私の息子が幼稚園児だった頃のこと。
遊園地に遊びに行こうと家を出て駅に向かって歩いている時、息子は道端で虫や花を見つけてはしゃがみこんでそれを眺めたり、虫を手で取ったりで、一向に駅に近付きません。
私としては「早く遊園地に連れて行ってやりたい。早く行かないと向こうで遊ぶ時間が少なくなってしまう。」とやきもきしていました。
しかし、そこで気付いたのです。「遊園地で遊ばせてやりたい」というのは私の勝手な思い。息子にとっては駅に向かいながら途中途中で目に入るもの全てが「遊び」なのだ、と。
それからは息子が立ち止まったり、しゃがみこんでも「それはそれでいいじゃないか。ゆっくりその時間を楽しみなさい。」という気持ちになりました。
その時の息子にとっては息子自身が「主人公」。私は脇役にすぎません。一方、私にとっては私自身が「主人公」。息子が脇役。
「主人公」である私としては「早く遊園地に連れて行きたい」と思っていたが、主人公がいつも舞台の中心にいる訳ではない。時には脇役を引き立てることも主人公の大切な役割。
あの頃のことを思い出し、こんなことを考えていました。