ここ数日思っていることを思いつくままに書きます。
前回書いたことと重複、或いは矛盾することもあると思います。

一つは、職場の女性に対する思いです。
別に何かがあった、あるいは何かがなかったという訳ではありません。
今週も打ち合わせをするなど、普段と変わることなく仕事をしています。
しかし、一時抱いていた気持ち、つまり「心から信頼し合える相手」かというと、それは違うかなと思っています。
何故そう思うようになったのかは自分でも分かりません。

彼女と親しくなり始めた昨年の12月ころから急激にソープへ行きたいという思いがなくなったのは事実です。

それは他の要因と偶然時期が重なったのか、彼女への思いがそうさせたのかは分かりません。
また、職場であれ、社外であれ、彼女と過ごす時間が今の私には何より心地よいという気持ちは今も変わりません。
でも、もしかしたら、もう外で会うことはないかもしれません。

それは、私にもうそういう気持ちがなくなったこと、彼女も私が誘わなければ会おうとはしないだろうと思うからです。

では、彼女への思いが変わったからといってソープに行きたい気持ちが復活したかというと、そういう訳でもありません。
しかし、セックスをしたい、性的な満足を得たいという気持ちは依然として持ち続けています。
何が何だか分かりませんね。

今、自分が求めているのはいったい何なのか。
はっきりとはわかりませんが心の安らぎであり、それを与えてくれる相手ではないかと思うのです。
それは前回この場に書いた通りです。
しかし、それが性的な快楽と結びついたものかというと、そうではないのです。

最近、思ったことがあります。

私には、大学生時代に知り合い、ずっと私を支えてきてくれている人がいます。
私の親とほぼ同じ年齢の男性です。
もちろん、性的な関係ではありません。
遠く離れた場所にいながらも、私がその人にどんなに勇気づけられ、励まされ続けてきたか。
その人がいるだけで、どんな辛さにも苦しさにも耐えることができた。

いつも暖かく包まれているように感じていた。
喜びや嬉しさもその人がいるからよりいっそう喜べたし嬉しかった。
強力に私を支えてくれました。
その気持ちは言葉では言い表すことができません。

残念ながら、その人は今から30年前に亡くなりました。
しかし、今でも私の心の支えであり続けています。

そして、今、一番思っていること。
それは、その人を失った私の悲しみはまだ癒えていないのではないか、ということです。
これが、今日一番書きたかったことかもしれません。

無意識のうちに、その悲しみを癒そうと、もがいているのかもしれません。
依存症だけでなく、双極性障害の根源もここにあるのかもしれません。
思い返してみると、不倫をし始めたのは、その人の死の直後であり、鬱状態になり始めたのはその数年後でした。

 

心の中に大きく空いたままの穴。

それを埋めてくれる人/ものは誰/何なのでしょう。