(仕事に遊びに縁の深い新宿の風景)
(歌舞伎町1-13-3)
歌舞伎町に祀られている弁天さま。
弁財天は水辺にいらっしゃることが多いのに、何故、歌舞伎町に?
弁財天は琵琶を持っているので音楽や芸能(歌舞)の神とされ、また、他の神と融合して財福の神ともなっているので、歌舞伎町にふさわしいともいえます。
しかし、この弁財天がここに祀られているのは別の理由のようです。
明治時代の初めころまで、この地は森と湿地に囲まれた池がある鴨場でした。
この池があったのは今、ゴジラがいるあのビルの辺りです。
大正になってから、その池のほとりに上野の不忍弁天様の分祠としてこの弁財天が祀られたのだそうです。
一方で、現在の西新宿高層ビル街一帯に淀橋浄水場を建設するための残土でこの地域が徐々に埋め立てられ、池はなくなりましたが、この弁財天はそのまま残ったということのようです。
埋め立てられた場所には大正9年に東京府立第五高等女学校(現・都立富士高校)が建てられ、それにつれて住宅ができ始め、湿地帯だったこの地域は住宅街へと変わりました。
しかし、東京大空襲(1945年/昭和20年)で東京は焼け野原となり、その復興にあたって、ここに歌舞伎劇場を始めとする施設のある「理想的な文化地域」の建設計画が作られました。
その際に、「歌舞伎劇場ができるのなら」ということで「角筈(つのはず)」だった町名を歌舞伎町に改めたのでした。
その後、歌舞伎劇場の建設計画はなくなり、また、その他の紆余曲折を経て、現在の姿になりました。
現在の歌舞伎町は周知の通りですが、歌舞伎町を「誰もが安心して楽しめるまちにするために」(新宿区)、2005年(平成17年)1月に「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」が発足しました。
そして、その一環として2014年(平成26年)に「歌舞伎町アートプロジェクト」という活動が始まり、様々な芸術作品がトランスボックスなどに描かれたりしています。
そのうちの一つが、歌舞伎町弁財天の祠に描かれている東學氏による「弁財天地龍虎」です。
『芝居の宣伝美術家として、また世の混沌を描く墨絵師として活動している私にとって歌舞伎町は古の縁を感じる町(現在のアトリエも大阪の道頓堀)だ。
この町の守り神として、2014年の夏の終わり、天に立ち昇る「龍神」を描いた。
一年後の2015年、大地を駆ける「虎神」を描いた。
天に希望を見、力強く地に生きる一対の龍虎が、通り過ぎる人々との一期一会となり、心のよりどころになるといい。』東學(AZUMA,Gaku)
少々不安な場所にありますが、日中なら大丈夫…だと思いますので、お近くまでいらっしゃったら寄ってみてはいかがでしょう。