チェンバロの日 2024! | 平尾雅子 Masako Hirao のブログ

チェンバロの日 2024!

日本チェンバロ協会主催の「チェンバロの日 2024!」が、5月18,19日に松本記念館で行われました。

演奏会や講演など盛りだくさんの2日間で、私は日曜日にサラバンドについての講演をさせていただきました。事前の準備がなかなか大変でしたが、無事終了してやれやれ。留学を終えて帰国されたチェンバロの辛川太一くんとの共演も久しぶりで楽しかったです!

今回の講演のため色々と調べていたら、新しいニューグローブ音楽事典にも載っていない新情報をネットで見つけ、スペイン語の論文(2023)でしたがGoogle翻訳のお世話になりながらなんとか読み、皆さんにお伝えすることができたのは喜びでした。簡単なレジュメを作ったので以下に添付します。(図は一部だけですが、もしご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントをいただければお送りします)  わかっていたつもりのサラバンド…  なんと知らないことの多いこと、これを機にたくさん勉強させてもらいました。

演奏を交えたりやステップを紹介しながらサラバンドの歴史を1時間でお話するのは結構至難の業でしたけれど、皆さんがとても熱心に聞いて下さったので、気持ち良く終えることができ幸いでした!

懐かしい人々と再会できたのも嬉しかったです。

知る人ぞ知る岡田龍之介さんのコーヒー、絶品でした!

それにしても、チェンバロ愛に溢れる催しで、オーガナイズも素晴らしい会でした。


        5月21日記



日本チェンバロ協会

チェンバロの日!2024

~フランス特集~

La journée du clavecin


講演

「サラバンド」について

~起源からバッハに至る歴史を探る~

2024年5月19日(日)15時開演

松本記念音楽迎賓館 Bホール


バロック時代の舞曲として馴染み深いサラバンドは、一般にはゆったりとした遅い3拍子の舞曲というイメージが強いと思います。実際フランス・クラヴサン楽派やバッハの組曲、パルティータではそのように作曲されています。しかし、その起源を辿ってみると、意外にも真逆の性格を持っていたことがわかります。そこで、今日はサラバンドがどのように変遷していったかを探ってみたいと思います。


起源

サラバンド sarabande の語源は、スペイン語の zarabanda (sarabanda)で、「どんちゃん騒ぎ、大混乱」を意味する。16世紀前半に「大騒ぎ」という意味の sarao と「集団」という意味のbanda が組み合わさってできた言葉といわれている。また一説には、イスラム文化が栄えたスペインにおいて、中世イスラム人のことをサラセン(saraceni, 羅)と呼んだことが、saraの語源となったともいわれるが、定かなことはわからない。

zarabanda の言葉が最初に見られるのは1539年に詩人フェルナンド・グズマン・メヒアが中央アメリカのパナマで書いた詩「マリ・カスターニャの生涯と時代」であるとされてきたが、最近では考証によりその見解は否定され、1566年メキシコでの記録が最古といわれている。それはスペインから渡った詩人ペドロ・デル・トレホが書いたキャロル「神に輝け」の詩に出てくる。1569年に演奏された折、その内容が神を冒涜するものだったとして裁判にかけられ、最後は火炙りの刑に処せられたと伝えられている。それがどこまで事実か不明であるが、いずれにせよサラバンドはアメリカ先住民と16世紀に入植したスペイン人による混成の踊りとして生まれた。

スペイン人が中米から母国に持ち帰ったサラバンドは街中で大流行した。しかし卑猥な隠喩を含んだ歌詞で歌い、カスタネットやギターをかき鳴らして囃し立て、淫らで下品な動きで踊るさまが教会の強い反感を呼び、1583年ついに禁止令が出された。法を犯した者は、罰金徴収の上、男性はガレー船強制労働、女性は国外追放という厳しい刑に処せられたというが、それでも隠れて踊り続ける者は後を絶たなかった。当時の作家セルバンテスの戯曲の中にもこのようなサラバンドに関する記述がある。


器楽曲 サラバンドの発展

16世紀終わりから17世紀初めにかけてスペインやイタリアで演奏されたサラバンドは、純粋な器楽曲として発展し始める。テンポは速く、I - IV - I - V のコード進行で3拍子とヘミオラのリズムを反復する定型(図1)があった。当時の奏者は、基本的にこれを繰り返しながら即興で変奏したが、楽譜の形で残っているものはギターソロのためにタブラチュアで書かれており、歌詞の付いているものもある。現存する最古のサラバンドの楽譜は、1606年にフィレンツェで出版されたG.モンテサルドの《インタヴォラトゥーラの新たな創作》の中に見ることができる。17世紀後半になってもサンス(図2)のように冒頭にこの定型コードを持つサラバンドを残している作曲家もいた。定型コードを反復、または少なくとも冒頭に提示するサラバンドは、サラバンダ・スパニョーラと呼ばれた。しかし定型コードを持たないサラバンドも次第に多くなり、このタイプのサラバンドはサラバンダ・フランチェーゼと呼ばれ、もはや歌詞は伴わなかった。

