1978年3月。

 

大学3年生の春休み。

忘れられない思い出。

 

当時、私はアイスホッケーが大好きでした。

それも北米でおこなわれているNHL(National Hockey League)というプロホッケーの熱烈なファンでした。

 

1972年にホッケーに興味を持って以来、いつかこのNHLの試合を生で観ることを夢見ていました。

今でもそうですが、当時はさらにホッケーに関する情報が少なく、洋書店を歩き回ってはホッケー関係の本や雑誌を探したり、在日米軍向けのラジオ放送(FEN)を聴いたりするしか情報はありませんでした。

 

そして、その夢を叶えたのが1978年3月でした。

ホッケーの試合を観るためにカナダへ旅行に行くことにしました。

「せっかく行くなら一番強いチームを」と、迷うことなく行き先はモントリオールに決めました。

当時、モントリオールを本拠とするMontreal Canadiensは単独チームとしては世界一強いチームでした。

そのころオリンピックや世界選手権で常に優勝していたソ連のナショナルチームと互角に戦えるほどのチームでした。

そのチームの試合を観たい。

しかし、ホッケーを国技とするカナダ。

NHLの試合の切符を手にすることは地元の人でも難しいのです。

カナダ大使館にも相談に行きましたが、やはり「NHL、特にモントリオールの試合の切符を手に入れることは不可能」と言われました。

 

それでも「テレビで観られるだけでもいい」という思いで、旅立ったのでした。

なにしろ日本ではその動く姿を見る機会は皆無だったのですから。

 

しかし、モントリオールでは思わぬことが私を待っていました。

あるきっかけで、私がはるばる日本からCanadiensを見に来ていることを知ったこのチームの広報部長、クロード・ムートン(Claude MOUTON)さんが私を歓待してくれたのです。

本拠地のMontreal Forumでの試合観戦はもちろん、練習にも呼んでくれ、ロッカーに案内されて選手一人一人を紹介してくれました。

ユニフォームをくれたり、届いたばかりのスケート靴をくれた選手もいます。

そして、そのユニフォームを着、スケート靴を履いて、リンクへ!

パスをしてくれる選手、「もっと腰を落として」とアドバイスしてくれる選手。

さらには、当時世界一の名ゴールキーパーに向かってシュート!

なんとゴールしました。

もちろん、わざと入れてくれたんですけどね。

 

ひとしきり夢のような体験をしてから、ムートンさんの送りで空港まで行き、モントリオールを後にしました。

 

夢はこれだけでは終わりませんでした。

「またおいで」の言葉に甘えて、その後もモントリオールを訪れたこと4回。

その度に歓待してくれたムートンさん。

電話をしてもなかなか繋がらないほど忙しい人なのに、私が行くときは必ず空港まで迎えに来てくれました。

チームの忘年会に連れて行ってくれたこともあります。

 

最後にムートンさんと会ったのは1982年。

それが永遠の別れになってしまいました。

 

癌を患ったムートンさん。

1993年に帰らぬ人となりました。

その年、癌を患っていることを知り、お見舞いに行くことにしていました。

しかし、私が行く10日前に亡くなってしまいました。

11年ぶりの再会まであと10日。

何故、待っていてくれなかったのでしょう。

 

それでも、モントリオールに行きました。

奥様に連れて行ってもらったお墓の前で泣き崩れました。

声をあげて泣きました。

後にも先にもあんなに泣いたことはありません。

 

何故、ただの一ホッケーファンである私にあれだけのことをしてくれたのかは分かりません。

 

ホッケーファンにとって夢のような経験をさせてくれたムートンさん。

それだけでなく、何をするにも自信を持てなかった私を変えてくれたムートンさん。

 

私の人生で一番の恩人です。

 

(古い写真を整理していたら、この写真が出てきたので、思い出を書いてみました。)