最近、動画配信サイトで黒澤明監督の映画を見ています。
私が黒澤映画を知ったのは、いつだったかなぁ。
映画を見始めたのが中学生のころで、戦争映画や西部劇など、ドンパチやったり、車で追いかけっこするものばかり観ていました。
そんなこともあり、洋画一辺倒でした。
邦画にはそういう派手なものが少なかったので、「日本映画なんて」とバカにした部分もありました。
そんな私が、何がきっかけだったかは覚えていないのですが、ある日、黒澤監督の「生きる」を観ました。
衝撃でした。
ドンパチなんて観てる場合じゃないぞ、と思いました。
日本にこんなすごい映画があるんだ、と思いました。
映画を観始めてから20年、いや、30年くらい経っていたでしょうか。
レンタルビデオで黒澤作品を立て続けに観ました。
「影武者」「乱」「夢」などの新しいもの、そして、もちろん「七人の侍」も。
「羅生門」も「どん底」も面白かった。
でも、そのころは「面白かった」でした。
今、三船敏郎が出ている作品を「酔いどれ天使」以降、古い順に見ています。
「面白かった」のころよりも、私が社会経験を積んできたからでしょうか、単に「面白かった」ではなく、ものすごくたくさんの気持ち、感想を抱いています。
その「たくさんの気持ち」をまとめて一言で表現するとすれば、「凄まじい」。
観れば観るほど「凄まじさ」を感じます。
人間の感情。
凄まじいばかりのドロドロした、激しい、切ない、感情。
その演出の凄まじさ。
そして、それを表現する役者さんたちの演技の凄まじさ。
黒澤監督が三船敏郎を好んで起用していたのは、この凄まじさを表現できる役者だからではないかと思います。
1950年代~1960年代のころの他の映画は知りませんが、三船敏郎のように激しい動きのある俳優は少なかったのかもしれません。
そして、黒澤作品に最も多く出ている志村喬。
「すごい」
この一言に尽きます。
言うまでもなく、「生きる」で私に衝撃を与えてくれた役者さんです。
しかし、最近観た「醜聞」で、役者さんとしての志村喬に衝撃を受けました。
「七人の侍」を始めとして、暴れまくる三船敏郎を後ろで静かに暖かく見守っている「静」の印象が強かったのですが、「醜聞」では打って変わって、三船敏郎よりも激しく「動」いていました。
こんな役もこなせるんだ、と、ご本人には大変失礼ですが、すごい役者さんだと改めて思ったのでした。
「醜聞」では、登場時間は少なかったのですが、北林谷栄と左卜全の存在感に圧倒されました。
このお二人もすごい!
(私には「すごい」以外の語彙がないことがとても情けなく、歯がゆいです)
話がそれますが、北林谷栄といえば、私は「阿弥陀堂だより」。
あの映画を観たとき、恥ずかしながら、この大女優のことを知りませんでした。
映画を観ながら「素人のおばあちゃんを連れてきたのかな」と思いました。
どこにでもいるお婆さんが、演技をするのではなく、一生懸命に語る。
そう思わせるところが、あの方の凄さなのですね。
さて、話を戻して。
と言っても、キリがないので、この辺にしておきます。
あと数本先に「生きる」、そして「七人の侍」が待っています。
「面白かった」ではなく、どんな感想を持つのか。
楽しみです。