(百人町1-11-16)
徳川幕府が「鉄砲組百人隊」をこの地に駐屯させていたことから町名が「百人町」となりました。
ある晩、その鉄砲組の指揮官(与力)の枕元に稲荷大神が立ったため、翌朝神社に参拝してから訓練に臨んだところ、百発百中だったとのこと。
そこで、隊員たちも参拝して的を射たところ、これまた百発百中。
「みなあたる=皆中」ことから、この神社は「皆中(かいちゅう)稲荷神社」と呼ばれるようになりました。
現在では、賭けごとからコンサートの切符に至るまで「当たる」ことを祈願する人が多く訪れているそうです。