奪われた時間 | 元気な障害者

元気な障害者

2004年発症。当初はうつ病の診断。転院を繰り返し、発症から10年目で初めて双極性障害という言葉を知りました。休職、復職後、2016年3月に定年退職。2017年7月から障害者枠のパート勤務。
病気のことだけでなく、日々感じたことを書いています。

最近、有料、無料の動画配信サイトでドキュメンタリー番組を見ています。

 

それらの中で、特に心に響いているのが時間を奪われてしまった人たち。

 

ずさんな医療制度、戦争、冤罪。

 

精神科の医療制度についてはすでにこの場に書きました。

何十年も入院生活を強いられてきた精神病の患者たち。

 

横井庄一さん、小野田寛郎さん。

この名前をご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。

戦争が終わった1945年以降も日本の敗戦を知らずにグアム島のジャングルで日本軍の迎えを待ち続け、終戦から27年目の1972年に発見された横井さん。

「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」という言葉は人々の心に大きく響きました。

発見から25年後の1997年に亡くなりました。

横井さんの「戦後」25年は27年間のジャングルでの生活よりも短いものでした。

 

フィリピンのルバング島で1974年に発見された小野田寛郎さん。

29年間、任務解除命令を待ち続けました。

いったん帰国後、ブラジルへ渡り、牧場経営をしたのち、再度帰国し、講演活動などをおこなっていましたが、2014年に91歳で亡くなりました。

 

袴田巌さん。

この3月に再審決定の報道がなされたので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

1966年に起きた強盗放火殺人事件の犯人として同年逮捕され、一貫して無罪を主張し続けたにもかかわらず、1980年に最高裁で死刑が確定しました。

その後も再審請求を続け、死刑執行停止が決定されて2014年に釈放されました。

48年間の獄中生活。

再審が決定されたものの、87歳の今も法律上はまだ死刑囚です。

 

冤罪によるこのような事例は他にも多くありますね。

 

どの方々も国によって時間を奪われてしまった。

 

適切な対応をせずに、「必要悪」として民間病院に任せきりの行政。

「つまらない戦争を始めてしまった」「誰が始めたんでしょうね」(横井夫人)。

手柄を焦るあまりに「罪人」を作り上げてしまった検察。

 

どんなに金を払っても償えない奪われた時間。

決して取り戻すことのできない時間。

胸が痛むばかりです。