をあげ、椅子の上に立ち上がり、寝転がることは日常茶飯事。
その度に先生が叱ります。
「静かにしなさい」と。
体育の時間も他の児童とは別。
ボールで遊ぶこともありましたが、これも長続きはしません。
せいぜい5分くらい。
あとの時間は校庭をぶらぶら歩いていました。
私にできたことは危険がないように見守るだけでした。
休み時間には同級生が遊んでくれることもありますが、授業中と同じく、電車の本をパラパラ、ビリビリ。
トイレは自立していません。
意思表示をすることもできません。
オムツをしていますが、時間を決めてトイレに連れて行きました。
出るときもあれば、出ないときもある。
すでにオムツが濡れていることのほうが多かったです。
私がいないときは他の介助員が連れて行っていました。
私以外は全員女性です。
小学3年生ともなれば、いくらおばさんとはいえ、女性がトイレにいることに抵抗を感じて、入って来ない児童もいました。
給食は皆と同じものですが、介助員がハサミで細かく刻みます。
スプーンやフォークを使って「食べる」こともありますが、介助員が口まで持ってゆくことがほとんどでした。
母親は、他の子たちと同様にプールにも入れろと主張していました。
オムツをしたままで。
でも、もしオムツを外してプールに入れたら、何が起こるでしょう。
また、着替えはどうするのでしょう。
私ならまだしも、男子の更衣室におばさんが入るのでしょうか。
遠足や林間学校にも連れてゆくのが当然であるとも言っていました。
足が悪く、歩くのもおぼつかない子でしたので、当然、車椅子で連れてゆくことになります。
林間学校といえば、ハイキングコースや砂利道を歩くこともあるでしょう。
もちろん、障害のある子もプールで遊び、遠足や林間学校に行くことは必要でしょう。
しかし、その学校は普通学校です。
それはできないという学校や教育委員会に対して、母親が必ず言うことは「それは差別である」「訴える」でした。
暴れてどうしようもなくなったときのために、資材置き場を片付けた教室が「自習室」として用意されています。
そこで音楽を聞かせたり、床にレジャーシートを敷いて寝かせたりしました。
その小学校には同じような児童が他に二人いました。
そのうちの一人はその部屋で「勉強」をしていました。
数字を読むことができ、その数通りにおはじきを取り分けることもできました。
ある程度ひらがなやカタカナを「読む」こともできました。
その子の母親は鼻たかだかでした。
私が見ていた児童の母親が盛んに口にしていた言葉が「インクルーシブ教育」でした。
包括的教育と訳せば良いでしょうか。
様々な障害を持っている子もそうでない子も同じ教室で生活する、という考え方のようです。
周りの子どもたちが手を貸してくれれば、他の子たちと同じように学校生活を送れるはずである、そうやって普通級に通っている事例がある、というのがその母親の言い分でした。
どう思われますか?
当初はその理想に共感したので、あの仕事を始めましたが、時間が経つにつれて、疑問を感じたので、辞めました。
「毎日このような生活をすることにどんな意味があるのだろう」
「これがこの子にとって良いことなのだろうか」
あるとき、この母親とその支援者たちとの打ち合わせに出席しました。
その支援者は「障害は社会が作り出している」「社会が理解して手を貸すのが当然であり、そうすれば障害が障害でなくなる」という主張をしている人でした。
その旨の本も出版しています。
その打ち合わせで、私は言いました。
「ああいう日々を過ごすことに意味があるのでしょうか」
「特別支援学校にゆけば、トイレや食事を自立させる訓練をしてもらえるはずです」
「プールや遠足を楽しむこともできるはずです」
「無理やり文字や数字を覚えさせようすることに意味があるのでしょうか」
などなど。
母親。
「みんなが助ければ生活できる」
「社会はそうなるべきである」
「字な読めたほうがいいに決まっている」
などなど。
その日以来、その母親は私と口をきかなくなりました。
別のときに、その母親が嬉しそうに言ったこと。
「この前、いつもの場所で電車を見ていたら、電車の行き先表示を「読んだ」んです」
「国分寺」という漢字をそれっぽく発話したというのです。
だから、「努力すれば漢字だって読めるようになる」と。
しかし、その子は「国分寺」が何を意味するか分かっているのでしょうか?