1630年代になると、サラバンドの典型は、定型コードではなく、特徴的なリズム形態へと移り変わっていく。メルセンヌは1636年に出版した『宇宙の調和』の中で、2つのタイプを示している(図3)。ひとつめは1小節目の1拍目の四分符と2拍目の符点四分音符に重さが入るリズムで、テンポは遅く、のちのクラヴサン楽派に繋がるものである。もうひとつのタイプはガリアルドのリズムと同じようにみえるが、リズムパターンが短い音符による3/8や6/8で書かれた曲もあり、速いテンポであることがわかる。後者のタイプのサラバンドはスペイン、イタリア、そしてイングランドやネーデルランド(図4, 5)でも多くみられた。しかし時代が下るにつれその割合は低くなる。コレッリはサラバンドをほとんど遅いテンポで作曲しているが、トリオソナタop.4-7 Vivace や4-8 Alegro のように速いサラバンドも僅かながら残している。


バロックダンスにおけるサラバンド

ところで、一度は途絶えたサラバンドの踊りであったが、ルイ13世時代のバレ・ド・クール(宮

廷バレエ)で、1626年にA.ボエセが作曲した 《ビルバオ未亡人の大舞踏会》の中に「サラバンド

を踊るダンサーたち」というバレエが含まれ、彼らの踊る様子が描かれている(図6)。(楽譜は

不明)ビルバオはスペイン、バスク地方の都市で、この絵の中のダンサーも活発なスペイン風のサラバンドを踊っているようにみえる。とはいえ、もはや宮廷舞踏であり、初期のサラバンドとはまったく違った振りであったに違いない。

その後、ルイ14世時代になると舞踏譜が発明され、ボーシャン、フイエ、ペクール(図7)らが残した舞踏譜から振り付けを読み解くができる。サラバンドは概ね遅いタイプで、メルセンヌのいうひとつめのリズムパターンがところどころ振りにも現れる。特に男性ダンサーのためのサラバンドの振り付けは複雑で技巧に富み、かなり遅いテンポでなければならない。ただしリュリのコメディ・バレ《町人貴族》(1670)に含まれる〈スペイン人の第1エール〉(女性のためのサラバンド)の場合は、音楽も振り付けもシンプルであり、タイトルにもあるようにスペイン風=速めに踊られたのかもしれない。フランスの宮廷舞踏を模様したイングランドの舞踏教師トムリンソンは《舞踏法》(1735)の中で、slow 或いは very slow と記している(図8)。


クラヴサン楽派からバッバへ

メルセンヌの示したひとつめのタイプ、いわゆるテンポの遅いバロック・フレンチ・サラバンドの成立について言及するとき、17世紀前半から興隆したフランス・リュート楽派を外すことはできない。その立役者 E.ゴーティエと年下のいとこD.ゴーティエ(図9)は、バロックの演奏様式で重要な「スティル・ブリゼ」を確立させ、美しいアグレマンを加えるなど、優雅な独特のスタイルを生み出した。アルマンド、クーラント、サラバンドを中心に同じ調性の舞曲を並べた組曲の成立にも貢献した。サラバンドも彼らを契機に我々に馴染み深いサラバンドへと変身していったようである。それは18世紀中頃に至るまで、クラヴサン楽派のシャンボニエール、ダングルベール(図10)、L.クープラン、F.クープランらや、ヴィオルのドゥブイソン、ドゥマシ、マレ(図11)、フォルクレ、ケ=デルヴロワら、また管楽器のオトテールやデュパールら数多くの作曲家に影響を与えた。

ドイツは舞曲のジャンルにおいてフランスへの憧れが強く、作曲家達は概ねそのスタイルを模倣した(図12)。バッハは、クーラントやジーグに関しては、活発なイタリアン・クーラントやイングリッシュ・ジーグも作曲しているが、サラバンドはクラヴサン楽派を受け継ぎ、複雑に細かい音符を挟みながらも、骨格は図3-1の典型的リズムパターンに従っていることが多い(図13)。8分音符や16分音符の連続に分散されることもあるが、一貫して重厚な性格を保っている(図14)。       平尾雅子


図1 定型和声コード

図2 サンスのサラバンド G, Sanz,

図3-1,2 2種類のリズムの典型

図4 ファン・エイクのサラバンド J. van Eyck, Der Fluyten Lust-hof,1644

図5 ロックのサラバンド Matthew Locke,12 Duos,1652

図6 サラバンドの踊り手達 A. Boesset, Grand bal de la Douairière de Bilebahaut,1626

図8 トムリンソンのサラバンド

K. Tomlinson, The Art of Dancing,1735

図7 ペクール振り付けのサラバンド

La Royale, c.1713 (composed by J.-B. Luly in 1665)

図9 D.ゴーティエのサラバンド

D. Gaultier, Livres de tablature de Pièces de Luth,1680

図11 マレのサラバンド M. Marais, Pièces de Violes, Livre I,1701

図12 キューネルのサラバンド A. Kühnel, Sonate o Partite,1698

図10 ダングルベールのサラバンド

J.- H. d’Anglebert, Pièces de Clavecin,1689



図1


図3       1                        2


図7


図11