駅で「国分寺」までの切符を一人で買えるようになるのでしょうか?
また、「国語」という文字を見たときに「こく」だけでも読めるのでしょうか。
そして「国」の意味が分かっているのでしょうか。
自習室でよくできていた子は確かにいろいろなことができていました。
しかし、その子がどんなに数を数えられても、あるいは、文字を読めても、一人で生活ができるようになるのでしょうか。
お金を持って、一人でコンビニに行って、自分で財布からお金を出して、代金を支払えるようになるのでしょうか。
教室で奇声をあげたとき、「静かにしなさい」と叱り続けると、静かにしていられるようになるのでしょうか。
他の介助員は「悪いことは悪いと教えなくてはならない」とも言っていました。
「悪いこと」ってなんでしょう。
その子にとって奇声を上げることは「悪いこと」なのでしょうか。
「インクルーシブ教育」あるいは社会の「インクルーシブ」。
理想としては素晴らしいものだと思います。
それを実践している国もあります。
そこでは児童20人くらいに教師が3人ほどついて、それぞれの子どもに適した活動をさせています。
しかし、今の日本の教育現場にそれを期待するのは無理です。
その子ができることもあります。
それを活かし、伸ばしてあげたいとも思いました。
奇声を上げたら、一緒に声を出して遊ぼう。
椅子の上で立ち上がったら、「すごいすごい」と褒めてあげよう。
しかし、素人の私には何をどうしたら良いのか分からない。
かといって、普通学校の先生方にもそれは期待できません。
もちろん「できない」と言っているばかりでは何も変わりません。
誰かが道を切り開かなくては新しいことはできないとも思います。
では、この児童と母親がその先陣を切ることになるのでしょうか。
私はそうは思いません。
今の日本社会は、残念ながら、障害者に対する理解はまったくと言って良いほど「ない」と思います。
交通機関や建物には「バリアフリー」の設備が設置され、モノは整備され始めているように見えます。
しかし、その社会で暮らす人々の「心」はどうでしょう。
ヘルプマークを持っている人が席を譲られるのを見たことはありません。
手話話者の様子をスマートフォンで撮影して面白がる人。
点字表示の点を削る人。
就職活動をすれば精神障害者を敬遠する企業。
などなど。
もちろん、国民全部がこうとは言いません。
障害者への理解を持っている人もたくさんいます。
少し話がそれますが、LGBT法案の議論はどう思われましたでしょう?
日本語をカタカナに置き換えることで与野党合意とはいったいどういうことでしょう。
「広島サミットまでに成立させて、日本がLGBTに理解がある国だということを世界に示す」なんて言ってもいました。
「理解がある国」?
何故、広島サミットまでに成立させなくてはならないのでしょう。
もっと話がそれますが、袴田事件に関心を寄せている人がどれだけいるでしょう?
あの事件の問題がどこにあるかを認識している人がどれだけいるでしょう?
この事件を機に、ある法律の改正が求められています。
しかし、法律を作る「立法府」たる国会、そして、国会議員たちは何をしているのでしょう。
国会議員は票につながらないことはしないんだそうです。
障害者にせよ、LGBTにせよ、冤罪にせよ、これらに関わったところで票にはつながらないのです。
それがこういうことに対する社会の無関心を呼んでいる理由の一つだと思います。
では、私たち当事者個人に何ができるのでしょう。
残念ながら、私には答えが見つかりません。
いけないことだと分かっているつもりですが、諦めています。
せいぜい、日々頑張って仕事をして、「こういうことができる障害者もいるんだ」ということを小さな会社の中で示すことくらいでしょうか。
先に紹介した児童。
もう中学生になっているはずです。
今もオムツをしているのだろうか。